今年の桜は例年になく見事な桜のように思われました。桜予報では今年は暖冬の影響か、例年よりも10日は早いということでした。しかし、予想に反して桜が咲く少し前に寒い日が続き、今年ほど長く桜を楽しむことができた年はそうなかったようにおもわれます。

 人の精神と天気は大きな関わりがあるときいており、実際にそのような体験もしてきております。しかし、今回ほどそのことをまざまざと感じたことはありませんでした。

 この春、桜の花と富士山と能を見たいといってドイツの方が来日されました。何カ月か前には購入しておかなければならない航空券。来日したけれども桜は既に終わっていた、ということにはならないように、桜の見ごろに合わせてどのタイミングで、チケットをいつ購入してもらったらよいか、とても気をもみました。

 しかし、福井を立たれるまで桜にふさわしいとても良い天気が続き、桜の開花前から散り際まで10日余にわたり福井の桜を存分に堪能されて、久しぶりの雨が降り出す直前の朝早く次の目的地「広島」へと立っていかれました。

 ヨーロッパとアジアの違いからか、私達には当たり前すぎる草木一本から食堂に飾られてある精巧に作られたメニューの見本にいたるまで目に付くすべてのことが興味関心を引くことばかりで大変なカルチャーショックの中での滞在だったということです。秋にもう一度来るといって帰っていかれました。

 「今日はきっと満月ですね。ドイツでは満月になると天気が変わるといわれていますが日本ではどうですか」といわれ、ヒアリングの苦手な私の聴き取り違いからか違った風に解釈していて、まさかと思って聞き流していました。ところが、桜を充分に堪能しての帰りの車中、右手に真っ赤な大きな夕日、そして間もなく左手に山吹色の満月。あまりにも出来すぎた光景! そんな一幕もありました。

 日頃、このようにあまりにも自然に恵まれている福井(日本)のなかにいるとなにもかも当たり前で、余程のことがないかぎりあたりの様子に注意を払うということはあまりないようです。足羽山の桜の下で宴たけなわの情景に対して「日本には花より団子という言葉がありますよ」と伝えると「私は団子より花です」と即答されました。

 こうして外国の人を迎え、外国の人の目で福井(日本)を見たとき、なんと福井は四季折々の移ろいが際立っているのでしょうか。何気ない様々なことのなかにも深い感動を覚えるようです。

 ですから、なにも感覚教育と大上段に構えなくとも、私たち大人が日常生活の中で恵まれた自然に対して深く受け止める繊細な感性を身に付け、幼き子らと共に自然に向きあえば、おのずとその精神は子どもの中に流れ、身近な自然のなかで豊かな感性が育くまれるのではないでしょうか。

 そうです。幼児期の子どもの感性は、まだ自分で良し悪しの判断することはできず全く周りに対して無防備で、まるで吸い取り紙のように、すべてを吸い取り、自分の肉体を形成していく時期だといわれています。自然のありようだけではなく、そこに関わる大人のあり方をはじめ、子どもを取り巻く周りのすべてを吸収し、あるいは真似ることにより体を形成していくのです。このことを子育てに当たる者がどれだけ深く受け止め、子育てにあたっているかが問われるのです。

 子どもを育てている身には耳にちょっと痛い言葉ですが「子は親の後姿を見て育つ」とか、「親の言うようにはならないが、親のするようになる」とはよく言われる言葉です。この時期の子どもは言い換えるならば「子どもの周りでは、良きことをなし、悪しきことはなさない」。この言葉に尽きるというのです。実に簡単なようですが実行となると大変なことですね。

 大人は、昔の徒弟制度のように住み込みで何かを学び、身に付けるとき、最初は全く何も知らず、師の言うことや為すこと周りのすべてに対して心を開き、すべてを虚心で受け入れます。現在の人は、昔の人と違って若くても「自分」という意識がずいぶん強くなっています。ですから他者の言動に対して心を開いて受け入れ、学ぶということや耳を貸すということはとても苦手になっているようです。

 しかし、何かの職業や技術を身に付けることや、伝統文化の伝承という世界にでは、そのあり方は昔と違って随分緩やかになってきているでしょうが、今日にでもこうしたことは連綿と受け継がれていることなのです。こうした世界でひたすら師のすべてを受け入れる初期の段階は「守」という言葉で表わされているというのです。

 幼児期も全く周りに対して感覚のすべてを開いて周りの人のするすべてを真似ながら受け入れていくという意味においてこの「守」の段階にあるといってよいというのです。

 先日、あるお母さんからサラナ親子教室について話が聞きたいという電話がありました。お子さんを連れてサラナに来たいというのです。そのときには教室はお休みしていたのですがとにかく話を聞きたいということですので保育園に来ていただくことにしました。

 当日、4カ月になるお子さんを連れて保育園に来られました。初めてのお子さんで、近所に両親も住んでおられ、充分に手助けしてもらえるので特別育児に困るということはないようでした。しかし、そのお母さんは外に出ることが好きなので、親子で参加できるという教室の詳細を聞きたいということで保育園に来られたのです。

 お話を伺っていると、初めてのお子さんでこれから周りの人たちにいろいろなことを教わりながら子育てされていくなか、親になっていかれるのだなあとしみじみ思われました。まさに親業においての「守」の段階におられるのです。これから親になっていく人を周りで支えていく人たちがどんな人たちであるかによって子育てもまた違ってくるのだろうとその影響力を考えながら、いろいろとお話を聞かせていただいたのです。

 まだ数カ月のたくさんの可能性を秘めた、そしてこれからすべてのことが始まろうとしている小さなお子さんを見ていると心からの感動が湧き上がってくるのです。そしてこうしたお子さんの成長に寄り添い、お子さんが健やかに成長され、そのお子さんの人生が十全に花開きます人生でありますようにその成長を一緒に見守っていきたい衝動に駆られます。

 その子の育ちに関わる周りの人たちが、こうしたお母さんやお子さんに付き添い、子育てにとって本当に大切なこと、正しいことを伝えていってあげていただくことを心から願わずにはいられませんでした。

 今の時代に育ったお母さんたちには、意識の違い、価値観の違いということもあってでしょうか、本当に子育てについて大切なことというものはなかなか伝えたくても伝わらないことも多いものです。私もこれまでの若いお母さんたちとの関わりの中でそうしたことを幾度か感じてきております。