あじさいの花が美しく彩る季節になってきました。

しかし、暑さに向かう今の時期、急に食べ物や物が悪くなりやすくなってきていませんか? 6月梅雨を迎える時期になると、昔から私たちは、まず食中毒の心配が始まりました。そしてこれからすっかり暑くなって夏を迎えるまでは気の置けない季節となるのです。ずっと以前には、この時期になると玄関に消毒液を用意し、必ず手を消毒して園に入ってもらったものでした。最近ではそんな習慣も園内での手洗いのみで、いつの間にかなくなっていました。

しかし、例年なら晴れ晴れとした気持ちで迎える春の新学期も、今年は暮れからのインフルエンザが尾を引き、入園式からはB型と型を代えて流行り、それに加え水疱瘡、溶連菌感染症等等のいくつもの感染性の病気が同時進行で流行り、そのうえの新型インフルエンザ。あれよあれよという間の世界的な広がりの中で、何かうっとうしい気分が晴れないままに梅雨の時期を迎えようとしています。

幸いなことに今はインフルエンザはようやく落ち着きましたが、ロタやアデノウイルスによる感染性胃腸炎や風邪のため園児だけでなく職員まで次々と休む状況です。このような新たな希望に満ちた新年度の始まりからも、止むことなき感染症の流行は、長年保育園をやってきておりますが今年が初めてのようにおもわれます。

昔おこなわれていた玄関での手洗いや消毒が、新型インフルエンザが日本に入って以来、福井においても行政からの緊迫した通達もあって、多くの施設において急速に復活、実施されているのです。気を引き締めてこの時期のこうした状況に向き合い、乗り切っていきたいと思っているのです。

☆みんなで歯磨き
6月4日は虫歯予防デーです。保育園では歯科医の方に来ていただき歯の検査をしていただきました。そして、歯の磨き方の指導やお話を聞きました。おうちではお子さんの歯磨きどうしておられますか? 正しい情報を得て、虫歯にかからないよう、おうちでも一緒に歯磨きをするなどしてお子さんの指導をしてください。またお子さんが磨いた後の確認もきちんとして、歯をしっかり守ってあげてください。

☆この時期手洗い、うがいは特に丁寧に
いつもは、6月に入って歯磨き指導と同時に行っていた手洗いの指導ですが、今年は新型インフルエンザの発症と同時に5月に行いました。手洗い、消毒、うがいの詳しい仕方については新聞や、いろいろな情報を通じて周知されていることと思います。まだの方はこうした情報に気をつけられて、充分に気をつけて梅雨の時期を元気に過ごしていただきたいとおもいます。

とかくマイナス要素の多い世の中ですが、この時期にはこの時期の楽しみ方がたくさんあるのです。そんな梅雨時の楽しみをお子さんと見つけることも気持ちを前向きに明るく転換し、精神的にもよい方法かもしれませんね。

<子どもが可愛くない、どうしたらよいのでしょう>

さて、お母さんからの子育てについての一番の悩みや質問は、いつの時代も変わらずどう子どもとかかわったらよいのかということのようです。どう叱ったらよいのかとか、子どもとかかわる毎日の生活の中での生じる悩みや質問はつきないのではないでしょうか。

そうした中でときどきこんなつぶやきや悩みを耳にすることがあるのです。‘私はどうしても子どもが可愛く思えないのです’とか、‘子どもを受け入れることができないのです’とか、‘我が子なのだがあの子だけはどうしても可愛くないのですぐに叱ってしまう’という、つぶやきにも似た悩みなのです。親という前に、人間としての本音としてつぶやかれたことだとおもいます。そんな親御さんの思いに焦点を当ててご一緒に考えてみたいとおもいます。

そうは言っても、特別に目立って子どもを邪険にしたり、虐待したりするような親御さんではないのです。むしろお子さんのことはきちんとされていて客観的に見てよくやられているなあと思える親御さんたちなのです。口に出されるということは、そのことをきちんとご自分で自覚されているということで、かえって自覚していない人のほうが心配なのではないかとおもいます。

‘子どもが可愛く思えない’とか‘子どもを受け入れることができない’といっても、それほど深刻に受け止める必要のないケースから、深刻に受け止めなければならないケースがあるとおもいます。程度の差はあるでしょうが、多少なりとも誰もが経験していることではないかとおもうのですが、みなさんはいかがですか?

ずっと昔、子どものことよりも自分の世界に生きる衝動にかられて、子どもを置いて家を出てしまったお母さんがおられました。「世界でお母さんはあなた一人ですよ」という私の言葉も引きとめる力とはならず・・・。しかし、その子の卒園式にはそのお母さんが戻って来られて参列され、涙、涙で手を取り合ったことが思い出されてきました。

また反対に、子どもがかわいくって、かわいくって叱るなんてとんでもないと溺愛しがちな人もよく見かけます。

人間として生まれてくること自体が完全な人間ではないからといわれています。まして完全な親というものはないのではないでしょうか。不完全ながら親をやっている中で子どもによって親へと育てられていくのです。

またとかく正解を求めがちですが正解ということはどういうことなのかも考えてみなければならないことのように思います。人間って、人生ってとても不思議で、一筋縄ではくくれないようにおもわれるものですから。そんなことを考えて、ときには自分に風穴を開けることも子育てには必要だとは思うのです。

だからといって、わが子であっても好きになれなかったり、受け入れることができなかったりをケセラセラといってすませることもできません。深刻に受け止めなければならないケースの場合、親御さんのそうした背後にはとても大事な問題が横たわっていて、そうした問題に対して慎重に向き合い、受け止めなければならないこともあるからです。

ここで、一般的に考えられる範囲でのその原因について考えてみたいとおもいます。

◆親御さんが子どもの少ない時代に育っていて自分の感情をコントロールできないところに原因がある場合
◆自分の理想とする物差しでお子さんをはかってしまうために、満足がいかないということに原因している場合。
◆知らず知らずのうちにほかの子と比較していて自分の子が劣っていると感じられることが多い場合。
◆自分の子どもに障がいなどがあって、親御さんがある心の境地をまだ乗り越えられていない場合。
◆子どもよりも自己実現欲(自分のやりたいこと)のほうが勝っていて、子どもが疎ましく思われる場合。
◆自分を育ててくれた親の育て方への不満からまだ抜け出せずにいて原因をそこに求めようとしがちな場合。

親御さんのそうした気持ちをストレートにぶつけられ、そうした気持ちを受身で受け止めなければならないお子さんにとっては大変なことでもあるのです。そしてそれがお子さんのいろいろな問題ある行動や性格のゆがみとなって出てくるのです。

あまりにひどいときには、何の障害もなく生まれてきていても、親御さんのあり方によって精神的な障害児になってしまうことさえもあるのです。行為による暴力は世間ではとかく取りざたされますが、「言葉」や「思い」による暴力はあまり取りざたされることはありません。しかし、「ことば」や「思い」の暴力は、表面化しないだけにその影響は、深く無意識にまでおよび、こどもの心や体に大きく影響してしまうのです。

子どもというものは実に敏感なものです。お腹に赤ちゃんができたという段階で、すでに大概のお子さんは園での様子に変化が出てくるのですから。

親という権利があるのかどうかはわからないのですが、子どもの前でその権利を存分に発揮して叱りつけている場面にもたまに出会います。自分がそうしているときは気がつかないものですが、ほかの人がやっていてその事情がよくわからないと何の権利があってそんなに怒らなければならないのだろうと、傍目で見ていてそう思ってしまうのです。

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