■人間の成長の節目、節目はそれぞれ違っている

 6月になると毎年私たちの園に蚕がやってきます。その蚕の成長する様子を見ていると、初めは卵、それが黒く細い糸くずのような毛ゴ、そして成虫が日増しに大きくなって大人の指の太さと大きさにまでなると繭となり、その中でサナギとなり、最後に蝶へと変身して飛び立ちます。そのように目に見えて姿かたちを変えて成長しています。同じことが、植物の成長にもいえるのです。

 植物では種から芽が出て双葉となり、生長して本葉となり、花が咲き、実がなりと、植物の一生はその折その折、姿を変えて生長をしています。そのことを私たちは当たり前すぎることとして受け止めがちなのです。

 「種」がどのような花を咲かせ、実をつけるのかはそれぞれの「種」によって異なってきます。育てる人にできることは、それぞれの植物のそれぞれの生長の時期による仕方の違いや育ちを習熟して、必要な折に必要なことを施すことにより、その「種」をどこまで美しく、実らせることができるかということだけなのです。ですから植物を育てることに熟知している人でも、どのような花や実をつけるか決まっている「種」から育てる人の思いのままに変化させた花や実を付けさせることはできないのです。

 ところが人間の成長を見ていると、蚕や植物のような目に見えての大きな変化はなく、ただ体がそのまま大きくなっていっているように受け取られがちです。

 しかし、その成長には節目、節目があって、その変化は、蚕や植物のようには目には明らかではなくても、目を凝らしてみればその変化は感覚的にも捉えられるような大きな変化をしながら成長しているのです。

 ですから、子どもの育ちにかかわるときに大切なのは『子どもの育ちをよく知って、その折々の正しいかかわりを通して、その子のなかに種子として内在するものを、どこまで美しく実らせるかということ』だというのです。

■『感情を育む』学童期から中学初期にかけての成長

 幼児期(第一7年期)に続く次の成長期は、学童期といわれる小学時代から、中学初期(第二7年期)にあたります。では、学童期から中学初期とはどういう時期で、どのようなかかわり方が必要となるのでしょう。学童期から中学初期にかけてのこの時期の大切なこととして最初にあげられることは、幼児期が『意志を育くむ時期』であったことに対して『感情を育くむ時期』だということです。

 幼児期の間体作りに使われていたエネルギー(生命力)の大部分は体作りから開放され、記憶したり、いろいろなことを学ぶことに使われるようになります。しかし、その学びや記憶は生き生きとした感情を伴う学びや、記憶でなければならないので、そのためには、生きた感情を伴った教育やかかわりがなされることが大切だというのです。

 感情が生み出す文化を普通芸術というとのことです。感情のエネルギーによって担われている‘生きること’、‘人生’そのものが即芸術だというのです。‘生き生きとした感情’という言葉からとっさに思い浮かんでくる情景があるのです。

■海遊びの一コマ

 いくら晴れた日とはいえ、それは泳ぐにはまだまだ寒い5月10日、孫たちが海で過ごした一時のことです。

 小学の中学年になった孫の中では、年長格の孫が岩場の幾分高いところから飛び込みをし、下では膝まで海につかりながらまだ飛び込む勇気のない保育園児の孫がヤンヤ、ヤンヤと年長格の孫が飛び込むのをあおっています。2人の孫たちは着の身着のまま全身ずぶぬれになりながらキャッキャ、キャッキャと歓声をあげながら時を忘れて、飛び込みに興じているのです。

 それは福井市高須町での棚田オーナーに申し込ませていただき、田植えをしたときのことです。高須といえば、子どものときからなじみの集落です。

 よく伯母に高須にまつわるいろいろな話を聞かされたり、高須の人たちとの行き来はよくありましたのでとても親しみのあったところなのです。子どもの頃、私が女の子だったからなのでしょうか、どこに行くにも兄たちには置いてきぼりにされました。

 昔は高須と並んで必ず思い浮ぶ宮郷という集落がありました。兄たちが高須や宮郷に出かけ、家に帰ってきての母たちへの報告話や、その山のみやげの栗や‘がやの実’から、遠い遠い山のなかにいろいろな実がいっぱいなっている、昔話にでも出てくる山深い村をいつも想像して夢を膨らませていたのでした。実際に大きくなるまで行ったことがなかっただけに、いつかは行ってみたいと思っていたのでした。

 棚田オーナーは家族などの小単位でしか受け付けてもらえないとのことでしたので、小学生の孫も含めての家族で申し込みました。日頃なかなか私たちと行動を共にすることのできない孫もその日は、親たちとの旅行を断って、私たちと田植えについてきたのです。

 田植えも終わって、せっかく高須に来たのだから伯母からもよく聞かされていた「秦時能」ゆかりの城山に上ろうということになり、城山をめざしました。頂上近くになっても頂上への道がわからず、仕方なく山を下り始めると、孫のひとりが、突然、今度は海に行きたいと言い出しました。

 初体験の田植えや山登りだけでも私の体力的には限界に近い状態でしたので、そのうえ今から海にまで?とも思いましたが、ちょっとの寄り道で孫たちの思いをかなえることができることだと気がつき、帰り道のほんのちょっとだけの寄り道のつもりでいつも出かける鷹巣の海に向かいました。

(次ページへ続く)

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