今月、山口県は豪雨により多くの犠牲者が出ています。雨による災害の多くは台風か梅雨前線によってもたらされています。台風は一気に大量の雨を、また梅雨前線は停滞して長雨になります。

 明治政府は20年8月、気象台測候所条例を公布し、内務省告示により福井県に測候所の設置を指定しました。これを受けて明治22年と27年に福井県議会に予算提案されましたが両年とも見送られました。当時は国営ではなく県営でした。

 福井測候所が設立されたのは時代の流れもありますが、直接的には、明治28年7月から8月にかけての大雨により、大水害と山岳崩壊など全県下に及ぶ未曾有の大災害です。これによる死者は119人、行方不明28人、負傷者44人であったと記録されています。直後に開催されました臨時県議会において、測候所設置が承認されました。業務を開始したのは明治30年1月1日です。

 「気象災害年表」によると、1945年以降最も豪雨により被害の大きいのは1953年(昭和28年)1124人の犠牲者を出した「南紀豪雨」です。住屋の全・半壊・流失は1万戸を越し、床上・下浸水は8万6千余りでした。

 1945年からは気象災害が頻発し、9月の「枕崎台風」死者3756人。10月の「阿久根台風」死者451人、1947年「カスリーン台風」死者1930人。災害を未然に防ぐ為に、全国的に観測網が整備されるようになりました。アメダスの前身である、無線ロボット雨量計が大河川の上流の山岳に展開されました。

 ※梅雨前線 天気図に出てくる前線は、雷や突風・強雨・気温の急激な下降をもたらす「寒冷前線」、しとしと雨の「温暖前線」、低気圧が発達して末期を迎えるころ、寒冷前線が温暖前線に追いつき三階建てになった「閉塞前線」、寒冷前線と温暖前線の性質をあわせもつ「停滞前線」、初夏や初秋に現れる停滞前線を「梅雨前線」とか「秋雨前線」と呼んでいます。

 梅雨の現象は昔から知られており、梅の実の熟する頃の雨だから梅雨と言うのが一般的の説です。この頃雨季になるのは世界的に珍しく、極東地域の特徴です。その原因については、明治から大正にかけて気象学者間で大いに論争されました。昭和に入り第二次世界大戦の後になると、高層気象観測のデータが各国でオープンになり、ジェット気流も解析されて梅雨前線の立体的な構造が明らかになってきました。

 ※豪雨 気象庁が作成した1945年以降の「気象災害年表」の最初に「豪雨」と出てくるのは、1953年の南紀豪雨です。豪雨命名の考え方は、顕著な被害で具体的には家屋損壊等千棟以上、浸水家屋1万棟以上としています。また、雨による大災害が起きても、起因が台風の場合は「伊勢湾台風」などとして豪雨は使っていません。

 1941年の太平洋戦争から1945年の終戦までは、戦意高揚のため国民に不安を与える災害記事は検閲でボツになりました。1944年12月の東南海地震(死者・行方不明1223人)。1945年1月の三河地震(死者・行方不明2306人)は気象台が調査しましたが、報道されませんでした。そのような訳で、精査された統計は1945年以降となります。

 気象庁のエルニーニョ監視速報(7月10日発表)によると、6月の実況ではエルニーニョ現象は発生しているとみられ、冬まで持続する可能性が高いとなっています。北陸地方の3カ月予報によると8月は平年より晴れが少なく、ぐずつく時期があり、気温は低めとなっています。9・10月は天気が周期的に変わり平年並みと予想しています。梅雨末期の大雨により西日本では被害が続出しています。豪雨には万全の対策が必要です。災害非常時の物品の点検をいま一度確認しましょう。

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