☆みんなで楽しんだ磯遊び!

 7月11日の磯遊び。悪天候続きの中で誰もが心配していた天気や、前日までの海の荒れも当日には見事に治まり、ちょっと曇り空のあまり暑くないまさにふさわしい好天候に恵まれ、無事楽しく行うことができました。

 NPO法人農・ネットの方々のご協力をいただき、‘磯遊び’としての行事として取り組んだのは今回初めてのことだったのです。

 初回とはいえ、親子教室に来られている親子の方々、親子教室を巣立たれた親子の方々、保育園時代にシュノーケリングに参加した小学生の親子の方々、予想を上回るたくさんの方々が参加され皆さんとても楽しんでおられました。

 何よりもうれしかったのはたくさんのお父さん方の参加でした。お子さんと一緒に磯遊びを充分に楽しまれていたようです。(参加できなかった方は福井新聞のホームページ動画をクリックして見てくださいね)

☆小さい頃から自然な雰囲気で海に親しんできました

 これまで私たちの親子教室では、毎年春と秋に2回は赤ちゃんを含む1,2歳の小さなお子さんを連れて海や山に出かけていたのです。海では主として健康の面から海風にあたること。砂の上を素足で歩くことを目的として。

 しかし、1歳の時には絶対に砂に足をつけようとしなかった子が、3歳になった今の磯遊びでは、岩場にできた自然のミニプールの中で泳いでいる小さな魚を、腰まで水につかりながら追いかけている姿に驚かされるとともに、とても感動しました。ちなみにそのお子さんは、その前日も家族で海に行ったそのときにはまったく海に入ろうとしなかったそうです。ところが当日は「うみ たのしかった!またこよう」という本人の言葉が聴けてジーンときたというお母さんからの感想メモも届けられました。きっとみんなで遊ぶ磯遊びだったから楽しさもみんなに勢いづけられたのかもしれませんね。

 保育園時代にシュノーケリングをやっていた子達はシュノーケルの道具は既に自分たちで揃えてあって、日頃家族でシュノーケルを楽しんでおられるとのことです。久しぶりに会って小学も高学年とすっかり大きくなったその姿に頼もしさを覚えました。
 
 せっかくの機会。久しぶりのお一人お一人や初対面のお父さん方ともゆっくりとお話する時間がもてなかったことがとても残念なことでした。参加した保育士に後日、海の経験を聞くと、一人を除いたすべての保育士が「プールでの泳ぎは習ったので、プールでは泳げても、海では怖くて泳げないので海にはほとんど出かけない」という答えに今の時代に育つ人たちの実態を突きつけられた思いが致しました。

 私たちの園では年長児になると毎年川遊びにも出かけます。その年の天候や状況に合わせて県内外の‘どの川の、どこで’を決めることも私たちにとっての課題なのです。実際、川選びもなかなか大変なのですよ。福井にはこんなに美しい海や川がいっぱいありながら実際にはその美しさ、楽しさを知らない人が多いとすれば・・・ですね。 今回ご指導くださったNPOの方々や、越前の海の少し沖合いをよく泳いでいるという人の話しによると亀島近辺の海はとてもきれいだそうです。今回の磯遊びがさらに発展し、みんなでシュノーケリングでちょっと沖に繰り出して、美しい越前の海を堪能するそんなことも夢ではないかもしれませんね。

☆小学から中学初期にかけての子どもの成長Ⅱ

 さて先回に続いて、幼児期に次ぐこの成長期についてみていきたいと思います。

 幼児期においては「そのエネルギー(生命力)のすべてが徹頭徹尾‘体作り’(身体の諸器官を特定の形態にまで発達させ、それらの器官の組織構造に特定の方向づけを与える)に使われる」ということが原則でした。

 小学から中学初期にかけての子どもの成長は「‘体作り’に使われていたその生命力のほとんどが、体作りから開放されて、‘生命体’そのものに働きかけることができる時期」だというのです。

 これらのことは教育者(大人)の観点から子どもの成長の状況を推し量り、理解しようとするだけではその意味は表層的にしか捉えられないように思います。自分がその成長期にはどうだったのか、その成長期の自分のありように正しく置き換え、重ね合わせ思い起こしながら考えていかなければその深い意味を捉えることが難しいようにも思われます。

‘生命体’に働きかけることにより学習したり、記憶力、良心、習慣、性格などが育成、発達させられるというのです。私たちはどんなときに生き生きと元気になったり、生きる気力がなくなったりするのでしょう。どんなときに記憶力がよくなったり衰えたりするのでしょう。この成長期に限らず、多くの人が身を持って経験していることのなかに、この成長期を理解する手がかりがあるかもしれませんね。

‘生命体’の力は抽象的な概念によってではなく、生き生きとした細部にわたっての具体的なイメージや比喩によって、あるいは意味のあることによって正しく働きかけられ、発達するというのです。

 『生き生きとした感情がその「生命体」の育成を活発に促進することになるので、この成長期にある子どもたちにとって大切なことは、「人が勝手に作り出したことがらからではなく、教育者(大人)が心からはっきりと信じることのできる「事柄の本質」から取り出された「事実」としてのイメージや、比喩を語り手として生徒に流すことのなかで、その‘生命’が子どもの心に生き生きとした深い印象を与え、それが感情となり、熱となり、情緒となって子どもの心を満たすということが大切だといわれているのです』

 幼児期の子どもの特性である「模倣性」に対して、私たち大人がその子どもの環境としての「よきお手本」とならなければなりませんでした。しかし、小学から中学初期の時期の子どもにとっては、“子ども自らがつき従おうとする大人の「権威」との出会い”が大切だといわれています。
 「権威」というと、一般にはあまり良い意味ではなく、むしろ悪い意味に使われることのほうが多いように思えます。しかし、ここで使われている「権威」という意味は、外から押し付けられる「権威」という意味ではなく、「大人に対して“子どもに自ずと生じた限りない尊敬と信頼の思いを持って仰ぎ見ることのできる”という意味での権威ということです。その大人の「権威」との出会いが必要な時期だというのです。

 尊敬や敬い、信頼する感情もまた生命体を正しく成長させる力となるというのです。これらの感情で表される「権威」を、自分の先生(大人)に認め、その人を仰ぎ見、その「権威」に付き従うことのできる子どもは恵まれた人であって、逆にそうした人との出会いをもてなかった子どもはその後の一生にとって大変な不幸であるとさえ言われるのです。

 この「権威」は直接の「人」との出会いのなかだけにあるのではないというのです。たとえば歴史上の偉人たちの中で、手本となるべき人の生き方が歴史の中で子どもの良心その精神生活に決定的な方向付けが与えられる場合です。また実際に存在しなくても、小説や物語の中の登場人物であってもかまわないのです。

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