思春期の時代を考えているちょうどこの9月に、高校時代の同窓会がありました。今回は私たちのクラスがそのお世話役にあたっているということで日頃の罪滅ぼしも兼ねて久しぶりに参加しました。

 思春期の最なかであった私たちの高校時代を思い起こすには良い機会でした。しかし、進学高でもあり、とりわけ女子の数の少ないクラスでもありましたので、クラスで何か打ち解けて話し合うという機会もなく、優秀な人はトイレに行く以外は席を立たなかったという印象が残っているくらいでした。その言葉使いからどの先生も生徒に対しては一目置いていたことや、信頼されていたことが感じ取られていました。

 しかし田舎から出てきた私には、そうした先生たちともあまり関係のないところにいたように思います。授業も印象に残るというよりはその量や速さの中でどこまで理解していたのかいなかったのかさえ記憶にないのです。あまり思い出もなくあえてクラス会に行きたいと思う要素の全くなかった時代のようにおもってきたのです。

 ところが、それぞれ長い人生を歩んできたなかでの再会だったからでしょうか。お世話役といってもそのすべてはお互いまだ忙しい身であることを知ってか、いらないところに要らない時間を割かない配慮から、男の方で細部にわたっての準備をしてくださっていました。当日、司会進行をということでしたが、その場の雰囲気を知らない私のために負担をかけないようにかその下書きもすべて書いてありました。当日筋書き通りには行かないところも、阿吽の呼吸で進めることができたことはさすがと思いました。役目が終ると皆さん労をねぎらってくださるそのやさしさに、本来の皆さんのありようはこうだったのだと皆さんの高校時代には隠されていた本質に改めて触れることができた思いが致しました。

 今の高校生はどうなのでしょう。思春期も成長の一時期として人生の大切な一コマです。進学という名の元で一色に色塗られることなく意義ある時期として充実して過ごすことができるよう配慮ある世の中であってほしいと心から願うのです。

 ひとまず子どもとしての成長についての概要はここで終え、次回からは、日常の実際の子育てにおいて生じている問題に目を移してご一緒に考えていきたいとおもいます。(参考図書:シュタイナー教育を語るー角川選書)

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