先日も、2歳にもなるともうそろそろ保育所に入れたいのですがという相談を受けました。おうちでお子さんを見ることができても、周りの人はみな幼稚園や保育所に行くのでうちの子だけ親と家庭にいると遅れていくのではないかとか、子どもは子どもの専門家に任せるのが一番といって、手っ取り早く入所を希望する人も少なくありません。

 また、特に福井は女性が働くことにおいて全国一だといわれています。子どもを見ながら家でのんびりしていると「楽している」と周りから見られるのだともいうのです。そして成長するにつれて、その「遅らせてはならじ」という思いは高まる一方です。

 子どもはまだ小さい間は純粋です。子どもにとって親は絶対的な存在です。親の言うことには素直に従います。親の子を思う思いとしての「遅らせてはならじ」の実行に素直に従います。そして習い事に、塾にと拍車がかかってくるようです。

 そんな親御さんの姿を客観的に見ていると、世の流れに駆り立てられるということもあるのでしょうが「社会への(それなりの、あるいは優位な)適応」という目標を目指して子を走らせ親も走るそんな世の中一般のありようがひたすら「走る姿」として見えてくるのです。

 先日2歳になる孫のお守りを頼まれました。その日は親子教室で「健康の森」の山に入って遊ぶことになっておりました。「健康の森」は今紅葉の真っ盛りで真っ赤に色づいた桜の葉っぱが当たり一面に落ちていました。孫はその落ち葉を“いっぱい、いっぱい”といってひとしきり拾って遊んでいました。

 そのあと何本も枝のある枯れ草の幹を見つけ、箒のように辺りを掃いてみたり、高くかかげて桜の葉に届かせてみたり、剣にして私をめがけて突き刺してきたりとその枝一本でその世界を楽しんでいました。

 日頃虫に目がない孫は蜘蛛やこおろぎを見つけると、その枝どころではなくなり、蜘蛛の巣の真ん中でじっとしている蜘蛛に触ったり、逃げようとする蜘蛛のあとを追いかけ見失うと、こおろぎを追いかけてつまんでみたりとまた虫の世界に入り込んで夢中です。

 そろそろみんなが集まる時間になったので集合場所に行くと、そこに設置されている遊具が目に入ったようです。遊具を見つけるとまっしぐらに駆け出し、はしごを登ったり、ネットを歩いたり、滑り台をしたりと、今度は遊具に夢中です。少々危険性のある困難なところにも果敢に挑戦してクリアーしていきます。そんな孫の遊ぶ姿を見ていてその遊びの大きな違いにふと気付きました。

 そのことをあとで親子教室のお母さんたちと話し合うと、「日頃、私たち親は意識しなくても、つい能力的に何かができることを小さいときから優先させて子どもにさせてしまいがちなのですね」。と遊具で遊ばせるということも運動能力を高める遊びを優先させていたのだとみんなで改めて気付いたのでした。

 世の中には大人が子どものために良かれと思って作られたさまざまなたくさんの遊具があります。中には子どもを育むうえで欠くことのできない素晴らしいものもたくさんあります。

 しかし、自然の葉っぱや、枯れ草や、虫たちと遊ぶ遊びには遊び方次第でいく様にも広がりそこには限りがないように思われます。固定遊具においては、その遊びには限りがあり、ある段階になってマスターしてしまえばもう興味がなくなっていく遊具も少なくありません。

 このことから思い出されることがあるのです。昔は大人が子どものために考えて作られた遊具が今の時代ほど多くはありませんでした。滑り台などもちろんなかったとおもいます。

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