先日、孫の登下校に付き合う機会がありました。そのとき何気なく持ったランドセルの重さに思わず驚き、こんなに重かったのだ・・・と、その重さに初めて気がつきました。まだあんなに小さな体にこんな重いランドセルを毎日しょっているのだ・・・と、つい思ってしまいました。

 皆さんは知っておられましたか? お子さんが担いでおられるランドセルの重さを。もし知っておられたとしても、概念としてランドセルとはそういうものだぐらいに受け止めがちでは・・・。または、それは仕方がないことと思っておられる方も・・・。なかには「それしきのことは・・・子どもは鍛えなくっては弱い人間になってしまう!」と思っておられる方も・・・。でも、大人の私たちが、自分の体が小学1年生のように小さくて、毎日そのランドセルを背負うとなるとどうなのでしょう?

 そのランドセルの重さから思い起こされることがあるのです。まだ保育園時代の、体も特に華奢なお子さんでした。ご家族にとって、かけがえのないそのお子さんは、何も知らないままに親御さんの期待を背負って、今日はスイミング、今日は英語、今日は体操教室へと通っているのだそうです。おもわずそれは大変ですよ! と言ってしまいました。そんなことよくありませんか? 

 さて子どもとの関わり方にはいろいろな関わり方があると思います。『シュタイナー教育を語るー角川選書』の著者・高橋巌氏によりますと、その関わり方には基本的に大きく分けて二通りあるそうです。

◆人間の子どもも産まれた時は他の猿や犬や猫と同じような動物に過ぎない、だからできるだけ外から枠をはめて、その枠内で子どもの人格を作り上げようとする考え方に立つ立場。

◆人間は大きな運命の導きに従って、一人ひとり違った課題を背負ってこの世に生まれ、そして善なる意志の力でその課題に応えようとしているので、それぞれの子どもの中にすでに潜在的に存在しているそのような可能性をできるだけ傷つけないで、大事に育てていくことが教育だという考え方に立つ立場。
 
 一方は、外側から優れた「彫刻家」のように手を加えてよい形に整えていかないと立派な社会人になれないという考え方に立ちます。もう一方は、彫刻家ではなく「園芸家」のように、種の中にすでに美しい花を咲かせる力が内在しているので、その種に必要な土地や、熱、水、光、空気を通して、内から成長させていくことができれば必ず美しい花を開かせることができるという立場です。