もう12月、月日があまりにも早く経って行くことを‘まるで坂を転がるように・・・’と表現しますが、まさにそれを実感する毎日です。

 この間のことと思っておりましたがそれは既に10月のことになってしまいました。孫がお世話になっている学校の3年生の国語の教科で ‘ちいちゃんの影送り’という単元があります。そこでは戦争についての最初の学びの導入として ‘ちいちゃんの影送り’というお話が取り上げられているのです。戦争についてはこれから学年が進むにつれて、更に詳しく学んで行くのだろうとおもいます。戦争を直接体験したことのない子どもたちに、この単元を少しでもリアルに理解させるためにでしょうか、学年便りを通して「その単元に関する体験や資料」の協力を求めておられました。

 第二次世界大戦終戦後、「玉砕島テニアン」と美しい言葉で彩られたその「テニアン島」で私は生まれたのです。テニアンはグアム、サイパンに隣接している小さな島です。広島や長崎に投下された原子爆弾は奇しくもそのテニアン島から飛び立っているのです。まだそのときには私は1才に満たない年齢でしたので何もわかりませんが、誕生した島であることをきっかけにテニアン島を何度か訪れることができました。

 いつも島を訪れるときは、戦前テニアンやサイパンに暮らしていて、それらの島々にはとりわけ深い思いを抱きながら戦争となり、海から、空から、そして陸からの襲撃のなかを逃げまどい生き延びてこられたたくさんの人たちと一緒させていただきました。

 テニアン島で行われた戦後60年の記念式典の折、私の横で参加されていた二瓶寅吉さんという方は初対面の私に「加藤さん、私は母親を殺してしまったんだよ」と心から振り絞るような声で突然告げられました。私はそのことを既に充分知っていました。重い十字架を背負って生きてこられたその思いが横に立っていてひしひしと伝わりましたが二瓶さんに返してあげる言葉が見つかりませんでした。そして昨年亡くなられたのです。

 ご一緒させていただくと今の日常生活では全く想像だにできない話ばかりです。二瓶さんだけではなく、逃げ切れなくなって家族が家族を殺さなければならないそのときの悲惨極まる状況などについてどれだけ聞かせていただいたことでしょう。テレビ等でもでもよく取り上げられてきております。しかし、それはまだまだ表面的なものでしかないのです。どれだけたくさんの方が言葉に表すこともできない辛い思いを胸に秘めたまま亡くなっていかれたことでしょう。そうした出会いやそのことに関する資料も私は多少なりとも持っておりました。

 しかし、私が見聞きしてきたことは、3年生の子どもに話すにはあまりにも悲惨すぎることでしたので、あまり内容的にふさわしくないとおもえたのですが、とにかくご連絡だけでもとさせていただきました。

 その結果、子どもたちに直接話をしてくださいと言われ、私が子どもたちに話をすることになったのです。3年生=9歳という成長期にある子どもたちは、まだメルヘンの世界にあって、これから、そうした世界を脱皮して自分の外界を客観視できるようになっていく成長段階にあるといわれます。そうした成長段階にある子どもたちに戦災のさなかの出来事を美しくも悲しいお話として子どもたちの心に届けようとしている内容は、戦争について学ぶ入り口として、本当にふさわしい内容のように思われたのです。

 ですからこの話のなかには、「戦争」という言葉や「戦災」という言葉は一言もまだ使われてはいないのでした。作者の狙いや、そうした成長期にある子どもたちの世界を壊さずに私が聞いた過酷な体験のどのような面をどのように子どもたちに下ろしていったらよいのかと考えておりました。しかしです。開口一番そんな心配は吹っ飛びました。子どもたちは実際の戦争は体験していなくとも、一部の子なのかもしれませんが今時の子達です。アニメやいろいろな情報(あるいはゲームかもしれません)を通して既に戦争に対しての様々な知識を得ているようでした。

 純真な目を私に向けて、真剣なまなざしで私の話しを受け止めようと耳を傾けてくれていた子どもたち。最後に当てられた質問の時間で「どうして戦争は起きるのですか」という子どもからの問いは私の胸に強く刺さりました。ほかにも「どうしてアメリカはテニアンを狙ったのですか?」「紛争と戦争の違いは?」などなどの質問には、3年生になるとでそこまで戦争への関心がもてるのかとただただ驚きでした。

 そうです。子どもから発せられた問いのように、いったん大人の世界に目を向ければ、今、北朝鮮と韓国に絡むアメリカ、中国、日本、ロシアの不穏な状況。「本当にどうして戦争は起きるのでしょうね・・・」そう子どもたちに投げ返したい思いでいっぱいでした。これからのみんなの戦争への学びの中で、ここでの学びを忘れずに、それぞれがその答えを見つけていってもらえたら・・・と、心から祈るおもいでした。

 人間の誰もが持っている悪(エゴイズム)の問題。仏教用語では煩悩。仏教ではこの世に生まれてくるということはこの煩悩があるからであって、そのことを人生という学校で学ぶために私たちは生まれてきているのだということですが。

 海、山、野を流れる小川。本当に恵まれた自然環境の中で信頼する家族や縁者に包まれて育った私が、保育園を営む寺にご縁を頂き、初めに目にした世界。それはまさに突然温室(決して温室ではなかったですが)から寒風逆巻く嵐の中に突き放たれた思いのする人間世界でした。

 「寺」や「保育園」であっても決して心安らぐことの少ない人間世界を目の当たりにして私自身がどうあったらよいのか、どう生きていったらよいのか、そうした人間社会をどう理解したらよいのか。人生の転換期の一等最初に大きな課題として目の前に立ちはだかったのがこの問題なのでした。