筆者も昔は歩行器を使っていました

 這えば立て、立てば歩めの親心、とはよく言ったものです。わが子が出遅れないように心配し、少しでも楽な道、近道があればそれを保障してやりたいのは当然の親心だと思います。しかし、ピクラーは、この親心をぐっと抑えて、今赤ちゃんがやっていることを十分させてやりなさい、赤ちゃんは自分がすべきことを一番知っているのだと言いました。まだ自分でお座りできない赤ちゃんを、椅子やクッションで固定して座らせたり、まだ歩けない赤ちゃんを歩行器に乗せることは、赤ちゃんが今発達させている体や知能の健常な働きを妨げると言います。幼い子どもにとって、より早く、は害になることが多いのです。早く歩けるようになった子がだめだというわけではありません。自然に早い子はいます。ただ早く歩いてほしいと思って、今ハイハイしている子を立たせることが害になるのです。そしてゆっくりペースの子はそれでいいのだと急がせず見守ってくれる大人が必要なのです。 そのために、まず、部屋を片付け、必要ならゲートを取り付け、広く安全な空間を準備しましょう。「ここは来たらダメ! それはさわっちゃダメよ!」と赤ちゃんを叱る必要のないように! 安全な空間とは、ピクラーの弟子マグダ・ガーバーによれば、“赤ちゃんだけで、一日中家に閉じ込められるような事態が起こっても、命の危険がない環境”だと言います。寂しくて、お腹がすいて、オムツが汚れて、おもちゃが全部ソファの下に行ってしまって、赤ちゃんが大泣きしているとしても、命には別状なく居られる空間、そこまで徹底して安全を追求して初めて、大人も安心して赤ちゃんの自由な探索・遊びを見守ることができるのです。 ソフィアズ・ハースで学んでいる間は目からうろこの連続で、学びながらこれまでに犯した間違いで罪悪感にさいなまれることたびたびでしたが、先生達はこの知識はまだ新しく知らない人が多い、これを武器に他人を傷つけてはいけないし、自分も傷つけてはいけない、とよく言いました。しかし、例えば歩行器ひとつを見ても、登場してから久しく、私自身も歩行器に乗った写真がありますし、今でも広く使われているのを見ると心が痛みます。だからと言って、私の両親や今歩行器を使っている親御さんたちを責めるつもりはありません。私も知らなければ、親心で子どものためを思ってきっとそうしたでしょう。今これを読んでくださっている皆様も、どうぞご自分を責めないでください。「知識を得ることには責任が伴う」--最近、娘の通うシュタイナー学校の保護者会で聞いた言葉です。私が得た知識に伴う責任とは、私にできることは何か、それを考えながら、赤ちゃん時代・子ども時代を守ろうと考えてくださる人が増えることを祈って、これから少しずつ書いていきたいと思います。

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