孫たちが小学生になっても今でも大好きな絵本があります。

それは読んでもらうというよりも、夜眠る前に、書かれてある詩に耳を傾けながら、描かれてある不思議な絵を見ているうちに夢の世界に誘われ眠りにつくといったほうがふさわしい絵本です。

あるシュタイナー幼稚園’のバザーで出会えた『Wenn ich Abends schlafen gef 』というドイツの絵本です。

子どもが夜眠ると天使によって夢の世界に導かれ、そこでたくさんの天使に出会って元気をもらってまた朝になると大好きなお母さんの待つ地上に戻ってくるというストーリーです。

朝の目覚めの良し悪しはその人の現在の精神状態のバロメーターでもあるということをずっと以前ある講座でお聞きしたことがあります。

幸せな良き現実の中にいれば、誰しも夢ではないかと頬をつねって確かめ、いつまでも覚めないでほしいと願うものです。しかし、不幸な現実に置かれればどうぞ夢であってほしいと願うものです。

いまだに目途の付かないことが多い今回の東日本大震災、大津波、そして福島原発の大惨事に心痛む毎日です。まさにこれが夢であったら・・・と誰しもが思わずにはいられない状況に日本が置かれているのです。

広範囲な被害を受け、大変悲惨な状況に置かれている多くの被災地に、国内に留まらず、世界各国からたくさんの、なかには自国では食べるものさえ大変な国からさえも温かい支援が寄せられていることが伝えられております。そして日々気を許すことのできない福島原発の状況や日本の対応に、真剣で心強い救援と共に、峻烈なまなざしも向けられているのです。

原発の危機的状況から一刻も早く脱し、安全な状況への収拾のために日夜大変危険な中で我が身を顧みず、努力されておられる方々の安全を祈らずにはいられません。

福井は直接の被害からは少し距離があるからでしょうか、それほど深刻に受け止めるまでにはいたっていない方もいるように思われますが、それでも日々伝えられる情報に誰もが心重く、心痛む毎日だとおもいます。

・仏教世界では“世間虚仮”という言葉があります。私たちは感覚で捉えられる現実世界こそ真実の世界と信じて一生懸命生きているのですが、この現実世界はすべて仮の姿であって本当の世界ではないと捉えるのです。

・さらに、「今、目前に私の周りに見ている外界を<世界>という。<世界>とは、もともと仏教の言葉である。<世界>は、私を離れてあるのではない。私の内面の<こころ>が、あたかも外に実在するもののような形となって現れたものである」(唯識の読み方-太田久紀著-大法輪閣)とも捉えられているのです。このことは、自分にとって特に大変辛い状況や悲しい状況に置かれた場合にはとても認めがたいことでもあるのですが。

現在ではテレビやラジオ、そして、インターネット、メールなど様々な文明の利器を通して、そして新聞を通して、国内に留まらず世界各国からの様々な情報が飛び交います。

世界各地の人々によるそれぞれの地においての深い祈りや、数多くのメッセージなど、心温まる支援の情報に胸が詰まる思いがしたり、また不安や恐怖にかられる情報に足がすくわれそうになることも。

私の小さなパソコンでもあふれんばかりの情報が行きかいました。

その中でもすばやい対応で‘うんちく’にもメッセージを寄せられたニュヨーク在住の丹羽さんは今回の災害で心深く傷ついたお子さんに向けての、いやお子さんだけではなく必要とする大人にとってもとても素敵な“おはなしのいずみ”というホームページを立ち上げられました。間もなくご覧になれると思いますので、ご覧になった方は知り合いにもお知らせして、こうしたお話を心から必要としている多くの魂に届けるお手伝いをしていただけませんか?

ドイツからは、私たちが大変お世話になったキリスト者共同体の司祭、ミヒャエル・デーブス氏から今回の災害に対して日本に向けて深いメッセージが寄せられております。あわせてご覧いただけたらと思います。“お話のいずみ”もデーブス氏のメッセージも「アントロポゾフィ-フォーラム」で検索してみてください。

本格的な人生が始まってからこれまで、しばしば心の中を重くよぎる、なにか捉えところのない不安や恐怖。この不安や恐怖は一体何なのか、どこから来るものか。そしてそうした不安や恐怖を乗り越えるすべはあるのか。そうした思いのなかで必然として?(この世に偶然というものはないということですので)一冊の本に出会うことができました。

この本は子どもとかかわるうえで教育者や親御さんにとっても必読書ともされてきていますので、いつか時期が来たときには皆さんにもそのことを是非ご紹介したいと思っていたのです。こうした状況下においても子どもの傍らに寄り添う大人のあり方としてもきっと皆さんのお力になると思いますので、そのなかの一つを書かれてある言葉でご紹介したいとおもいます。

「内的平静の瞬間を確保し、その時間の中で本質的なものと非本質的なものを区別することを学べ」

内的平静さをもって達観するとき、本質的なものが非本質的なものから区別される
というのです。そして苦悩も悦楽も、どんな思考内容もどんな決断も、このような態度で自分に接する場合、別の現れ方をしてくるようになるというのです。

そのためには一日わずかな時間でよいので、自分の経験や行動を、自分のではなく他人の経験や行動であるかのようにみなすような捉え方をするようにしていく。自分が体験する一切をより客観的な観点から見るように心がける日常生活とは異なる時間を持つようにするというのです。

人は通常、他人の経験や行動を、自分の経験や行動とはまったく別様に客観的に観るものです。なぜならたとえ深刻な運命の打撃を受けた場合でも、自分の経験や行動は自分を巻き込んでしまうものだが、他人の経験や行動はただ観察しうるだけだからです。

しかし、それはあくまでも一日のわずかな時間であって他の時間はそれまでの生活と変わりなく日々の稼業に従事すべきだというのです。

すると、一日のわずかな時間の中の「内的平静」であってもそれが日常生活にも働きかけるようになり、自分の中に今までの捉え方とは全く違った新しい世界が現れてくるようになり、こうした瞬間がどれほど自分の力の源泉になっているか、日々の課題のための充実した力になっているかに気づくようになるというのです。しかも、人間全体に落ち着きが、個々の行動に確かさがより加わり、もはやどんな突発事件によっても取り乱したりしなくなり、外的事情や外的影響の支配を受けずに自分を統御できるようになるというのです。

こうした捉え方を自分の習慣として身につけるようにすると、これまで怒りや不安、恐怖、臆病を呼び起こしてきた無数の事柄に出会っても、これまでの気力が削がれたり、萎えさせられたりするマイナスに働く考えに変わり、こうした不動なる心によって開発された力によって、人生を更に充実させ、促進させるようなプラスの力となって現れてくるということです。

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