2011年3月11日の「東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)」により福島第1原子力発電所が損傷を受け、原子炉建屋から放射能漏れが続いており、終息の気配もなく今後の推移が世界の注目をあつめています。この事故は単に日本国内にとどまらず、おもに北半球全体に影響を及ぼす恐れがあるからです。

 日本はいままでに3回の大きな放射能被害を受けました。昭和20年に広島と長崎に原子爆弾が投下され、街の破壊と多くの死者がでました。昭和29年3月にはマグロはえ縄漁船「第五福竜丸」がマーシャル諸島で操業中に、160km離れたビキニ環礁で実施した米国の水素爆弾実験の放射能を含む「死の灰」により乗組員23人全員が被爆し、久保山無線長は半年後に「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」という言葉を残して亡くなりました。

実験の2週間後には日本各地で貿易風で運ばれてきた強い放射能雨が降り出したため、気象研究所が中心となって観測を始めました。日本付近へは上記以外に、ソ連は1949年から、中国は1964年から大気圏内の原爆実験をしており、放射能塵は偏西風により飛来していました。さらにフランスは、1960年のサハラ砂漠で実験し、雨水の放射能測定と気象解析の結果、約2週間で日本上空に達したことが分かりました。

 第五福竜丸事件後、日本学術会議が主体となって放射能調査計画が進められ、「気象官署は全国的に専用の通報網を持っていて情報の収集が迅速であり、定常的な観測に豊かな経験を持っている技術者を抱えている」という中央気象台長和達清夫の意見が反映して、昭和30年4月から全国で14の気象官署が雨水と浮遊塵の放射能観測を始めました。

東京管区気象台管内では、輪島と八丈島測候所で観測しました。輪島測候所では1969年からモニタリングポスト(自動空間線量測定装置)による観測も行われました。筆者も八丈島測候所で雨水放射能観測に従事しました。放射能が多いのは雨の降り始めであることから、降り始め1mmの雨水を採取し、赤外線ヒーターで蒸発させて試料皿にいれ、放射能値をガイガー・カウンターで測定し、中央気象台へ報告しました。

余談ですが、当時は夜間でもはっきり判る「蛍光時計」を使用していました。気象観測員は深夜の仮眠中に地震や発雷があると先ず発生時刻を記録しなければならず、暗闇でも読み取れるからです。原理は文字盤の蛍光塗料に放射線を出す物質を混ぜて発光させていました。

この時計をガイガー・カウンターで測ると雨水の放射能をはるかに上回る数値が出たのに驚き、その後使わなくなりました。

※貿易風 太平洋中部の低緯度は高気圧からの東風が通年吹いており、フィリピン付近から北上して本邦付近に達する。帆船時代に付けられた名前。

※降り始め1mm ガラス容器の中に中空のガラス玉が入っていて1mmの雨水が入るとガラス玉が浮いて口を塞ぐ。

※東京管区気象台管内 新潟・福井・三重・茨城県で囲む1都16県。

※雨水放射能 雨粒は核になる塵や飛散した海水の塩などに水蒸気が凝結してなる。雨は純粋の水だけではない。

※ガイガー・カウンター ガイガー=ミュラー計数管。ドイツのハンス・ガイガーとヴァルター・ミュラーが1928年に開発した放射線量計測器。

 1974年3月に米国のスリーマイル島の原子力発電所は炉心が45%溶解する事故を起こし、1986年4月にはロシア(当時はソ連)のチェルノブイリ原子力発電所が事故を起こして放射能を世界にまき散らし、原子力発電施設の安全性が強く求められていました。

 気象庁の放射能観測は主に原爆実験の影響を監視する目的でしたので、大気中の実験が部分的核実験禁止条約の締結により禁止されたため2006年には中止されました。