「ばあちゃん、公園にいっぱいつくしが生えていたよ。とってきたら!!」
孫に言われて、もうそんな時期になっていたのかと思わず急いで外に出てみました。

今年の春は奈良のお水取りが終わっても、いつまでも寒い日が続き、春の訪れがとても遅く感じられていました。そして大震災。すっかりそのことに心を奪われていて、春になっていることさえも気付かなかったのです。

季節を先駆けてまだあちらこちらに残っている雪の間から顔を出すふきのとう。いつもは少しつんできて、ふきのとう味噌を作り、香りを味わうことから春の訪れを楽しんできていたのですが、今年はもうとっくに顔を出し、今ではすっかり花が開いてしまっていたのです。

ふきのとうに続いてよもぎや、つくし。畑のふちや近くの堤防に出かけ、かごいっぱいに摘んできて、よもぎ餅やつくしのきんぴらなどにしていただくのです。

孫が教えてくれたお勧めの公園ではなく、近くの堤防に孫たちと摘みに出かけました。まあ生えていること、生えていること、子どもの心にかえってわくわくしてしまいました。なるべく犬の散歩で汚されていない所のものをと配慮しながら摘みました。

いいなぁー、自然は。そしてこんなに自然が豊かな日本にあって。こうして忘れていても春は忘れずに訪れ、しかもこうした自然のたくさんの恵みを携えて。

しかし、吹く風を体に受けたとき、思わずつくしを摘む手が止まってしまいました。福島原発によって汚染されたという地域の野原のことに思いが至ったのです。今まで当たり前のことであった自然の恵みに対して、絶対的信頼で喜べなくなったり、安心して手を差し伸べたりすることができなくなったのです。それが日本の地でです。

東北地方といえばどんなに自然に恵まれていることでしょう。その地にも、もう春は来ていることでしょう。その地の野にも、もっともっといっぱい、いっぱいのよもぎやつくしが生えていることでしょう。しかしその地では、よもぎやつくしをこうして子どもたちと摘むことはもう当分は(いつまでのことなのでしょう)できないのです。

そのことに思いが及んだとき、胸が締め付けられる思いがし、手が止まってしまったのです。こんなに豊かな自然が自慢の日本で、放射性物質によって自然が汚染され、その自然に手を差し伸べることすらできなくなってしまったとは・・・。

今回の福島原発事故により、これからの私たち一人ひとりのエネルギーへの対応が問われています「節電」という言葉も叫ばれるようになりました。

「節電」という言葉で以前に耳にしたことが思い出されました。若い人が仲間の人に話していたことです。「暑い夏には、冷房を、がんがんにつけて厚い布団を着て寝たときほどに、朝起きるときに気持ちのいいことはない」というのです。一人だけではなく別のところでもこれと同じことを耳にしました。若い人には、こんなことまで流行っているのだと、そうしたことがなんのためらいもなく平気で言い合えることのなかに、今の時代に育つ人の考えや行動が感じ取られ、そのギャップにとても驚いたのです。

そして、広島、長崎への原爆投下機、エノラ・ゲイ号が飛び立った島、テニアンの元市長のフイリップ・メンデオラ氏の言葉が懐かしくおもいだされてくるのです。

初めてテニアンを訪れることができた時、そのメンデオラさんが、私たちがホテルに着くのを待っていてくださいました。そして夜には歓迎パーティまでも開いてもてなしてくださったのです。

私が福井から来たことを知ると、「私も福井の敦賀へ行きました」。と言われ、そのときには、それ以上は多くを語られませんでした。ようやく訪れることができたテニアンが、アメリカの軍事基地となるだろうから、もうこの島には皆さんは来られなくなるかもしれないと言われ、ようやくテニアンに来れたのに、もう来れなくなるとは・・・と悲しい思いについ涙がこぼれた私に、「この島で生まれたあなたはこの島に住む権利があるのです」。と温かい言葉をかけてくださったのです。

このことに対して後日知人は「権利」ではなく、それはあなたにとっての「義務」だと言われるのです。

30年も前になるかと思います。福井の市立図書館の書棚で偶然に見つけた「玉砕島テニアン」という本。その本の著者、石上正夫先生によって、テニアンに行けるようになったのです。その石上先生は、1987年10月に『海と星と太陽と』という本を書かれています。後になって、これら先生の著書で故フイリップ・メンデオラさんの多くを知ることができました。大変親日家であったことも。

そしてそのなかに書かれてあったメンデオラさんの言葉がずっと心に残っていたのです。

『「私がとまった東京のホテル・パシフィックのまどからみた夜の東京は、光の海でしたね。日本は世界で一番あかるい国じゃないですか。
いまある原発のゴミで困っているのに、これから何十倍もの原子のゴミをだそうとしているのですから・・・」
・・・・・
テニアンのパパイヤの木はとても伸びが早い。そのかわりのびすぎるから木が弱くなって、嵐がくると全滅してしまう。日本の国もパパイヤの木のように、パーッと伸びて倒れることも考えられる。日本がパパイヤの木になったら、大変だ。もうこれだけいい国になったら、少し落ち着いて、一服した方がいい』

『1980年10月10日、フィリップ・メンディオラ市長は、北マリアナ連邦の代表として日本にやってきた。
日本政府が原子力発電所からでた「放射性廃棄物」をドラム缶につめて、太平洋に投棄する計画に反対するためだ。
市長は信頼する日本の国民に直接訴えるために、日本にきたのである。
20日、福井県庁をおとずれ、山田企画開発部長に「ぜひ国に計画をやめるよう、県として働きかけてほしい。海洋投棄する廃棄物の半分は福井の原発のものになる」と、強く要請した。山田部長は「国の計画であり県はタッチしていない」とこたえた。フィリップは役人の責任のがれのこたえにいきどおりをおぼえた。
午後は敦賀市庁をおとずれ、ここでも協力をうったえた。福井新聞は「原発の放射性廃棄物/海洋投棄はやめよ/安全信じられぬ/テニアン島/市長/県訪れ協力訴え」と八段ぬきで大きく報道した。
県庁、市庁をおとずれたあと、敦賀原子力発電所を所長の案内でみてまわった。ひろい敷地のまわりは鉄条網がはりめぐらされ、門でチェック、入り口でチェックされた。「箱根の関所みたいですね」皮肉まじりに市長がいう。「これだけ厳重にしているから、絶対安全です」所長はこたえた。「よくわかった。これだけきびしくするほど、原発はあぶない、ということがよくわかった」
この会話は、原発安全神話を妄信する者と、原子力発電がかかえている危険な事実をうれえる者とのずれが、いかにおおきいかをものがたっているといえる。』

(『海と星と太陽と』―あすなろ書房、『南の島の悲劇』-テニアン・サイパンの玉砕ー草の根出版会より)

私たちの子ども時代はその周りには、今の時代のように大人によって作り出された精巧な遊び道具はあまりなく、ただ自然があるだけでした。だから、自然のなかで夢中になって日長遊んだものでした。やさしさ、温かさ、厳しさ、恐ろしさなど様々な力を併せ持った自然。そうした計り知れない力を持った自然のなかで、子どもは育くまれてきたのです。

子どもだけではなく生きとし生けるものはすべて育くまれてきているのです。ですから私たちの時代の親たちは、当たり前のこととして自然のなかに子どもを解き放ち、その育ちにおいても自然にゆだねることが多かったのです。悪いことでもしない限り、その遊びのなかに立ち入って干渉することなどありませんでした。

(次ページへ続く)

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