これまで保育所という仕事柄、いろいろな家庭におけるトラブルのご相談を受けることは多くありました。そのなかで、うまく解決した例ももちろんありますが、長い間には、いくつかの悲しいケースに遭遇しなければならないこともありました。

親御さん同士がより親しくなって誰にも話せないことが、話せる間柄になったとき、そこにはかなり深刻な夫婦間の問題が悩みとして語られるというのです。

私たちの世代までにあった夫の、妻は自分の都合の良い道具にしか思えなかったり、自分の許せる範囲においてしか妻のその行動を許せなかったりする「権威主義」、「権力主義」から来る夫の暴力とあまり違わず、現代の若い夫婦においては協力どころか、かえって精神的コントロールが効かない分、夫の暴言、暴力、DV行為に悩む人も少なくないというのです。

まだ人を十分に見極めることのできない若いときの‘好き’で結婚し、結婚してみてとても一緒に暮らせないと別れる、そうした今日の結婚状況に対して人生二度結婚説を唱える人もいるそうです。

離婚率は年々上昇するばかりで、特に世の中好景気の時には保育園でも離婚家庭は日常茶飯事になっていて離婚といってもさして驚かなくなっていました。

子どものいない家庭であれば傷つくのは当人だけの問題ですむかもしれませんが、子どものいる場合はそのパートナーだけではなく、もろにその子どもも巻き込んでの家庭破壊に及び、その子の心に受けた傷は計り知れないのです。なかには一生にわたってその傷を引きずらなければならないケースなども目の当たりにしているのです。

かといって、絶対に離婚がいけないともいえないのです。

時代の申し子として、何事も理屈で通し、その理屈を言葉の暴力の矢にして相手に突き刺す親。その行動において幼児性が目立ち、必要以上に働いたり、体を動かそうとはしない親。家にいれば飲み食いしたもののからや、空き缶を始末することなく、あたり一面に放置したままの部屋で寝転んでテレビの前から動こうとしない親。親である前に何よりも自分が先に立ってしまい、子どもの面倒を見たり、相手の言い分に耳を貸そうとしない親。あくまでも自分を正当化して何においても自分を通してがんとして譲らない親。こうした親同士が、たとえ世間的には虐待とまではみなされなくても、あけてもくれてもののしりあい、傷つけあっている家庭の中で育つ子どもにとって、それでも両親がそろっている家庭がいいとも決して断定することはできないのです。

◆悲しいケースとの遭遇の記憶

いつのことだったでしょう。ある夫婦家族のことが時折思い起こされてくるのです。確か私がまだ仁愛短大に寄せていただいていた頃のことですから三十年近くも前のことになるのでしょうか。

どちら側からの申し立てだったのかはおぼえていないのですが家庭裁判で離婚が成立し、2人のお子さんの親権は多分経済力において有利だった父親側についたのです。  

その頃は、人生経験が十分ではないまだ若かった私には、親権が父親側についてしまったというその悲しい状況の、そのお母さんにかける言葉も見つからず、ただただ悲しいその結果の思いを2人で唇を噛み締めながら、白い柵でガードされている川伝いの道をとぼとぼ歩いていた光景だけが時折はっきりと思い起こされてくるのです。当時そのお子さんたちは私たちの保育園の園児でした。

‘家の整理が苦手な人が多くなり、ゴミの中での暮らしという家庭も特別のことではなくなりつつある’という今の時代です。必要があってその家庭を訪問したとき、家庭の外も大変なゴミの山で異臭さえも漂っていたのです。ですから家庭内のことは推して図るべしでしょう。どうしてこのような状況に・・・という思いでしばしそこにたたずんだことも記憶しているのです。

裁判の場に実際に立ち会ったのか、そこまでの記憶は定かではないのですが、きっとお母さんからの相談を受けてお母さんに同行したのでしょう。どなただったのかその名前も、住まいも覚えていないのですが、2人でとぼとぼ帰った、その光景だけがときどき思いだされてくるのです。

仁短で私の授業を受講されていた学生さんから、その学生さんの就職先の施設に2人のきょうだいが引き取られているという知らせが入ったのはそれからすぐのことでした。今その方たちはどうされているのでしょう。お子さんたちはどのように成長されているのでしょう。今でも心にかかっている人たちのひとりなのです。

◆褒章で思い起こされたこと

先日主人が40年余にわたっての保護司としての活動に対しての褒章をいただきました。受賞式には夫婦同伴であることが条件となっているとのことですので、私も様々な思いはあったのですが同伴させていただきました。

保護司での褒章は法務省にて伝達式があって、皇居へも伺うとのことでしたので最初の通知では夫婦共々服装は最高の礼服と定められてありました。女性は色留袖でということでした。

褒章については新聞等でよく目にすることではありますが、イザ自分がということになると、一般的なことではないだけに何をどうしたらよいのかわからない世界のことなのです。しかし、これまで国の行事として長年にわたって春と秋の年2回は必ず行われてきていることとあって、その受け入れ準備は、その道の業者の方に連絡をとり、お金さえ払えば、何もかも準備され、身一つで行って、帰れるようになっているとのこと。この世界においてまで!と、そのエスカレーター的行き届きの良さにまず驚きました。世の中万事憂うこと無しです。

受付は法務省で行われ、法務大臣より伝達式が行われました。その日は、前日までと違って東京にしては、涼しい日だということでしたが、震災の影響もあって、世に先駆けて節電に当たっている法務省の地下となっている会議室は、160余名の礼服に身を整えた栄誉に輝く人たちにとっては、待つ時間の長さとその暑さはかなりの修行の始まりでもありました。

ご主人が褒章を受ける方が大方なのですが、奥様の受賞にご主人が付き添われてきておられる方も何名かおられました。褒賞を受けられる方は70歳を超えられた方ばかりです。延えんと待つ時間の長さ。そしてその日の準備のため、早朝に軽めにいただいた食事からすべてが終わった3時過ぎ頃までは一切の食べ物をいただくことのできなかったスケジュール。日頃あまりおなかのすかない私でも着物を着替えるのももどかしいほどにお腹がすいたものです。それに加えて、法衣で臨んだ主人や私のそれぞれの着物をたたんで宅急便で家に送るための荷造り。それが終わった後には、どっと疲れさえ出てきました。褒賞というものは最後の最後まで大変な思いをしなければいただけないもののようです。

これまでの厳しい人生を歩んでこられた方々だったからでしょうか。場が場だったからでしょうか。誰一人苦情を口に出す人はなく、ただただ「暑いですね」と言い合うだけの中で待ちに待つのです。中には途中でたまりかねて、「日本人はなんと我慢強いのか!」と叫んだ方もおられました。宮内庁では立って待つことの長さに「倒れる前に言ってください」と言われましたが、この年代の今の日本人でも多分倒れることに気付くまでは誰もが我慢したのではないかと思われました。

様々な苦楽を伴ったそれぞれのその道を長年にわたって勤めてこられた方々です。それぞれがそれぞれの品格を備えられた方々の集まりであるということもさすがだと思われました。これだけ多くのこうした年齢のこうした方々の集まりに参加できることも人生そう多くあることではありません。

褒賞を受けるということはそれを陰で支えてきた人の助力もあってこそ、という意味で夫婦同伴が原則となっているとのことです。そうです。ここに集まられた方々の、ここまでに至るその背景には、それぞれのパートナーにおいて、あるいはその家族において如何ほどの大変な影の助力が為されてきたことでしょう。如何ほどの耐えがたき犠牲があったことでしょう。こうした褒章の場も含めてそこに男性社会である縦社会の在りようも見えたりもしたのでした。

これまで男性社会(縦社会)を陰で支えてきたのは主として女性社会です。しかし、これからの社会は特に震災後の社会は縦社会の復興ではなく、横社会(人々のつながりによる社会)によらなければならないといわれています。横のつながりとは共生、愛の実現であり、それは循環の思想につながるのだということです。私は“慈しみ”という言葉が好きです。仏教用語として“慈愛”、“慈悲”という言葉があります。

子どもに対しても夫婦に対してもどの人間関係に対しても“慈しみ、慈愛の心”、こうした精神に一人ひとりが目覚めて深まって行く社会であってほしいと願うのです。

今回の何かを説明しようとした弾みにでしょうか「内助の功だよ」と思いがけない言葉がぽろりと主人からこぼれました。多分、初めての終わりの言葉でしょう。「内助の功」思いがけず、突然こぼれ落ちたその言葉にこちらもきょとんとなってしまいました。