観天望気は雲の変化により天気を予想することで、農漁業や海運で古くから使われています。

野中到(※1)は「天気予報が当たらないのは、高層気象観測所がないからなのだ。天気は高い空から変わってくるだろう。・・・中略・・・富士山は3776メートルある。その山頂に気象観測所を設置して、そこで一年中、気象観測を続ければ、天気予報は必ず当たるようになる。だが、国として、いきなり、そんな危険なところへ観測所を建てることは出来ない。まず民間の誰かが、厳冬期の富士山頂で気象観測をして、その可能性を実証しないかぎり、実現は不可能である」。千代子は夫が日ごろ口にしているそのことばを暗記していた。

野中到は私費で1895年 (明治28年)に山頂に六坪の建て屋を作り、薪炭や食料、観測機器を設置して、妻千代子と越冬し、観測は2時間毎に行いました。10月12日に登頂し、過酷な条件のもと夫妻は体調を崩し、東京に帰ったのは翌年の1月12日でした。

当時、富士山より高いところにある観測所は南米のエル・ミスチー山とフランスのモンブラン山でしたが、いずれも夏期しか観測しておらず。富士山での冬期観測は世界記録でした。

その37年後の1932年(昭和7年)に、国際協同極地観測のため中央気象台は富士山頂に測候所を設置し、通年観測を開始しました。野中到はこの年の8月に60余歳の高齢をもって、娘と息子を伴い山頂を極めました。かつて、ともに死線をさまよった妻の千代子はすでに他界し、写真を抱いての登頂でした。

1965年(昭和40年)には山頂にレーダーを設置し、気象衛星にバトンタッチするまで、南海上の台風観測に威力を発揮しました。中央気象台(現・気象庁)は高層気象観測所として、1893年(明治26年)に茨城県の筑波山(標高871m)で冬期観測を実施し、1902年(明治35年)には通年観測となり、平成13年まで観測しました。この年は奇しくも、フランス人テスラン・ド・ボールが気球観測で成層圏(※2)発見の論文を発表したときでもあります。

また、滋賀県知事森正隆氏は高層観測の必要性を提唱し、1919年(大正8年)に伊吹山(標高1375m)に県立彦根測候所伊吹分室を開設しました。その後80年余り、2001年(平成13年)まで観測しました。

19世紀には、山岳ではなく直接風船に乗って高層大気を観測し、ついには高度11km(250hPa)、地上に比べて4分の1の空気しかない高度に達し、命からがら帰還する勇者もいました。

高層気象観測は19世紀の終わり頃まで、凧や気球を使って試みられましたが、20世紀に入り気温・湿度・気圧の観測結果を無線で発信するラジオゾンデ(※3)が登場しました。

日本では1920年 (大正9年)に筑波山南麓に高層気象台が創立され、1921年に測風気球観測(※4)、1925年探測気球観測(※5)、1944年にはラジオゾンデ観測が始まっています。

※1【野中到】富士山の冬季登山を成し遂げ、越冬を試みた。新田次郎著「芙蓉の人」より。
※2【成層圏】上空に行くほど気温は下がる一方であるが、高度約10kmからは上は気温が変わらない、この等温の気層をテスラン・ド・ボールは成層圏(Stratosphere)と名付けた。成層圏より下の大気を対流圏(Troposphere)と名付けた。成層圏の高さは緯度によって異なり、低緯度で18km,高緯度では9km。
※3【ラジオゾンデ】探測気球に無線送信器を取り付けて飛ばし、これを方向探知機で追跡する。上空のデータがリアルタイムで入手出来て、予報精度の向上に役立っている。
※4【測風気球観測】水素ガスを詰めた気球を飛ばし、経緯儀(transit)で追跡して上空の風向風速を測る。雨天や濃霧時は観測不能。
※5【探測気球観測】水素ガスを詰めた気球に、気圧・気温・温度を記録する機器とパラシュートを付けて飛ばし、気球破裂後に回収して記録を読み取る。回収までに時間がかかることや、回収できない事もあり、調査研究に役立ちましたが、リアルタイムに入手して予報に役立たせることは出来なかった