◆幼子の健やかな成長を願って

人は山などの頂上に立った時に初めて、これまでの来し方を全貌することができます。自分の子育てを終え、孫育ても後半期にあたる人生の時期にあって、特に保育士として子育てという仕事を通して色濃く関わってきた来し方を鳥瞰してみると、その子育ての在り様についても山の頂上に立って来し方を全貌する思いに至ります。

買い物に出かけると、スーパーなどで赤ちゃんやまだ小さなお子さんを連れられて仲睦まじく買い物をされている若いご夫婦によく出会います。そんな光景に出会うと微笑ましく、そうした御夫婦のもとで育たれているお子さんについ見入ってしまいます。

すると、たいがいお子さんは私に関心をもって笑ってくれたり、何かの好意的な反応を示してくれたりするのです。そんなお子さんの反応をすぐに見て取ってか、親御さんも私に微笑みを返してくださるのです。そんなとき、かつての保育士という仕事柄、お子さんはおいくつですか(何か月ですか)?とついお聞きしてしまうのです。すると、親御さんは嬉しそうに「○○才(○○ヶ月)です」と答えてくださるのです。

そこでお子さんについて簡単な会話が交わされます。それがきっかけとなって、さらに会話が展開されて、時には、親御さんから簡単な質問や今悩んでいることなどが話されるときもあるのです。そうした時には、元保育士だったということを明かしたうえで、さらに話が深まって行ったりもするのです。そんな出会いの中で、これから未来に向かって育とうとされているお子さんが、健やかに育っていかれることをいつも心から願わずにはいられないのです。

家族や社会を通しても、そうした子どもの誕生を祝い、その健やかな成長を心から願ういくつかの風習が、福井には伝えられているのです。

その一つに男の子が生まれると、正月にはその子の誕生を祝って家族から贈られた「天神様」を飾ってその成長を願うという、福井地方独自だともいわれている風習が伝承されているのです。天神様を贈るという風習については、福井に住む皆様であれば誰もがよくご存知のことと思います。

女の子には、今ではお雛様を贈ることが一般的ですが、お雛様ではなく、その娘が嫁ぐとき「玉手箱」というものを持たせて嫁がせるという風習もあったのです。

これは一部での伝承であってあまり一般的に行われていたことではないのかもしれません。ですから、知っている方は少ないのかもしれません。そして、その伝承が一部の人にではあっても、今でも行われているのかどうかもわからないので過去形での表現としました。

このような伝承にはどのような意味があり、どうしてこのような伝承が福井に伝えられてきているのでしょう。その本当の意味や理由は、他に古くから伝承されてきている多くの祭りの行事などと同様に、今ではほとんどわからなくなってしまってもいるのです。そうしたことについての深い研究や学びをしていない者にとっては、そうしたことの解明はそう簡単にできることではありません。ですから、後日、そうした方面に詳しい専門の方からのご教示を仰ぐことができたらと思っているのです。

ここでは、孫や私の「天神様」や「玉手箱」との実際の出会いの経緯をご紹介し、その出会いにまるで導かれるようにたどらせていただいた私なりの足跡をお伝えしていけたらとおもいます。それまでのたどらせていただいた中に、なにかそれらの本質的なものに触れたり、読み取ることができたりする機会が与えられていたようにも思えるからです。

これまでは子育ち(子どもの成長)や、その子育てについて、主として「誕生から死までの経過(この世という現実世界に対しての在りよう)」に視点を当てて見てきました。

しかし、現実生活を豊かに幸せに生きていけるよう一生懸命子育てをし、どんなに優秀で、立派な子育てができたとしても、人生においては、人間の力ではとうてい及ばない予期せぬ運命の出来事に遭遇しなければならないこともしばしばあるものです。

◆現実世界を超えて

『神智学』(高橋巌訳 筑摩書房)によると、
――誕生から死に至る人間の一生は誕生と死を超越している要因に、三重の仕方で依存している。肉体は、遺伝の法則に従っている。魂は、みずから作り出した運命に従っている。人は人間の魂によって作り出されたこの運命を、古い表現を用いて、カルマと呼ぶ。・・・そして霊は、転生の生まれ変わりの法則に従っている。霊は不滅であって、誕生と死は、物質の法則に従って、身体を支配し、運命に従う魂のいとなみは、この世に生きる限りは、この両者に関連を与えている――と書かれてあるのです。

先回のコラムで「自我」のことに触れさせていただきましたが、さらに「自我」についても次のように書かれているのです。

―― 子どもは自分の独立した本性をまだ自覚しておらず、自我意識がまだ育っていないから、自分のことを他人のように言うのである。
人間は、自我意識を通して、自分を他の一切から区別された独立の存在であり、「私」であると考える。・・・ジャン・パウルは(幼い時に自分は私だという内的ヴィジョンが突然降りてきた体験を持つ)、私の発見を、「人間の隠れた至聖なる部分だけに現れた出来事」と呼んだ。
自我は、肉体の中に生きている限り鉱物(物質)※1の法則に、エーテル体(生命体)※1を通して生殖と成長の法則に、感覚魂、悟性魂※2によって、魂界の法則に従っている。そして霊的存在を自分のなかに受け容れることによって、霊※3の法則にしたがう。鉱物の法則、生命の法則が形成するものは、生成し、死滅する。
しかし霊は、生成と滅亡には係わらない。
※1 筆者付け加え
※2 魂には、「感覚魂」、「悟性魂」、「意識魂」があるという
※3 「霊」についての訳し方については「精神」と訳されたりして、訳者によって異なる

自我の中には霊が生きている。霊は自我の中を照らし、自我を外皮として、その中で生きる。自我が体と魂を外皮としてその中で生きるように。霊は内から外へ向けて、鉱物界は外から内へ向けて、自我を形成する。・・・物体界の顕現が感覚と呼ばれるものと同じ意味で、霊界の顕現は直観呼ばれる。・・・人は霊から開示を受け、自我によってそれを受け取らねばならない。

魂の中に働く人間の自我は、直観によって上からくる霊界の報告を受けとり、感覚によって物質界からの報告を受け取る。――

子どもの成長を心から願って家族や身近な人から贈られてきている「天神様」や「玉手箱」の伝承を考えるとき、目に見える現実という世界だけではなく、現実を超えて存在するこうした目に見えない世界にまで拡大して考えていかなければならないように思えます。

幸い、ドイツの思想家、R・シュタイナーは、人間の教育をはじめ、その人間の多岐に関わる分野すべてにおいて考えるとき、私たち一般的な感覚では捉えにくい現実を超えた世界、「生命の世界」「魂の世界」「霊の世界」や更に「死後の世界」などの世界について数多くの講演や著作を通して言及されているのです。その思想「人智学」は「生を超えた世界」を基としている思想でもあるのです。

そして、特にこうした世界や死後の世界について語るとき、シュタイナー自身がこう語っているのです。

「一昨日の講演でお話ししたように、霊学の基礎づけを行うのは決して容易なことではありませんが、まして今夜のテーマ―となっている死後の問題を扱うことは、元来、現代人の思考習慣にとって暴挙であるとさえ言えます。ですから、これから申し上げる事実が、真剣な認識の努力から生じたものであるとはとても思えない人も多いことでしょう。奇妙な空想家のたわ言として片づけられるのがおちかもしれません。
死後の問題について語るときには、このことをよく意識した上で語らなければならないと思っています。」(『シュタイナーの死者の書』 高橋巌訳 ちくま学芸文庫――人間の生と死ならびに魂の不死について霊学は何を語るのか ◉霊学研究に必要な態度 より)

そこに書かれていることは、私たち読む者にとってはそう簡単に体験できる世界のことではありません。しかも、一般の感覚では大変捉えがたい世界のことでもありますので、そこに書かれている内容をまず理解することにおいてもそう容易なことではないのです。

しかし、子どもの育ちを考えたり、私たちの人生の在りようについて考えたりする上でも一度は通って、知っていた方がよいと思える世界だと思えます。ですから、ここではそれらの著作等を通してのあくまでも概要のご紹介でしかありませんが、子どもはどのような経過をたどってこの世に誕生してきているのか、「死から誕生までの経過」についてもご紹介していけたらと思います。

さらに関心のある方は、そうしたことが詳細に著されている著書や、それらに関する本が数多く出版されております。その一部ではありますが、文末に参考文献として挙げさせていただきましたの、よろしければそれらの本も参考にされて、各自でお読みになってさらに深めていっていただけたらと思います。

◆子どもは自分の人生を自ら選んで生まれてくる

「子どもは、この世に生まれたいと自ら意志して意味と目的をもって生まれてきている。そして両親をも選んで生まれてきている」と、シュタイナーは言っているのです。

以前にもこのコラムで書かせていただいているかと思いますが、これまで保育園では誕生日には、前もって、必ずそのお子さんのご家庭に※「誕生物語」のお話をお配りして、その「誕生物語」を通して、そのお子さんが生まれてきた過程を知って誕生日を迎えていただいてきたのです。

中でも、お子さんが障がいをお持ちの親御さんに、この誕生物語をお伝えすると、涙を流してお子さんを抱きしめられていた光景が思い出されてくるのです。

※故高橋弘子先生が幼児教育に関わる人に対して、ご自分の日本での「那須のみふじ幼稚園」の実践に基づいたシュタイナー教育を伝えるために心を込めて書かれた『 日本のシュタイナー幼稚園』にその「誕生物語」の全文が書かれてあります。詳しくお知りになりたい方はその著書をお読みになってください。

また、毎年、保育実習として実習に来られる中学生や、高校生の皆さんにも、この「誕生物語」をまず実習のはじめに必ずご紹介させていただいてもきていたのです。「私たちは、自分で生まれたいと意志してこの世に生まれてきている。しかも、自分が生まれるにふさわしい両親や環境をも自分で選んで生まれてきている」ということを、かつて受精卵だった写真を添えて紹介すると、たいがいの学生さんはとても驚かれるのです。殆どの学生さんが、それまでそんなことなど考えたことがなかったからです。

◆死から誕生へ

「誕生物語」にもあるようにシュタイナーの思想「人智学」は、人間の存在を「誕生から死まで」のこの世の人生だけを対象にしているのでは決してないのです。

まず、『シュタイナーの死者の書』(シュタイナー著 高橋巌訳 ちくま学芸文庫)によって人間の死から誕生までの概要をたどってみたいと思います。

人間は肉体(鉱物)、その生命を維持してきている生命体(エーテル体)、感情(アストラル体)、そして自我から構成されているといわれています。それらの構成体は死後浄化されて(肉体や、魂の執着が消えて)それぞれの世界に解消されていくのだというのです。

肉体を離れるとその肉体は大地の諸成分に還元されます。いわゆる土に返るのです。

そして肉体を離れて大切なことは、すべてのことが真逆の世界となって体験されてくるというのです。それまで外界として見てきたことは内界となり、内界であったことは外界として広がるというのです。それまでは大地の上に立って、鉱物界、植物界、動物界のもろもろの存在たち、山、河、雲、星、太陽、月を見てきていました。人々はこの天球の下で、大地に立って、周囲を知覚しているのです。しかし、人間が肉体を離れて死の門を通過するとそれまで内側から見ていた天球全体がまるで一つの星に縮まってしまったかのようにこの天球を外から見ているようになるのだというのです。それは一つのイメージとして、卵の殻の中のひよこが意識を持っていたとしてのたとえで、そのひよこが周りの殻を破ってこれまで自分を取り巻いていたこの破れた殻、つまり、これまでの宇宙を内側からではなく外側から見るときのような経過が、本当に、しかし、霊的に生じるのだというのです。

そして、その星の中から光輝く宇宙叡智が燃え上がる星のように、明るくなったり暗くなったりしながら、空間に広がり始め、全く動的な形をとって「前世の記憶像」、生まれてから死ぬまでの私たちが意識的に営んできた魂のすべての体験過程がいわゆる「思い出のタブロー」となって私たちの魂の前によみがえるのだというのです。それを数日間(正常な状態における私たちの肉体が、眠らないで覚醒状態を維持し続けることのできる間)私たちに提示し、私たちはこの思い出を見続けることができるのだというのです。

そのとき私である死者は「そうだ、お前は体から脱した。そしてその体は今、霊界にあって意志そのものになっている。意志の星、その成分がすべて意志から成り立っている星が、お前の身体だったのだ。そしてこの意志は熱となって灼熱化し、今お前がおまえ自身をその中へ注ぎ込んでいる果てしない大宇宙の中で、生まれてから死ぬまでに過ごしてきた人生を、一大タブローのような光景にしてお前に送り返している。今背景となっているこの意志の星は、おまえの肉体の霊的側面なのであり、この意志の星こそがお前の肉体をその隅々に至るまで活気づけ、力づけていた霊なのだから。叡智の光として輝いているものは、お前のエーテル体が活動し運動している姿なのだ」という想念に充たされているだろうというのです。

「思いでのタブロー」について私が初めて耳にしたのはもう何年前になることでしょう。当時オイリュトミスト※として多くの人に信頼されていた笠井叡氏の講演での冒頭からこのことが語り始められ、そうしたことを初めて耳にした当時の私はまるで場違いな、このままここでこうした話を聞いていていいのだろうかという非常に困惑した思いに立たされながらの講演だったことが今でも記憶にあるのです。

※音や言語を見える体の動きとして動き、その作用は身体や精神にも働きかけられる。芸術オイリュトミー、教育オイリュトミー、幼児オイリュトミー、治療オイリュトミーなどがある。

さらに引き続き次回も「天神様」や「玉手箱」に向けて歩を進めて行きたいと思います。

《参考文献》
『神智学』 ルドルフ・シュタイナー著 高橋巌訳 筑摩書房…これまで何度か改訂されてきています。
『神秘学概論』 ルドルフ・シュタイナー著 高橋巌訳 筑摩書房…同上
『シュタイナーの 死者の書』 ルドルフ・シュタイナー著 高橋巌訳 ちくま学芸文(『死後の生活 シュタイナー選集』イザラ書房…改訂前のタイトル)
『人智学の死生観』 ワルター・ビューラー著 中村英司訳 水声社 … 拡大医療活動協会から出版されていた医学博士の立場から書かれた本です。
『シュタイナー 死について』ルドルフ・シュタイナー著 高橋巌訳 春秋社