2月に入っても毎日厳しい寒さと雪が降り続きましたが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。そんななかでも、もう春の訪れはそこまで来ているようです。

「ばあちゃん、お雛様出そう!」男の子ながら小さいときから「ひな飾り」には敏感な孫の呼びかけです。幼いながら雛飾りの華やぎのなかにこれまで地中深く籠もっていた命が目に見えて地上に張られて(=春)くるのをあこがれや喜びとして感じ取っているのでしょうか。

40余年、毎年欠かさず飾ってきたお雛様。保育園でお雛様を買うまでのその半分以上は保育園と自宅とで年2回は飾ってきたのです。我ながら感心する長さです。もうおっくうで出す気にならない昨年あたりからからは、「組み立て方の説明図が入っていないから、ばあちゃんはそこに座って見ていればいいから」と言って、おっくうがる私を促して娘や孫たちで出してくれるようになりました。

1月になっても雪がまだあまり降っていなかったときのことです。孫と一緒に出かけた車の中での会話。

「ばあちゃん、今年は雪が無くてばあちゃんは楽やろ?僕は雪が大好きだから雪がないのはつまらないけどね」「うんほやね。雪が無いと楽ね。楽だけならいいけどね。でも心配・・・。異常気象からなら困るから」「異常気象って?」「本当は今の時期なら大雪で、大変だったの(昔の大雪の状況や、最初の赴任校・和泉村では昔は雪が多くて電線の高さまで雪が積もるので、下校時に子どもが電線に触れないように毎日家まで送っていったことなどの話をする)」「なんで異常気象になったの?」「それは皆が自分にとって都合のよいこと、楽なこと、便利なことをしてきたからやと」「地震や津波もあったしね。光の柱を立てなあかんわ。(半断食を指導くださった先生がこうした様々な異常に対して光の柱を立てる祈りをしているということを以前に聞かせたために)だけども光の柱を立ててもなんでまだ起こるんやろ・・・」「・・・・・・」「せいクンだって自分のしたいことばかりしていて、しないといけないことはなかなかしないでしょう?」

その日もでかける前に遊びに夢中になり準備が大幅に遅れた自分に矛先が向けられると「先生言っていたよ。誰の心にも悪魔は住んでいるって。ばあちゃんにも悪魔がいる?」日ごとに磨きがかかるその理屈に苦笑しながらもまだ純真なその心に子どもながらも芽生え始めている人の心とそれによって引き起こされるその現象に対する関心。その会話から先般の「胎生学」の講座が思い起こされてくるのでした。

◆子どもの誕生を迎えるにあたって

以前にも子どもの誕生については<命の誕生について考えよう>で一緒に考えさせていただきましたが一巡してまた新たに子どもの誕生を迎える時点に立ち返ってきました。

子どもの誕生は家族にとっての何よりも大きな喜びです。しかし、「生まれてくる」というその意味についてまで深く考えることはあまりないのではないでしょうか。子どもが生まれても、その子育てに寄り添う人のいないことの多い今の時代においては、子育てについて何も知らないまま不安や悩みが先に立つなかでどうしていいのかおろおろしながらも夫婦2人で始められる方も多いのではないでしょうか。子育てしていくなかで、私たち自身がなんとか親として、人として育てられていく。それはまぎれもない事実なのです。

また、どんな逆境にあっても人として立派な人になる人もあれば、どんなに素晴らしい環境に育ってもそうでない人もあるように、人としての育ちは、私たちの計らいを超えた様々な要因が絡まりあうなかでなされることが多いので、そう理屈どおりには運ばないことが多い。それも事実のようです。

教育者(親をも含む)としてのこれまでの学びのなかで、しばしばこんなことを聞かせていただいたり、読ませていただいたりしてきました。「教育とは、その教師がどれだけたくさんの知識があるのかとか、どれだけ教える技術に長けているのかに依って決定されるのではなく、その教室の入り口に立った教師がAという教師なのか、Bという教師なのかによって決定されてしまう」。言い換えれば教育とはその人がどういう人であるのかによって決定されるということなのです。

子育てにおいても私たち親や保育者自身の在りようや、思いの在りようによって子どもの育ちが決定されているということも多いようにおもわれます。母体という私たちの見えない世界のなかで、たとえ見えたとしても私たちの理解をはるかに超えてなされている世界では、この世に1つの「命」を送り出すための寸分の狂いもない準備が着々となされているのです。そうしたなかで誕生までの過程のなかでなされていることを充分に理解するということも、幼い子どもの「命」が無残に扱われることの多い今日の時代においては、子どもの誕生を迎える側の私たちにとってはとても重要なことになってきているように思えるのです。

このことから健やかな子どもの育ちを願うとき、子どもたちは皆、宇宙の深いおもいから、そうした過程を経て「尊い命の存在」としてこの世に送り出されてきているのだということをその誕生を迎える私たちがどこまで深く受け止めることができるかということにあるのだと思うのです。

◆畏敬のおもいで子どもの誕生を受け入れる

このような「宇宙の深い願い」から産み出され、私たちのもとに送り届けられて、その「宇宙の深いおもい」が私たちに託している「尊い命」の贈り物をいただくということは、この上ない喜びなのです。そして気の引き締まることでもあるのです。そのことをまずはしっかりと受け止めることができたとき、そのときには既にその子育ての大半はなされていると見なされてよいようにさえ思えるのです。

今回ご縁があって「胎生学」という講座を受講させていただき改めて一層その思いを強くしたのです。できればドイツの学校で行われているという親になる前の高校生の頃から単なる知識としての学びではなく、命に対する生きた感情が彼らの魂に流れ入るそうした「子どもの誕生」についての教育や「親になる」学びの機会が与えられるようになれば人々の「命」に対する思いもどんなにか違ってくることだと思われてならないのです。

今回の講座の先生の思いもまさにそこにあるようにおもわるのです。

私たちのもとに送り出されてきているその「命」の誕生までの過程や誕生を迎える気持ちをあらためて確認するうえで、今回の講座で語られたいくつかの大切なことや以前にご紹介した本『Ein Kind entsteht(胎生期―子どもの誕生までに)』を参考にしながら簡単にご紹介させていただきたいとおもいます。

「どんな人も一個の受精卵から始まります。大人は数え切れない多くの数の細胞からできているが、万能の力が秘められているその一個の細胞にはかなわないのです。そして子どもの誕生にはそのための迎える準備をしなくてはなりません」という言葉で講座は始められたのです。

◆お母さんのおなかのなかでは

今回の人智学的(アントロポゾフィー)医学(※)の立場からの「胎生学」の講座は先回の治療教育講座での「胎生学」と違って、受精以前からの細胞の形成の説明から始まって、妊娠初期のほんの最初の数週間の受精卵。そこになされていること、起きることの仔細についてその多くの時間が割かれて説明がなされたのです。

(※)私たちの感覚で捉えることのできる生命の通わない物質的世界からの考察だけではなく、通常の私たちの感覚を超えて働く霊的・精神的世界からの考察によってもその本質を捉えようとする立場

受精した受精卵の細胞がどのように成長したとき子宮内に着床し、受精卵のどこに胎盤が形成され、胎芽が三つの胚葉に別れて胎児としての体が形成されようとするまでのそれぞれの過程、過程においてその周りではどのような変化が起き、働きかけがなされているのか、そうした見えない世界でのごく微細な出来事について話された内容は、さすがにあまりにも専門的な内容でしたので理解困難なことも多くありました。

ただただ私たちの気付かないほんのわずかの期間に人知を超えた世界(霊界)から働きかけられ、形成されていくその驚異の過程に対して“この世に起こるすべてのどのようなこともその背後に霊的なものが働いていなければ起きてこないことであると思う”と講義の中で講師の先生も述べておられました。

卵の殻にも当たるという輝かしい透明の膜、透明帯に取り巻かれた受精卵は反時計回りに回転しながら子宮に向かって送り出され、ゆっくり卵管を下降しながら2細胞、4細胞、そして受精4日には桑実期と細胞分裂を繰り返していくのです。受精卵は子宮腔内に達し「胞胚」と呼ばれるものになります。

そして最初の細胞の分化により栄養膜と胚芽に分かれるのですが、卵子の壁に穴を開けて一番最初に進入することのできた精子の、その進入した場所は特別の場所となり、その栄養膜となるというのです。

この段階の受精卵において母性性の力(魂的・自分を保とうとする・自己中心性の)が働いて胎芽になる部分と父性性の力(霊的・自分を外に向ける・利他的方向性の)が働いて自分を差し出し栄養膜となる部分に分かれてくるというのです。

その自己中心的、利他的両者の方向性によって胞胚が広がることにより受精から3週目、わずか2ミリのその胎芽は三つの胚葉、外胚葉、中胚葉、内胚葉の発達に全力を注ぎ始めるのです。本格的な胎児の体への形成が始まっていくのです。

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