それまでは自分の好きなように暮らせばよかったものですが、子どもを迎えての「家庭」という生活が始まると、独身時代のように自分勝手に好きなことをしていればよいというわけにはいかなくなってきます。

産まれてきた子どもにはもちろん家族にもいろいろな気配りや、しなければならないことが一挙に生じてくるのです。そんなときにはどこから手をつけていいのやら、ちょっとパニック気味にもなりかねません。子育ては気長にいかなくてはなりません。ですから無理をしてはいけません。しかし、乱雑な生活のままでいいというわけにもいかないのです。

掃除をする暇がなくて、あるいはしたくなくてすぐに足の踏み場もなくなってしまう乱雑な部屋。山積みになった仕事を前にどこから手をつけてよいやら途方にくれることも・・・。また、台所に立つと山のような洗い物があってそれを目にして途方にくれる・・・。そんなことも日常生活での手近な例としてありますね。そんなことあなたにはありませんか? そんなときにはいつも私は次のようなイメージをすることにしています。

ちょうど小さな蟻が、大きな、大きな砂糖の山を目に前にしている光景を思い浮かべるのです。蟻はどんなに大きな山であっても、決してやる気をなくしたり、パニックになったりはしないものです。自分の足元の身の丈にあったほんの一粒を自分の巣に運ぶだけです。ただただ、それだけです。その繰り返しの中で仲間が知って、大勢の蟻が加わり、たかがあの小さな蟻であっても、またたく間にその大きな砂糖の山はなくなってしまうのです。

その蟻のように今の私の身の丈にあった足元にある一粒はどれかと、今の私でもやれると思うことはどこだと、その糸口となるものを探すのです。そして取り掛かっても途中で続けることができなくなれば最後まで頑張らなくてもよい。嫌になったら、無理はしないでそこで休むなり止めればよいと思うのです。すると蟻のように応援隊は実際には来てはくれなくても不思議なことに、いつもひとつの仕事が次の仕事につながり、まるで見えない応援隊がやってきてくれたかのようにいつの間にか仕事をやり終えていることが多いのです。

最初の、仕事に立ち向かう気持ちがなかなか勇気を必要とするときもあれば、自分で思っていた以上にすんなりと仕事に向き合うことができる場合など、その目の前の課題によってさまざまだろうと思います。

毎年の保育園での年長児のお泊り保育では、日も暮れかかった時間になると保育士たちによる劇が始められました。その劇のなかでのヒーローから登場人物を救うために子どもたち一人ひとりの勇気の協力をよびかけられる場面があるのです。それは洞くつの入り口までは道案内に保育士の振る鈴の音を頼りに、それからは暗闇のなか、かすかなろうそくの明かりを頼りに子どもたち一人ひとりが勇気を出して洞くつの中にある‘石’を取ってこなければならないのです。

呼びかけられたときにはその場の勢いで「いいよ」と元気に答えたものの、実際に一人で暗闇のなか、その‘石’を取ってこなければならなくなると、怖くて泣き出す子もいるのです。しかし、勇気を出して挑戦して手にしっかりとその‘石’を握って帰ってきた子らの顔は、何かやり終えたという誇らしげで自信に満ちた思いにあふれているのです。そして終わった子達は道中ぐっとこらえていた思いをこらえきれず、ひそひそとその道中の出来事を友達同士で話さずにはいられないようです。

その勇気を出して取ってきた石はその子らにとって “勇気の石”といわれていて、年長になると手に入れることのできる憧れの石でもあり、とても大切な石ともなるようです。

まずは、生活を整えることに気付くことです。独身時代の好きなときに好きなものを好きなだけ食べ、食べたゴミはそのまま、まるでゴミのなかで暮らしているような生活であっても平気。そんな暮らしを、家族を持った生活のなかでも続けている人も間近で見聞きする今の時代です。

生活を整えたいと気付いたら、次は初めの一歩を踏み出す勇気。勇気をもって目の前の仕事や課題に取り組む。そのことが大切なことなのです。その勇気をもって踏み出すことにより、蟻のように応援隊は来ませんが、不思議な力の応援があってか、いつの間にか仕事をやり終えているのです。そして仕事が仕事につながっていき、取り掛かる前に考えればとてもできそうもない範囲や量や内容のことまで、積極的な思いでやり遂げるようになっていくのです。

(次ページへ続く)

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