好き嫌いが多い、食が細い、お菓子を食べ過ぎる、太りすぎないか、などなど、子どもの食に関する悩みはよく聞かれます。前回は食事全般のプランニングについて書きましたが、今日はもう少し突っ込んで、実際に子どもに食べさせる場面について考えてみたいと思います。前回名前だけご紹介した栄養士・家族関係セラピストのエレン=サターは、食事において、親子の責任分担を提唱しています。(※1)

親の責任:何を、いつ、どこで食べさせるかを決めること
子どもの責任:(出されたものの中で)どのくらい食べるか、食べるか食べないかを決めること
例外:甘いもの・デザートのみ親が量の制限を設ける

食事を用意するのは親。例えば、大人が「夕方6時に家でカレーライスと野菜サラダ」と決め用意します。そして、子どもは大人に用意されたものの中で、どのくらい食べるか、または食べないかを決めます。つまり、大人が強制して食べさせることは決してしない、残していいというわけです。例えば上の例で言えば、子どもはカレーライスは2回お代わりして食べ、野菜サラダには手をつけない、ということもOKとするのです。

これにはかなり驚かれる方も多いと思います。私自身も与えられたものを残すことを許されず育ったので、子どもの責任として食べるかどうかさえも決めていいという点が衝撃的でした。子どものわがままを許しているようで納得できませんでした。強制して食べさせない、本人の意思を尊重し、食べたくなるまで待つという方針を各家庭で取り入れるかどうかは皆さんの最終判断に委ねるとして、一考の価値があると思いますのでここで考えてみたいと思います。

■子どもは体の声を聞いている

我が家の5歳の娘の食べ方を見て思うのは、まだ野生動物に近い状態、つまり体の声を聞ける状態にいるということです。好きなものをいくらでも食べ続けそうな勢いでパクパクと食べていても、そのうち必ず「もうお腹一杯、ごちそうさま」と言うのです。好みも季節も変化しますからブドウだったりイチゴだったり色々ですが、それがたとえ最後の一つだったとしても、今さっきまでもっと食べたくてお代わりをもらったばかりだったとしても、「もういらない」と言うのです。

私のように「1つだけ残すくらいなら食べちゃおう」と口に入れてしまったり、「お代わりをもらったから少しは食べないと」ということは決してありません。私には不可解なほど、もったいないとか、片付ける手間が面倒とかいう考えがないらしいのです。体がもっと食べたいか食べたくないか、問題はそれだけ、きわめてシンプルなのです。

新生児をお世話した方なら誰でも経験済みだと思いますが、赤ちゃんは母乳であれミルクであれ、お腹一杯になったら必ず飲むのを止めます。この子は平均体重より小さいからもっと飲ませて大きくなってほしいと思っても、一滴たりとももうのどを通りません。反対に、大きい子の飲みすぎを心配して、与える量を減らそうしても、当然満足できず、もっともっとといつまでも欲しがります。

1928年にニューヨークのマウントサイナイ病院の医師クララ・デービスは3人の乳児の離乳食の食べ方を1年近く観察しました。3人の赤ちゃんにはそれぞれ素材を単品のまま調理しただけのシンプルな離乳食メニューを品数多く用意し、赤ちゃんが好きなように全く自由に食べさせました。この結果デービス医師は乳児が自分に必要な栄養素を含む食品を適当な量だけ食べることができることを発見しました。3人のうちの1人は実験中、ビタミンD欠乏症だと判明し、治療としてメニューにタラの肝油が加わりました。

驚くべきことに、この赤ちゃんはこの強い匂いと味のするオイルを自分からすすんで飲みました。数ヶ月後の再検査ではビタミンD欠乏症は治っており、赤ちゃんももう好んでオイルを摂取しなくなったのです。(※2、3)サターは著書の中でもっと最新で対象データ量も多い研究結果も多数紹介していますが、今から84年前にこのような発見がされていたことに私は特に感銘を受けました。「でも、うちの子は好き嫌いが多くて、好きなものばかり食べさせていたら、栄養が偏らないか心配です」というお母さん方の声が聞こえてきそうです。

■子どもの体には成長が最優先課題としてプログラムされている

サターの考え方の根本には子どもへの完全な信頼心があります。子どもは成長するもの、体の中には育つことが最優先課題として組み込まれているわけです。そのどの子にも宿っている「成長したい」というたくましい意志と生命力を信頼することです。大食漢もいれば、小食の子どももいて当然なのです。以前お話ししたエミ・ピクラーの実践理論にも通ずるところです。(※4)

大人の味が分かるようになるのはなぜ?

子どものころ、間違えて大人用のサビつきのお寿司を食べたことはありませんか? 私は「こんなものが美味しいなんて、大人ってどういう舌してるの?」と思ったのをよく覚えています。それでもいつか、そのワサビの美味しさが分かるようになって今に至っています。そのほかにも子どものころ嫌いだったものでも今は好きになっているものはありませんか(私は酢の物、ねぎなど)? 何が起こったのでしょうか?

大人と一緒に食卓を囲み、大人が美味しそうに食べている姿を見ながら育つと、「そのうち自分も大きくなってあんなものを食べるんだな」と自然と受け入れるようになります。何度も何度も多くの食品に接する機会を繰り返すうちに、段々とより多くの食べ物を受け入れ、楽しめるように成長していくということです。

■あくまでも中立に

ここでサターが強調するのは、中立な関係です。つまり、食べたからといって褒めたり、ご褒美を与えたりしない。反対に食べないからといって、叱ったり、デザートを取り上げたりしないということです。あくまで中立に、当然のこととして、食卓に乗せられている。それを食べても食べなくてもお母さんは痛くも痒くもないのよ、という立場です。プラスの方向(褒める)にもマイナスの方向にも(叱る)にも、子どもは大変敏感にプレッシャーを感じます。ワサビを子どもに食べさせようとする親はいませんね。つまり食卓に乗っているだけで、大人は勝手にそれを楽しんでします。その感覚を食卓の全てに広げるということです。

好き嫌いには理由がある

好き嫌いについては、子どもはまだ人生経験が浅いですから、まだまだ恐る恐る試し運転をしているようなものだと考えてはいかがでしょうか。(大げさなようですが)未知の危険から身を守っているわけですから、食わず嫌いには当然の理由があるのです。最近はアレルギーも多いですから、子どもの体が必死に拒否している可能性もあります。また、人によっては卓越した味覚の持ち主“スーパーテースター”もいるそうです。これらの子ども達はキャベツの仲間の野菜にみられるようなほんのわずかな苦みも敏感に感じて「まずい!」といいます。(親御さんは苦労されるでしょうが、敏感な舌で将来ソムリエになれるかもしれませんね。)

食物受容度を上げるには、繰り返しと安心感が大事

一度食べてマズイと思っても、別の機会に「もう一度食べてみようか」と思えることを食物受容度が高いとサターは定義します。大人なら接待の場などで断ると場が悪いので、多少無理して食べることができますね。しかし子どもはまだ受容度が低いのです。繰り返し繰り返し試す中で少しずつ慣れて受け入れられるように成長するとサターは言います。だから一度嫌いと宣言されたからといって、諦めず、少し時間をおいたら手を変え品を変え食卓に加えてみましょう。