今手にしているある本(『人智学・心智学・霊智学』―ルドルフ・シュタイナー著 ちくま学芸文庫))には次のようなことが書かれています。

「今私は、この世の、この時代の、この場所に立っている。どんなときにも私の周りには美しい世界が、偉大な、すばらしいすべてのものが存在している。そして私の身体の諸器官から一切のこの偉大なもの、すばらしいものが私の中に流れ込んでくる。私たちは本来、いつでも天国の中で生きているのだ!私たちは、不幸のどん底にいるときでさえ、そう言えなければならない筈なのです。・・・この世界を完全に受容し、そこから最高の満足と最高の浄福を受け取るために、身体が私たちに与えられたのです。私たちの諸器官はそのために与えられたのです。・・・」 

多くの私たちは現実世界のみが実際に存在する世界だと信じて生きています。しかし本当は現実世界と日常の感覚では捉えることができない現実を超えた世界から成り立っていて現実を超えた世界は私たちの通常の感覚では想像すらできない素晴らしい世界なのだというのです。

しかし、真のまなこがまだ開かれてなく、現実世界を世界と生きている私には、こと今年の夏の暑さはとても身にこたえた暑さでした。これまではクーラーも扇風機もさほど必要とすることなく毎年を過ごしてきたのですが、今年の毎日続く暑さには年のせいもあってかさすがの私もこの暑さにはもう耐えられないもう限界だと思う日が幾日もあったのです。

長いと思われた夏休みもあっという間に終わり、学校も始まりました。皆さんはお子さんとどのような夏休みをお過ごしになられましたか?

夏休みともなれば、子どもたちには学校をはじめ様々なところから様々なお誘いの案内が届きます。孫たちにも届いたそんな案内や情報に私なりのアンテナを立て、キャッチし、この夏休みはなるべく家を離れて善き人たちの中へ送り、いろいろな人と暮らす中でいろいろな人との出会いやいろいろなことを体験できるように配慮したのです。

こと夏休みともなれば子どもではなく親との戦いなのです。家にいればこれまでのように特に親の影響のもと、テレビ三昧のぐうだら生活の夏休みで終わってしまうことが予測されたからです。私も孫の送り迎えなどを通していろいろなことを学ばせていただいた夏休みでした。

夏休みへの序曲は6月17日の越廼での定置網体験から始まっていたように思われます。そしてサンドームで行われたボリショイ・サーカス見学。私たちの頃にはよく見ることのできたサーカス。しかし最近ではあまり見る機会が少なくなったように思えます。ですから学校からの案内をもらって是非に連れて行ってやりたいと思っておりました。テレビでは何がしかのサーカスは見ていたのかもしれませんが、実際に大きな会場で目の当たりにするサーカスにはとても興奮させられたようです。休憩ごとに舞台の側近くまで降りていっては異国のサーカス団の人たちやサーカスに使われるいろいろな仕掛けなどを興味深く見、聞きしていたようでした。

同じくサンドームでの初体験の席上揮ごう。限られた条件と時間の中で条幅3枚を書き上げなければならないというだけで付き添いの私のほうがパニックになりそうで‘ばあちゃん、あせらなくていいんだよ’と私の気持ちを逆なでするかのようにこの期に及んでも悠々としている孫がちょっと恨めしく思えたり。

偶然に知って立ち寄った元市民中学(福井市文化財保護センター)での野焼きによる縄文土器作り。幼いときから何故か郷土歴史館の笏谷石の石棺が大のお気に入り。そのなかには死んだ人が入っていたと私の説明のインパクトがよほど強かったのかそれ以来ずっと歴史館は「死んだ人」で通じてきたのです。ですからミイラだとかそれにまつわることが今も大好きなのです。そのせいもあるのでしょうか、二つ返事で縄文土器作りや野焼きと楽しく取り組ませていただいたのです。次回の弥生土器作りも楽しみにしているようです。

加賀市の市の谷での福島からの子たちとの合流の一週間の合宿。あの川でのあの橋の上からの飛び込み、山登り、海までの海水浴。放し飼いの諸動物とのふれあい様々な出会いの中で大きく成長させていただき、市の谷は孫にとっても何度でも行きたいところになったようです。後日、市の谷からメールをいただき、そこで‘友達になったゆう君も聖ちゃんが来るなら来たいといっているからいつでも待っているから来てください’と温かいメールもいただきました。

9月16日に行われるという「これからの時代を生きる新しい価値観をみんなで共有したいという想いからの“血縁を超える自給自足の大家族~記念コンサート”のイベント」のご案内も郵送で届きました。

そして「ペットボトルを使っての水力発電機を作る」体験。見事に小さな電球に電気がつきました。‘あなた方はミニ水力発電社の社長さんです!’と言われてきょとんとしていた子どもたち。

日ごとに増すそのパワーぶりに家族一同はたはた困り果て、そのパワーのはけ口の対策として始めさせた剣道。3年目のこの夏は試合への参加や暑中稽古。あの広い武道館もさすが暑い。じっと座って待つ私たちも修行そのものでした。

そして剣道仲間の家族ぐるみでの越前海岸でのシュノーケリング。別の日には大丹生海岸で。ここは初めて入る海です。辺りに飛び抜けて優に5メートルはあるかと思われる高い岩場からの飛び込み。突然一人の男の人が子どもたちの目の前でその岩場から飛び込んだのです。それを見た子どもたちは僕たちもと早速その高い岩場をのぼりはじめたのです。

私でさえも肝がつぶれるかと思う高さです。まして岩だらけのまだ未知の海中。そうした海での突然の飛び込み。私だけなら決して許せないことです。しかし、子どもたちの前で突然飛び込みをされた方はそこの海に昔から慣れ親しんでこられていてとてもその海に詳しい人だったようです。“ここは大丈夫だからここへ飛び込みなさい”と下で、OKのサインを出してくださっているのです。

それでもあまりの高さだったからでしょう。最初はこわごわ。でも。そのサインに勇気付けられ、市の谷で培った飛び込みへの自信も加わってでしょうか清水の舞台から飛び込むおもいでエイッ ! 一度飛び込むとその飛込みが面白なり何度でもその醍醐味を味わうために繰り返し、繰り返しその高い岩場にのぼっていくそのエネルギー。子どもたちのそのエネルギーにはまさに脱帽です。飛び込みも終わると、その方の後をついて泳ぐ彼らに、親切にも海中散策のガイドです。

海の中はただ茶一色の藻がびっしりと茂っていて波に揺れている以外は何も見えない海のなかのその藻を掻き分けどこにどんな貝や生き物がいるのかの案内です。海を楽しめる段階になっている子らにとっては本当に良き海人との出会いでした。これからもこうした海人との出会いが是非にあってほしいものだとおもいました。そのことによってさらに海への関心が深まり、その関心が自然界や自然界を超えた世界へとつながっていくとおもえるからなのです。

浄土宗総本山京都知恩院での貫長様直々による得度式。そして同じく私の娘たちの時代からずっと行われてきている知恩院での2泊3日のお手つぎ子ども奉仕団。本当は4年生からなのですが、許可をいただいて一年早く一人で参加しました。一泊は知恩院で、一泊は法然上人が籠もって修行された比叡山の黒谷で。保育園時代から何度か出かけてなじみのお寺ですので、この合宿で話されたこともようやく理解できる年齢になったようで大満足で帰宅し、早、来年の参加に心を馳せているようです。

これらのことのなかには昔は自然のなかであたりまえに子ども同士で体験し、身につけていったこともたくさんあるのです。しかし、今はそうしたことを子ども同士では体験することができなくなっているので世を挙げてそれぞれの専門家の指導のもと体験できるように配慮しなければならない世の中になってしまっているのでしょう。しかし、こうした様々な体験のなかにこそ、そのなかで子どもたちが体を通して目をキラキラさせて学び、本当の生きた学びがあるようにおもわれます。そうした学びが支援となって学校教育とつながっていくことによって、さらに学校教育もより楽しく、生きた学びとなっていくのではないかと思えたのです。

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