厳しかった夏の暑さで畑に出る気力も体力もなく、他の人よりずっと遅れて9月半ば過ぎに蒔いた大根も今ではかえって時期的にあっていたのか、順調に成長しているようです。冬に漬けるタクアンのことを考え今年は「宮重」という品種をもう一種類増やし3種類の大根の種を蒔きました。そして大かぶ、小かぶ、赤かぶ、白菜、葱、葉物としてつまみ菜、べんり菜、水菜、早い春に向けての折菜、ハーブなど。今のところみな順調に育っているようです。もう少しすると玉葱を植える時期となります。

今秋、茄子のおいしいこと、おいしいこと。もぎたての新鮮なつやつやした紫色の茄子を手にすると漬物、煮物に、揚げ物にと様々な茄子料理のメニューが思い浮かんできて心がはやるのです。

あの暑い夏のさなかを駆け巡ったこともあってか、しばらくはどこにも出かけないで心身ともに落ち着いて静かに暮らしたいと切に思っておりました。しかし、その思いに反してまたもお誘いの案内がいろいろと届いたのです。

■南興会での再会

3連休の初日は市の谷での稲刈り合宿の案内です。今回は忘れ物も取りに行かなければならないので市の谷にはどうしても行かなくてはならないのですが宿泊はしないで日帰りです。

孫に言わせると勝山街道から山中温泉に向かう道に入ると空気が違ってくるそうで市の谷に近づくにつれ、早く着かないかと横に座っていてもうれしくて体がウキウキして踊らんばかりなのです。私がまだ小学生だった頃夏休みになると母の実家に行くのがうれしくて、うれしくてバスが実家に近づくにつれ、一人でに心が弾んできたことがその様子を見ていると思い出され、孫の気持ちもわかるのです。  

あのすばらしい自然のなかで、子どもとのかかわりにおいてもその気持ちを充分に汲みながら、しかし決して迎合することなく、あくまでも自然体である皆さんが待っていてくださる所です。何もなくても何でもある自然の中で夢中になって遊ぶ子どもたちと、今は忘れ去られようとしていてかつてはあたりまえのことだったゆったりとした時の流れの中に身を置くことができたのです。

戦前、サイパン、テニアンなどの南の島々で暮らしていて第二次大戦の最中を生死をかけて大変な思いで潜り抜けてこられた南洋興発会社にかかわりのある方々の集まり「南興会」からの案内でした。会員の方はもう80歳、90歳となられ年々その方々の訃報を耳にすることが多くなっているのです。そのたびに亡くなられたお一人お一人との南洋の旅での、戦火の中その島で亡くなったであろ父についての消息や、テニアンについて教えていただいたいろいろなことが懐かしく思い起こされてくるのです。と共にその方々とはもう二度とお会いできないのだという寂しさが胸をよぎるのです。

毎年10月の上旬に行われる南興会からのご案内をいただくと皆さんにお会いしたい思いと東京まではなかなか行けない現状との板ばさみになってこれまで長い間参加できないできていました。

ここしばらくは落ち着いていたいという私の思いとは裏腹に、一方において「参加しなければ・・・」という内からの声もしきりにするのです。来年もこの会の方たちにまた会えるという保証は全くないのです。参加、不参加の返事を早くしなければ、そうしたゆれる思いのなかで期限が過ぎても返事できないままにきておりました。ともかく連絡だけはしておかなければそうおもってお世話くださる方に思い切って電話しました。

今ではみんなが年を取ってもう誰もお世話できる人がいなくなったというこの会に対して、会とは直接関係のなかった会員よりはずっと若い方で会に対して深い関心を持たれている方やご自分の調査研究として取り組んでこられている東京の大学の先生が会のお世話もなさってくださっているとのことで案内はそのお世話くださる方から届いていたのです。  

電話で返事が大変遅くなったお詫びと私の思いをお話しさせていただきました。すると南興会のことやその会員についてとても熟知されている様子で私の参加を心から待っていてくださるおもいが温かい配慮のこもった言葉の中にひしひしと伝わってくるのです。押し付けがましくはないのですが、できるだけ参加しやすいように、しやすいようにと心配りをしてくださるのが言葉の端々に感じられるのです。

どうしておられるかと日頃気になりながらご無沙汰している人たちも参加されるとのこと。心から待っていてくださるそうした方々にお会いしたいという思いが先にたち、その場で参加させていただくことなりました。会場は毎年決まっていて東京の上野で行われているのです。

そしてこれも毎年ご案内をいただきながら、長年なかなか参加できないできている『石ふしぎ大発見展―第24回京都ショー』。毎年大阪と京都とで交代で行われてきていて今年は京都で行われるのです。例年京都では「みやこめっせ」を会場とし、世界各国からのたくさんの石が集まる素晴らしい鉱物展示会がおこなわれてきているのです。  

また今年の特別展示は“宇宙の石・地球の石”でその道に詳しい研究者の方々が側についていてくださっていろいろと説明してくださるのです。4億5千万年前に地球に落下したと考えられている‘ギベオン隕石’ なども自由に持たせていただけました。同時に行われる京都大学理学研究科教授土山明氏による『小惑星からやってきた石―はやぶさサンプルを分析する』と題した講演会もとても興味が引かれるところです。

10月に入って随分涼しくなったので少しは大丈夫かな?と自分の体に聞きながら、もうすぐ国語の教科で戦争について学ぶ孫にも、時期尚早とも思われたのですが、折角の南興会の人たちとの出会いです。その出会いを通して何かが伝わればという思いや、石の好きな孫にこうした大規模な展示会を見せてやりたいというおもいもあって不安を感じながらもちょっと欲張りの京都回りの東京行きを強行することにしたのです。

あの広い鉱物展示場の会場いっぱいに世界各国からのさまざまな鉱物商の出店によって所狭しと並べられている鉱物展。会場に一歩はいると突然目の前に広がる会場の広さと石の多さに驚き、初めはどこから何を見てよいのか戸惑っている様子でした。しかしたくさんの珍しい石や化石など朝の10時から午後3時まで会場にいたのですがそれでもまだ時間が足りないようでした。「ばあちゃん石の話をして!」とまだ幼かった頃、散歩中に足元の野道にころがる小石を見てねだられたことがふと思いだされ、その成長がおもわれたのです。

宿泊先の増上寺。上野に行くにはまだ少し早い朝の空いた時間。折角の機会です。増上寺の裏にそびえ立つ東京タワーにも上ってみることにしました。地上150メートル、250メートルと初めて上がって今話題のスカイツリーも展望できました。東京に行ったら見たいと言っていただけにおもいがけずも展望できて大喜びでした。

アメリカ軍に追われて洞窟に潜んでいたとき、まだ小さい赤ん坊だった妹が泣くので敵に知られて一緒に潜んでいたみんなに迷惑をかけないように、そうせざるを得なくなって母がその妹の口を封じたの・・・。私はサイパンの万歳岬から飛び降りたのだけども運よく?死体の上に落ちて助かって今があるの」とエメラルドグリーンとコバルトブルーに輝く海を臨んでそそり立つ断崖絶壁の崖に広がる林。その林を群れ飛ぶ白い鳥たちを眼下に見るともなく目にしながら一緒に巡ったロタ島の台地に腰掛けて当時の辛い経験を涙ながらに語ってくれた本当に久しぶりに会えたkさん。

東北に住む彼女の身を案じて何度電話したことか。でもかからず「今回の地震は大丈夫でしたか」とお聞きすると「私は会津だから大丈夫だった」とのこと。

あの人が亡くなった、この人が亡くなったとまだ若いと思われている人たちまでもが亡くなったと亡くなった人の話が続く中、私にはもちろんのこと、ずっと年上の人たちにでさえもう顔見知りの人がほとんどいないとのことで、それでも南洋つながりですぐに心はつながりあいながらもみんなの心の寂しさは隠しきれないようでした。

食事も半ば終わった頃、会場ではテニアン、サイパンでの終戦間近の様子や戦後の様子がアメリカ軍によって撮影されたというビデオが流されていました。これまで何度も目にしてきたシーン、一人の女性が崖から今まさに飛び降りるシーンもありました。多分サイパンの崖だとおもいます。アメリカの戦艦から撮られたといわれています。このシーンを見るたびにもう逃げ場のないまでの窮地に追い詰められた当時の多くの人たちが取らざるを得なかったこうした悲惨な状況に何度見ても胸が痛むのです。またセピア色に色あせた写真を持ち寄りながら当時を懐かしみあっている姿もあちらこちらで見られました。

そして孫はといえば、南興会の行われる会場までの上野の公園の路上で繰り広げられている大道芸にすっかり心を奪われてしまい、それを見に行くために何度か知らぬ間に部屋を抜け出し、気もそぞろだった南興会の人たちとの出会い。でもビデオや要なことはきちんと見ていたようでした。そんな孫たちにとってもそれなりに充実した濃厚な旅だったように思えました。

■衣類の整頓

さて、10月の半ばを過ぎ、すっかり涼しくなって朝夕には寒さを覚える季節となってきました。衣類だけではなく、厚めの布団さえもが必要になってきました。衣替えの季節も半ばを過ぎ、皆さんはもうとっくに衣類の入れ替えをされておられることと思います。

四季がはっきりしている日本は季節に応じて衣服を調節していかなければならないのです。ですから子どもの衣類の数も半端ではありません。そうした衣類をきちんと、とても上手にそれぞれの家庭に応じて整理されている整理上手の親御さんもたくさんおられます。今更衣類の整理について私が申し上げることもないようにも思うのです。孫たちの衣類の整理の状況を見るに見かねてその衣類の整理にも関わるようになって10年近くの月日が経つのです。

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