◆自然史講座に参加して

 三寒四温という春の訪れまでの気候を表す言葉がありますが桜が終わってもあられや雪が降るという近年には珍しくない冬型の気候に逆戻りの天候不順で寒い日が続くこの頃ですが、ようやく春爛漫。木の芽が芽吹き、はなやかな桜に続いて美しい花々が私たちの目を楽しませてくれるようになりました。4月6日に行われた自然史博物館の自然史講座 ‘春の足羽山を歩こう’に家族で参加してきました。最も桜の満開のしかも週末という好日に、あいにくも予報されていた強い雨風による悪天候を案じながらもその影響もあまり受けずに実施できたのはなによりのことでした。

 保育園勤務時代、園児たちとどんぐりを拾うため、あるいは足羽山動物園で遊ぶため、またそこでの羊の毛刈りに参加するためになど30余年にわたって毎年、年に2~3回は園から知る人ぞ知る山道を歩いて足羽山まで登ったものでした。その道が後年きれいに舗装された道になってしまい、ただ舗装されたきれいな道を登って目的が終わって帰るだけではなく、更に山の懐深く分け入ってこの山の自然や魅力をもっと子どもたちに満喫させることができたらと思ってきました。そのために、この山に詳しい人に案内していただき、その説明を受けながら山中を歩くような機会があったらと思ってきたのです。その長年の願いがやっとかなった今回の自然史講座でした。

 先ずは今日を見ごろと爛漫と咲き誇る桜の花々についてその種類や由来、構造についての説明がありました。そしてその桜の木のねじれ具合の不思議とそこに密かに住む虫たち。そして、うわさには聞きしかど、何度も足を運ぶ山でありながら初めて出会えた片栗の花の群生。まるで人目を避けるかのように人目に付きにくい日陰でひそかに咲き合っている可憐な片栗の花々。また遠目からでもぱっと目に付くほどに辺りを真っ白に彩って大きな木一杯に花をつけているこぶしの花々。短時間ではありましたが足羽山の地肌を体で、足で一杯に感じながらの山歩きはとても豊かで贅沢で心楽しい時間でもありました。

◆これまでの子育てについてのおさらい

 さて、時期的には既に新学期はスタートしておりますが、これまで‘子どもを入園させたいのだがどこかよい園を知りませんか?’という質問をちょくちょく受けてきていました。保育園に勤めていた時には自分が主体的によき園を目指して実施する立場にありました。しかし、現職を離れた今はそうした質問を受けてお子さんや親御さんの立場に立って客観的に考えてみることが出来る立場にあるのです。そうした立場で親御さんの希望を聞きながら親御さんがもらってきたしおりを見せていただいたり、ネットなどで検索したりしてみるとそれらの情報だけでもいろいろなことが見えてくるのです。

 しかし、園選びの前にまず問題となるのは、親御さんがどういう観点からどのような園を選ぼうとしているのかということなのです。もう少し突っ込んで問えば、親御さんがどういう人生観や世界観を持ってお子さんの園を選ぼうとしておられるのかということです。特別な考えはなく、ただ口コミで良いと言われたからとか、家に近くて便利だからとか、送迎をしてくれるから楽だからとか、園舎が立派だからという外的な条件から短絡的に決めるという親御さんもたくさんおられるようです。

 またこの世によりよく適応していくための準備としてスイミングや体操教室、音楽教室、学校に行っても困らないように文字や数の学習、英語やパソコンなどいろいろなことを早期から教えてもらえるからという理由によることもあるようです。その教えてもらいたい内容も親御さんの考え方によって様々のようです。そんな、親御さんに対してなるべく‘売りにしているものの少ない園を選ぶようにというアドヴァイスもあったとか。

 今までは選ばれる立場で、たくさんの見学に来られた親御さんに園の保育内容について説明させていただいてきました。しかし、選ぶ立場に立って考えると、「国民一億総教育詳論家」とも言われるほどに子どもの教育については誰もがそれぞれの持論を論じたがるものです。しかし、今、子どもを持って初めて子育てをスタートさせようとしている親御さんたちです。子育ての経験もなく、まして、多くの親御さんは子育てについて専門的に学ばれているわけでもないのです。またその人生においてもこれから本格的な人生が始まろうとしている人たちです。ですからそれぞれの人生観や世界観はその人生を歩むなかで確立されていくものですから、そうした親御さんにとってたくさんの園や情報の中からお子さんの園を選ぶということはなかなか大変なことだと思います。

 そんな親御さんに園選びの参考として、これまでこの“うんちく”で子育ちについてご一緒に考えてきたその概要をもう一度ここでおさらいをしたいと思います。そのおさらいが何か園選びの参考になればと思うのです。

◆幼児期は人生の土台となるとても重要な時期
 子ども一人ひとりの在りようは両親の遺伝をその良し、悪しを問わず引き継いでいたり、輪廻転生からの観点からは、前世でのその人の在りようの反省を含めてのエッセンスをこの世に携えて生まれて来ているともいわれています。が、それにもましてその育ちに大きく影響するのはその子がどのような環境で育つのかだとおもいます。

 幼児期は人間としての土台となる体や器官が形成される大事な時期です。自然に対する感動や、見えない存在への畏敬の思いや、感謝の思いへの傾向性(共感的に受け取ろうとする傾向性)など、幼児期に容易に育むことができても、あとになって取り戻そうとしても不可能だったり、とても難しいことだといわれています。

 また、その模倣性を通して世界を自分のものとして吸収していく時期です。幼い子が模倣するということは周りの世界を疑わないということです。言い換えれば、幼児は周りの世界に対して意識的ではないにしろ絶対的な信頼を持っているということなのです。真似るということはそういうことなのです。そして真似たことがその子の人間としての土台、傾向性となって体やその器官を形成していくのです。ですからこれまで「子どもの健やかな成長を願って衣、食、住の生活を整える」の中でもご一緒に考えてきましたように、その衣類についての考え方や選び方、食事についての考え方やあり方、住まいに対する考え方や住まい方において、人として成長するうえで真似られたり、吸収されても良いように人的、物的環境や生活の仕方を整えたり、整えようと努力したりすることが大切になってくるのです。

 少し大きくなって学童期に入って、理屈で考え始めると理屈が先立ち幼児期のように模倣を通して吸収していくことは次第、次第に容易ではなくなっていくからです。

 また、その幼児期の成長や発達は、他の成長期では考えられないくらいめざましい成長がなされているのです。特に誕生から一才までのその体の成長は誰の目にも明らかなことだとおもいます。

 このように幼児期はめざましく体が成長、発達していく時期ですので、その成長がより良く促進されるよう、幼児期の成長のあり方を充分に理解した関わり方が必要になってくるのです。しかし、今の世の中では、こうした子どもの成長に則した関わり方が考慮されるというよりも、むしろ少しでも早くなんでもできるようにといった関わり方が主流となっているように思われます。また、子どもはいろいろな遊びを通して自分のあり方、世の中のこと、人との関係など様々なことを学んでいくのです。しかし、それも遊びとしてではなく、知的に知識として理解させようとする傾向も強いように思います。そうした世の流れに支配されることなく、子どもの成長に則したかかわりを優先するということは今日においてはそう容易なことではなくなっているかもしれません。

 しかし、このように子どもが著しく成長するときには私たちの目には見えなくともその成長に盛んに働きかけている生命の力があるのです。この時期にはその力の100パーセントをその成長・体づくりに使われなければならないといわれています。ですからその力を目に見えて何かが少しでも早くできるために誤って行使することは本来はその体づくりにおいては許されないことなのです。昔の人はだから子育てにおいてそうしたことを子育ての智恵としてわかっていて、成長に則しない不自然な子育てはしてこなかったのではないでしょうか。

 また幼稚園が世の中に必要とされるようになってきた理由として、家庭での教育の崩れや乱れがあるといわれています。ですから幼稚園は家庭に代わって子どもの育ちにふさわしい「生活」を行うべき所となったのです。しかし、当時の幼稚園においてはまだ3歳までは家庭で育ち、幼稚園は3歳からでした。

 先日一枚の絵葉書を見せていただきました。そこにはヨーロッパの初期の幼稚園で子どもたちが生活している絵が描かれていたのです。先生が子どもたちと一緒に洗濯をして、干して、アイロンをかけて、たたんでしまう。また子どもにふさわしい食事の用意をして食事をする。そうした親が家庭であたりまえのこととして行うべき「生活する姿」が描かれていたのです。当時の日常の家庭生活においても既に生活が乱れていて、子どもに模倣を通して「正しい生活」を身につけさせることが困難になってきていたので、家庭に代わって幼稚園で先生が子どもと共にそうした生活したり、生活する姿を見せたりすることが幼稚園教育の重要な教育内容となっていたのです。