◆ナホトカ号で思い起こされる“童話”

皆さんは三国でのナホトカ号重油流出事故を覚えておられますか?これから暑さに向かおうとしているこの時期にちょっと季節的には、ずれるかもしれませんが1997年1月2日、日本海の島根県隠岐島沖でロシア船籍タンカー、ナホトカ号が大しけにあって船体が分断するという事故がありましたね。

早いものでもう16年も前のことになるのですね。船体から分離した船首部分が漂流して福井県三国安島沖で座礁したのはその1月7日のことだったそうです。そのとき積載していた重油の一部6,240klが海上に流出したというのです。その流出は島根県から能登半島に至る広範囲にわたり、本県の三国では油が漂着したところは岩場でした。ですからその回収は機械を使うことが出来ず、大変困難となり、唯一有効な手段は人力によって柄杓を用いての人海戦術しかなかったということです。厳冬期の1月、海も大変しける過酷な中、日本全国からの多くのボランティアの方々の協力や自衛隊の方々によってその回収作業が行われたのです。私も園長と1日だけでしたがその回収作業に当たらせていただいたのです。

大海を相手に柄杓や雑巾を持っての作業でした。柄杓で海に流出した油をすくい取り、岩や小石にこびりついている重油の一つ一つを雑巾でふき取る作業でした。こんなに文明が高度に発達した今の世の中においてです。このような方法しかないという・・・。

現場に立ってその広大な海を相手に重油の回収の作業に当たられている方々の姿をみていて、ふとかつて話された知人の言葉が思い起こされてきたのです。

「天の川の水をひしゃくで汲み干すなんて通常の考えでは絶対にありえないことよね。でもありうるのよね」。

これは『たなばた』のお話の中の天に連れ戻されてしまった織姫のあとを追う親子の取った行動です。天のおうぼ様の怒りによって今まで浅かった天の川がみるみるうちに、ごうごうと波の逆巻く天の川に変わってしまったのです。親子は抱き合って泣きました。

「‘とうさん このひしゃくで くみ出しましょう。このかわの みずが なくなるまで’‘そうだ あまのがわを くみほそう’おやこは なみだを ふきました。すぐに ひしゃくを とって、かわのみずを くみはじめました。とうさんが つかれると、おとこのこが くみました。おとこのこが つかれると,おんなのこが くみました。こうして、よるも ひるも、やすまずに くみつづけました。」(『たなばた』君島久子 再話 福音館書店)
 
今ではもう随分昔のことになりましたが、ある講座で、その講師の先生を囲んで食事をしていたときのことでした。その講師の方が突然に私に「福井には雄島と雌島がありますよね」と聞かれたのです。とっさの福井の雄島、雌島(亀島)でしたので、そのときには雄島や雌島(亀島)が一体何だというのだろうとその先生の問われた思いの深い意図がつかめずに一瞬ぽかーんとしてしまいました。そしてその問いから『浦島伝説』がとても気になり始めたのです。その『浦島伝説』の読み解きをしていただくために、童話や昔話の読み解きについて造詣の深い知人に福井に来ていただきました。そのときに知人が何気なく言われた言葉だったのです。

今まさに彼女の放った言葉のように、『たなばた』のお話の世界の出来事が現実となって目の前で繰り広げられている思いでした。この『たなばた』のお話にあるように現実にはありえないことがありえたのです。

流れ出た重油には限りがあったとはいえ、多くの方々の心からの協力によって、あるいは海の自浄作用もはたらいて、今訪れると、まるで何事も無かったかのように美しい海に戻っているのです。

◆「語り」と櫻井美紀氏との出会い

京都で教育や芸術など様々な仕事に携わる人たちの参加による「幼教育講座」が行われていた頃のことです。その参加者のなかで幼児教育に関係のある人たちで皆さんに人形劇をすることになりました。その話の選択は私に一任されたのです。そこで私はとっさに日頃から親しんでいた杉原丈夫先生の『若狭・越前の民話』の中から福井にまつわる伝説「お水送り」を選ばせていただきました。人形は一人の参加者の方がみんなの想像力を削がないようにと美濃紙で素朴に作ってきてくださったのです。

そのことをきっかけにそこに参加された人たちがそれぞれの立場で、あるいはそれからたびたび行われるようになった「メルヒェン」についての研修会を通して、子どもに聞かせるにふさわしい「お話の選択」やその「再話」や「語り方」についての研修が深く掘り下げていかれるようになったのです。

そうした研修を通して私も子どもに聞かせるお話として「童話」や「昔話」を語って聞かせてあげることがいかに大切なことかを学ばせていただいていたのです。

そんな折のことでした。車で走行中、何気なくつけていたラジオから流れてくる話に耳が釘付けになってしまったのです。今の時代においては古いといって忘れ去られようとしている「童話や昔話」について深く語られていたのでした。

現代の幼児教育の現場や図書館での子どものお話会などにおいては、子どもに絵本や紙芝居などを見せながらの‘読み聞かせ’が主流となっています。その読み聞かせとして選ばれる本の内容においてもその多くは現代の人によって創作された「創作童話」や「創作話」が主のようです。また子どもに読んであげたり、読ませたい本として保育者や教師や子どもを持つ親御さんに推薦図書として紹介されている本のそのほとんども現代の作家による創作ものが多いようです。

その当時においても「童話」や「昔話」は古い時代のものとしてそうした世界や人々に取り上げられることはほとんどなく忘れ去られようとしていたのです。

そんな中で、今の時代でも童話や昔話についてこんなに深く語る人がおられることに驚いて聞き耳を立てずに入られなかったのです。その放送はNHKのラジオ放送で「語りという宝物」というテーマーで一週間くらいにわたって毎日放送されていたものだったと思います。

これが「語り」を大切にされ、その「語り」という世界に生涯を尽くされた櫻井美紀先生との最初の出会いだったのでした。

私は今までいつもかばんの中に一通のはがきをずっと入れてきておりました。それはその櫻井美紀先生からの年賀状です。‘赤ちゃんから高齢の方々まで楽しめる語り’をとても大切にされ、その「語り」に「語り手たちの会」の多くの方々と共に尽力され、一生を捧げられた櫻井美紀先生を皆さんにご紹介したく、失くさないためにずっとかばんに入れてきていたのです。

そのはがきには、
「今年が良い年でありますように。お正月にはお年賀状をいただきありがとうございました。私は昨年末に年賀状を買い込んだあとに体調不良・入院・手術となり心ならずもご無沙汰しておりました。
・・・・・・・長くお休みしておりましたホームページもこのほど再開いたしました。ホームページへお気楽にメールをいただけますならうれしく存じます。
春になりましたら語りの講座を再開、秋にはまた《芸術の語り事業》に参加する予定です。どうぞ今後とも《語り・ストーリーテリング》の活動に変わらぬご支援をお願いいたします。
2010年2月吉日櫻井美紀 」
とありました。

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