◆「カタリ」と「ハナシ」

これまでいつも「かたり」「おはなし」と何気なく使ってきておりましたが「カタリ」と「ハナシ」は本来は決して同じものではなく、はっきりと違っていて、区別して使われなくてはならないものだということです。これまで実際には「カタリ」も「ハナシ」もその表現をあまり区別することなく書かせていただいてきました。それは一般には「カタリ」と「おはなし」の違いについてきちんと理解して使われることは少なく、多くの場合「カタリ」も「おはなし」と表現されることが多く、その方がかえって「カタリ」よりも通じやすいからです。

しかし、それらには厳然とした違いがあるのだということを以前何かの本で読んだことがあるのです。櫻井先生の講演だったのか、著書だったのか、それとも全く別の何かの本だったのか未だに思い出せないのですが。

それ以来、私の中では ‘カタリ’や‘おはなし’の表現に出会うたびにそのことをいつも強く意識してきてはいたのです。

櫻井美紀先生より何冊かの本をいただいております。今改めてそれらの本を手にとって読み直して見ますと、なんと深い思いから、深い研究をされ、深い思いを、私たちに伝えようとされていたことでしょう。その思いがあのゆったりとしたやさしいそのお人柄を通した語りかけで伝わってくるかのようです。そして‘カタリ’と‘ハナシ’の違いにもはっきりと触れてくださっているのです。

『語りー豊饒の世界へー萌文社』には、『‘カタリ’と‘ハナシ’は起源も目的も働きも違うものとして機能します。語りは古代から行われてきていて、人間の一生の物語や本格昔話、冒険物語など、重い大きい長い物語をゆったとしたリズムで長時間かけて相手の魂の奥深くに向かってなされるものなのです。鎮める。慰める。安定させる。「うたう」に結びつく。願いや、祈りがあり、語り手は相槌を打つ聞き手と協同するのです。「ハナシ、話」は軽い会話、笑い話、一口話、うわさ話、世間話、立ち話、どれも軽いものです。話し方は軽快なリズムでテンポも早く「話」の場合では、言葉を発する側は内容に責任を持たなくてもよいのです。聞く側も、伝えられる話の内容に無責任であってよいのです。そのような伝達の仕方に「ハナシ、話」という語を当てはめます』と書かれてあるのです。

◆「カタリ」と「読み聞かせ」

また‘語り’と‘読み聞かせ’のその違いも一般にはあまり意識的に検討されることもなく行われているようにおもわれます。特に近年になって自治体などの事業としての強い勧めもあってか‘赤ちゃんからのブックスタート’のように、小さな赤ちゃんからへの絵本の読み聞かせが若いお母さんたちには一つのブームとして行われるようになってきているものもあるようです。少しでも早ければ良いという考えが先に立ってのことでしょうか、それとももっと違う目的があってのことなのでしょうか。赤ちゃんや幼子への絵本などの読み聞かせのその影響について深く研究される前に、ブームというよりも今では子育てのお母さんたちにとってはそうあるべきことの一つとなっているのを何度か目の当たりにして考え込むことが多いのです。

テレビの紙おむつの宣伝を見た若いお母さんは‘うちの子は青いおしっこが出ないと真剣に心配する’ということがまるで笑い話のように話題とされることが思い起こされてくるのです。それは単に宣伝だけでは済まされないことでもあるようです。保育園勤務時代、初めてお母さんになられた方が来られ、そのまさかと思う同じ質問を私も実際に受けたことがあるのです。質問を受けて、やっぱりあったのだという実感が、この現実をどう受け止め、どう対処したらよいのか、ただ笑い事では済まされない複雑なおもいにかられたものでした。

以前にまだ朝もやが立ちこめる早朝に米原の駅に降り立ったことがあります。あまりに早かったからか、ホームにはまだ人影はなかったのです。その静けさを破って突然大きな声で話をするのが聞こえてきました。どなたかと大きな声で話をしながら歩いている人影がもやの向こうに見えてきました。目を凝らして見るのですが歩いているのは確かに一人なのです。その雰囲気から子どもの頃に体験した、何をしていてもいつも一人でぶつぶつ何かを話していて決して人と話すことのなかったおばあさんがとても怖くてそのそばには絶対近寄れなかったことが思い起こされて来たのです。

しばらくしてその人は携帯で話しているのだということがことがわかり、半ば安堵したのですが・・・。携帯のなかった時代の人が、もし、この光景に出会ったとしたらどんな反応をするのかとふと思ってしまいました。

おりしもこの6月18日キリスト者共同体というところから機関紙が送られてきました。その中に『成長する人間の糧としてのメルヒェン~「桃太郎」を題材として~』というミニ講座シリーズも同封されていました。司祭でおられます輿石麗さんの書かれたものです。キリスト者共同体ではこの司祭さんが中心となって子どもにとって大切なものとして、これまでいくつかのメルヒェンや日本の昔話、童話を人形劇として本格的に取り組んで子どもたちに演じてこられているのです。一度拝見したいと思いながら、なかなかタイミングが合わずまだ拝見する機会を得ていないのです。

キリスト者共同体では子どものための季節ごとの祝祭日には必ず司祭さんによる祝祭日にちなんだおはなし(かたり)がなされるのです。私も何度かその祝祭日の行事に参加させていただきましたが、その司祭さん方が語られるおはなしの内容やその語りの雰囲気にいつも心からの感動を覚えるのです。

次回では送られてきた輿石麗司祭の書かれた小冊子からや、語りをとても大切にされてこられた櫻井美紀先生がこのとについてどのように考えられていたのかについて、お伝えしたいと思います。

そして、子どもに語るお話については2008年の‘うんちく’でも「子どもとお話について語ろう(前編、後編)」で「昔話や童話」についてその意味するところや「子どもに聞かせるお話」についてかなり深く書かせていただいております。関心のある方はもう一度‘うんちく’を遡ってお読みになっていただければとおもいます。

そして「カタリ」や「ハナシ」は「読書指導への導き」なのかについても私の体験からご一緒に考えることができればと思います。

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