「パスタでございますね、少々お待ちください。」

夏休みに日本で3週間余りを過ごして、娘の扮するウエイトレスの接客がガラッと変わりました。子どものごっこ遊びには、その子の見たもの聞いたものが、そのまま映し出されるものです。

丁寧な言葉遣い、随所に会釈、そして何よりもにっこり笑顔! これだけでも日本に連れて行った甲斐があったというものです。

「はい、お待たせしました。パスタでございまーす。」

前回娘と帰国したときはまだ3歳半だったから、語彙は限られていたはず。今回は7歳になり、いとこ達とずっと一緒に遊んで過ごすことができたので、日本語がぐんぐん上達しました。もちろんちょっと福井なまりです。

言葉の上達もうれしいですが、もっともっと貴重な収穫は、日本人の思いやり、心配り、丁寧さ、美意識、恥じらい、真面目さ、がんばり、我慢強さ等々を自分の目で見、肌身に感じたことです。こればかりは、どんな優秀な教師でも教えることが出来ないことです。私も娘と一緒に、日本のすばらしさを再認識し、これを忘れてはいけないと肝に銘じました。

田舎から都会に出てくると、何かと用心深く疑い深くなり、顔つきが変わってくるとも言われますが、何もかも勝手が違う外国となるとなおさらかもしれません。とくに訴訟の国アメリカ、しかも弁護士だらけのニューヨークに来て15年が経ちました。お店に行っても郵便局に行っても、いらっしゃいませはおろか、ただNext! と言われて、お金を払わせて頂くという感じです。Next customer, please! (次のお客様どうぞ) と言われることがあっても、おもてなしの笑顔が伴うことは珍しいのです。

そういう環境にちょうど慣れた頃、アメリカ西部の田舎に行ったとき、その地の店員さん達が余りに笑顔で優しいことに逆に驚いたくらいでした。普段からそうですから、何か問題があり、クレームをつけなければならないときは大変です。事情を説明し、相手に返金やサービスなどを要求し認めさせる、そして実際それを受け取るまでの道のりの長いこと。そうやって取り付けた修理や配達の約束の時間もあってないようなものだったりします。

職場でも自分の仕事ぶりを時節アピールしなければ、認められません。普段の会話でもユーモアを競い、最後によりおもしろいこと、気の利いたことを言ったほうが勝ちという感じです。(関西もそうでしょうか?)
 
そんな中で暮らしていると、いつも心は戦闘態勢で、負かされまい、損させられまい、利用されまいと常に気を張っている状態になります。大人だけでなく、その 緊張感を感じ、空気を吸っている子どもも多大な影響を受けています。私は娘の扮するウエイトレスやレジ係が、ニューヨーク独特のクールでつっけんどんな態度なのを見るにつけ、孟母三遷の故事を思わずにいられなかったのです。

そんなニューヨークから成田空港にやっと着いたときのこと。長時間 フライトで頭もフラフラしていた私は、時間を間違ってしまい、乗り継ぎの小松行きの便に乗り遅れそうになりました。でも地上係員の方たちの見事な連携プ レーで乗せていただきました。そのときの対応の素早さ、効率の良さ、チームーク、迷惑モノにも礼儀正しく接してくださったのに感動しながら、ふと窓をのぞ くと、地上整備士さん達が飛行機を見送り手を振っているのが見えました。こちらに向かって「いってらっしゃい、お気をつけて!」とでも言っているかのようで、乗れた安堵感と感謝の気持ちで一杯になって見ていると、飛行機がターンする直前、キリッと一礼されたのです。これには参りました。誰も見ていないかもしれない飛行機に向かって、気をつけ、礼をする心にふれ、涙腺が一気にゆるみました。日本人って美しい、すばらしいと誇りに感じました。

その後も、3週間の滞在中に出会った人たちみんなと言っていいほど、家族や古くからの友人たちはもちろん、一度会っただけの店員さんからも随時感じました。

それとは反対に、久しぶりに帰国してびっくりしたこともありました。娘と二人である洋品店に行ったとき、店員さんたちが一分おきくらいに「いらっしゃいませーーー。どうぞご覧くださいませーーーー」と大声で叫んでいたのです。これが不思議で可笑しくて、その度に二人して顔を見合わせてふふふと笑いました。でも余りにそれが続くので、ゆっくり見られたもんじゃないねと苦笑になり、それでも続くので反応しなくなりました。八百屋さんじゃないのに、店員さんは声も枯れるだろうに、私たちも落ち着いて買い物が出来ないのに、どうしてあんなに大声を出し続けることが接客なんだろう?と不思議で仕方がありませんでした。

今回の帰国で一番驚いたのはトイレでした。ウオッシュレットが各家庭だけでなく、公共の場でも大変な率で標準装備になっていたことです。日本人のきれい好きを再認識しましたが、レストランや市立図書館にもあったのにはびっくりしました。決して安い買い物ではないはずです。水も電気も消費します。家庭ならともかく、たまに行くだけの場所で必要でしょうか? きれい好き、おもてなしの心を超えて、「うちだけないのは恥ずかしい」という右ならえ式の感覚になってきているのではないかと私には感じました。

販売員は大きな声であいさつすること、トイレにはウオッシュレットをつけること、そのほかにも行き過ぎなもの、不必要なものがありそうです。男はこうあるべき、女がそんなことするもんじゃない、子どもは・・・、常識では・・・。

周りを気にしながらも、周りとちがった行動をするのは、アメリカでも勇気の要ることです。でも日本とは比べ物になりません。和を以って尊しとなすの精神がマイナスに作用すると、正直であることよりもその場を取り繕うことが優先されてしまうようです。久しぶりに帰国すると堅苦しさや不条理を感じることが多々あります。

周りがみんなやっていることでも、おかしいな、こうした方がいいなと感じることがあったら、それを表現し行動していくことが、これからの時代ますます重要になっていくのではないかと思います。でも戦闘態勢で攻撃的になるのではなく、そのときこそ和の精神を発揮し、優しい心配りを持って対応できたら、沢山の問題が解決し日本だけでなく世界中が良い方向に動くはずだと思います。

とくに原発については日本が世界をリードして、一刻も早く終止符を打ち、子どもも孫も末代までも放射能の不安なく安心して暮らせる国づくりをしていくことを願ってやみません。私はアメリカで何が出来るか探りつつ、日本人らしさを忘れずに仕事に育児に励みます。

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