◆今庄に化石採集に

日ごとに増して、朝、夕の寒さが身にしみてくる頃となりました。

今年も11月3日、自然史博物館の「友の会」の行事として、昨年同様八田真毅氏のご指導のもと化石採集に行ってきました。昨年は和泉村で約1億5千万年前の中生代のアンモナイト採集でした。

そして今年は今庄だというのです。エツ!今庄にも化石が出るの?しかも更に時代が遡って古生代の最後の時期に当たる約2億5千万年前の三葉虫、フズリナの化石採集だというのです。

ふと、一般的認識では信じがたい、ドイツの思想家、R・シュタイナーの超感覚的認識による「宇宙進化論」とも重なって、その壮大な歴史に思いを馳せます。

地球が誕生したのは46億年前といわれています。どの数字も私たちの想像をはるかに超えて遡らなければならない年月です。

ずっと以前にある講義で聞いたことです。グラスの中に入っている混合液がその重さの違いによって時の経過に従い異なった層として次第に沈殿していくように植物、動物、人間もその進化に応じて物体化してきたというのです。多分に宇宙進化についての概要的説明だったのではないかとおもいます。その説明を確認できる本は?神秘学概論?それともアカシャ年代記?そのことを確認するために本を取りに行きました。

◆宇宙進化論

そこで『シュタイナーの 宇宙進化論―西川隆範著』の本が目に止まりました。先頃亡くなられた著者の「宇宙進化論」を読ませていただく中で、「人類の発生」の項目のなかの「ポラール時代」で、「当時地球は今日よりもはるかに巨大なエーテル球(生命体球)として存在していた。(略)人間はこの地球に下り、その地球のエーテルを吸い取って、自分の身体を形成した。動物、植物、鉱物は人間のなかに融合されている。エーテル的な地球の上には、無数の殻の形をした構成体が生きていた。それが「ポラール時代」における人間の体である」、と書かれていたのです。

こと細かく書かれていて未来の地球についても言及されているその壮大で難解なシュタイナーの宇宙史を、この書はまるで鳥瞰するかのように、その概要をまとめて書いてくださっていたのです。

かつて土星紀と呼ばれていた太古の地球は超感覚的認識を通して捉えられた「熱」で覆われていたといいます。その熱が地球の進化を伴って、空気状態、水状態、土状態へと凝縮を繰り返して地球紀に至っているというのです。そして人類の発生として人間は鉱物的存在、植物的存在、動物的存在が一体となって存在していたものが進化にしたがって、私たちの感覚でもとらえられるように物体化してきているのだというのです。

また文化の形成として太古のインド文化期、太古のペルシャ文化期、エジプト・カルデア・アッシリア・バビロニア文化期、ギリシャ・ローマ文化期、そして今日にいたります。その壮大な宇宙史を読み進めていきますと、人間の発生学についてのヒントや、神話やメルヘンの意味やその起こりについて、人間には、どうして悪の力が生じたのかについて、聖書の出来事についてまでが、別の観点から鳥瞰的に捉えられ、読み解かれてくる思いがするのです。そして更にこれからの地球の未来に続いていくのです。

真言密教にも深く関わられていた著者は、仏教的観点や神道的観点からの多岐にわたる世界観からの解釈も加え、今日に至るまでのめくりめくその宇宙史を単なる知識としてではなく、そうした著者のフイルターも通しながら、それらの出来事に息吹を与えながらわかりやすく、導いてくださっていることに驚かされました。

こうした宇宙進化にまでおもいをめぐらせて世界を見ていくと、化石だけでなく、身近に足元にころがっている石ころにまでも地球のその壮大な歴史が偲ばれてきて、そこにそうしてあることへの愛しさ(いとしさ)とともに、ここに共にあることの不思議を感じないではいられなくなってくるのです。

ですから人間だけが特別に優れた存在としておごり、高ぶるのではなく、この世にあるすべてのものは、かつては私たち人間と一体であったと見えてくると、今は違った存在のように見えていてもこの地上に存在するすべてのものに対するその思いが違ってくるのです。

これからの季節は、地上のあらゆるものは私たちの感覚からはその姿を消していくかのように見えるのですが、来る春の季節に備えての地中深くでは、その生命活動はより活発化し、その力を蓄えていく季節に入ろうとしております。そうしたなか、私の身近でこんなエピソードがあったのです。

◆学校の花壇作りに

一昨年のことだったように思います。孫の学校から花壇作りの相談やその世話を一緒にやってほしいという連絡がありました。

畑作りは長年やってきてはいますが花壇作りについてまでは、人様にお手伝いできるほどのことはやってきておりません。ですから、なぜ私に?と真っ先にその思いにかられました。

これまで、サラナ親子教室では開所以来(2004年開所)、春にはチューリップ、夏には朝顔、ひまわりなどの季節の花を花壇に植え、秋には菊の鉢植えの花々を、幼い子どもたちへの環境として準備するぐらいのことしかやってきておりません。が、とりあえず花は嫌いではないので、私にできることで何かお手伝いできることがあればお話だけでもお聞きしてみようと学校に行ってみたのです。

校長先生のお話をお聞きしていると、何か学校の工事の関係から花壇に植えられているあじさい等の花を移動させなければならなくなるというのです。

そして、現在学校で子どもたちと取り組んでいるという花壇のレイアウトもいただきました。校長先生が言われるには、子どもたちは、花壇に咲いている花を見ると「きれい!!」と言ってとても喜ぶのだと言われた言葉が、なぜかとても心に深く響いたのです。

かつて私も小学生の子どもの頃にはいろいろな花を近所の友達と交換し合って植えたり、近所の庭に咲いている花々を見せてもらいに歩きました。そうしたなかに少し離れた近所の家の敷地の片隅に小さいながらも真っ赤な花を木いっぱいにつけていた大きなばらの木があったのです。そのバラがなぜかとても気に入り、それから何度も何度も一人でこっそりと見に行ったのです。そうしているうちに自分の家にもそのバラがほしくてたまらなくなりました。そこで、そのばらの枝をいただいてきて、枝の先をナイフで斜めに鋭く切って土に刺し、挿し木を何度か試みたのです。しかし、子どもだったからでしょうか、なかなかうまくいかなかったのです。

その思いが今日にまで至っていたのでしょう。その思いに加え、もう10年以上も前になるでしょうか、シュタイナーと関わりのあるキリスト者共同体によるクリスマスが箱根で行われました。本格的なクリスマスというものに参加したのはそのときが初めてだったのです。もみの木に灯された33本のろうそくとともに、女祭司さんによって飾り付けられた33本の少し黒味を帯びた深い赤のバラの花。その色に引きつけられ、いつかその色のバラを植えたいともおもってきたのです。その念願がかなって3~4年前にその色に近いバラを何本か選んでサラナの花壇に植えることができたのです。

バラたちは小さい木ながら5月になると見事にたくさんの花をつけてくれます。あまりにたくさん咲くので、その花を学校にもお届けしたのです。ただそれだけで、お届けしたのですが、私にも不思議に思えるくらいに校長先生がそのバラをとても喜んで下さって職員室にも飾ってくださったのです。

後でお聞きしたところ校長先生もバラの花を作られておられるということでしたのでそのバラがご縁となり、今回のお話をいただくことにつながったのかも・・・と一人でがてんをしているのです。

子どもの頃には庭に植える花だけではなく、私を取り巻く自然界にはいろいろな花が季節の折々に咲き、それらの花と共に成長してきたといっても過言ではないのです。


◆“花園”作りへの第一歩

孫を通じて学校にはちょくちょく寄せていただいているのですが、これまで学校にどんな花があるのかまでは意識したことはありませんでした。そこで先生に「学校にはどんな花があるのですか?」とお聞きしてみました。すると以外なことに木はいろいろと植えられても、花の木がほとんどないということに気付かされたのです。学校=桜と思えるその桜の木さえ、何本かのまだ小さいものしかないようです。サルビアやマリーゴールドで代表されるような花壇ならば学校を始めいろいろなところでよく見かけます。

以前ある学校を訪れたときのことです。その建物にまるで体が締め付けられるような何か息苦しさを感じたので、窓から何気なく中庭を眺めたときでした。その中庭にはその心を和らげてくれるようなものは何にもありませんでした。長時間子どもたちが過ごす学校において、せめてその空いている空間に、たんぽぽや、雑草の花でいいのです。なにか心を和ませる花が咲いていたら子どもたちの心がどんなに和むことかと、そのとき痛切に思われたことはあったのです。

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