オリックス6位指名を受け、チームメイトから肩車される敦賀気比高の山崎颯一郎投手=20日、福井県敦賀市の同校

 じいちゃん、夢がかなったよ−。20日のドラフト会議で、オリックスから6位指名を受けた敦賀気比高(福井県敦賀市)の山崎颯一郎投手(18)=石川県加賀市。サッカーに興味を持っていた少年が、いつからか描いたプロ野球選手の夢。それは、野球への道を切り開いてくれた、亡き祖父との“約束”だった。

 「嫌やったらやめてもいいから、一回野球やってみんか」。きっかけは、祖父勲さんの一言だった。勲さんは大の野球好きで、生粋の巨人ファン。山崎投手が保育園児のころから、2人でキャッチボールをしたり、巨人戦をテレビ観戦したり…。「そういち(山崎投手)。将来は巨人に入れよ」「プロ野球選手になれよ」。これが口癖だった。

 「初めはサッカーをやりたかった。けど、キャッチボールが楽しくなった」(山崎投手)。勲さんから誘われていたキャッチボールも、気付けば自分から誘うように。小学3年生になり、迷わず野球を選んだ。

 別れは突然、訪れた。白球を追いかけ始めて1年がたとうとした2008年6月。勲さんは病に冒され、息を引き取った。65歳だった。くしくも、葬儀日は山崎投手の10歳の誕生日。「野球で活躍する姿をまったく見せられなかった」。それが心残りだった。

 勲さんから背中を押されるように、投手としてめきめき成長した。身長は小学5年時で既に170センチ。中学3年時には180センチを超え、世界少年野球大会の日本代表に選ばれた。高校は親元を離れて敦賀気比に入学。入学当初から“北陸のダルビッシュ”と呼ばれ、甲子園を3度経験。189センチから、くせのないフォームで投げ下ろす最速145キロの速球と落差のあるカーブなどを武器に、プロの扉をこじ開けた。「じいちゃんがいなかったら今の自分はなかった」。この日、ドラフト指名を受け、感慨深く語った。

 これまで、勲さんの遺影が飾られている仏壇には、事あるごとに手を合わせている。中学時代の大事な公式戦、遠征出発前、そして高校時代の甲子園出場−。もちろん、夢をかなえた今、さっそく帰省してじいちゃんに報告するつもりだ。「これまでけがなくやってこられたのも、じいちゃんが見守ってくれたおかげ。ありがとう、頑張るね」

関連記事