◆落ち着きのある生活を基本に

冬休みも終わり、子どもたちもまた、学校に通う落ち着いた生活を取り戻したように思います。新年おめでとうございます。ご家族の皆様おそろいでお健やかに新しい年をお迎えのことと思います。

「一年一年、新しい年を迎えるたびに、今年も健康で新年を迎えることが出来る喜びと感謝の思いに満たされます」。これは今年出させていただいた年賀状の書き出しですが、 気がつくともう1月も終わりになってしまっているのです。

でも、あたりまえに年をとっていた若い頃と違って、この年になると、1年、1年が今年も新しい年を迎えることが出来たという感謝の思いで一杯になります。

「予定の時間です」。「予定の時間です」。今日の予定を知らせる携帯電話。「えっつ! 今日は何もなかったはずなのだが・・・何があった?何だった?」驚いて、慌てて携帯を開く。宵っ張りの朝寝坊、幼い頃につけられたその癖が、いまだになかなか抜けない。でも誰も起こさない。そのことを自覚した孫が毎朝かける目覚まし時計の音。その音に引き続いて、今日予定があることを繰り返し、繰り返し、知らせる携帯。

これまで予定しておいても、つい忘れてしまうことも度々で、その対策をいろいろ講じてはいたのです。そんな時、知人から携帯に予定を入れておくことを教えていただきました。それ以来、予定していたことを忘れるということはとても少なくなったのですが。今日は何もなくゆっくりできると思っているところに、突然鳴り響く予定のお知らせ。そのたびに、驚いて携帯を見るのです。このようにゆっくり出来る日が少なく、毎日が慌しく過ぎていくことが多いのです。

そんななか、今年の冬休みは、孫たちは、ほとんどどこにも出かけないで家で過ごすことが多かったのです。いつも学校があるときには、帰ってきたかなと思うと、かばんも荷物も玄関に放り出したまま、既に姿が見えなくなっているのです。集団下校でいつもその前を通る家の方に「今、みんなと一緒に帰ってきたとおもうのに、もう自転車に乗って家の前を走っていきましたよ」と笑われるのです。それほどに友達と遊びたいのです。

しかし、それなのになぜか、いつも休みに入ると友達のところに遊びに出かけるということはほとんどないのです。休みだとかえって友達は忙しくなり、遊ぶ相手がいないからでしょうか。それとも学校で遊ぶ約束をして帰れないからなのでしょうか。

宿題の要は、いつも休みが始まると早めに済ませてしまうことが多く、正月を控えた冬休みは稽古事も一切お休みでした。ですから残された日は何もすることがなく(するべきことはたくさんあっても、しようとおもうことがなく)、ただ退屈だ、退屈だ、を連発しているのです。

図書館に行こうとすると冬休みのほとんどは休みだというのです。せっかくの冬休みだというのにどうして図書館は休みなのだろうとぶつぶつ文句を言いながら、家のなかで竹刀を振り回しているのです。図書館にもいろいろな都合があることでしょうが、こんなとき、もし民営が存在するのであればどうなのだろうと家族の立場からもつい思ってしまいます。

私たちが子どもの頃は、近くに図書館があるわけでもなく、今の時代の子どもたちのように休みになったからといってどこかに連れて行ってもらうということもめったになかったのです。何年生の頃だったのでしょうか。母が所用で福井に出かけるために乗ったバスを追いかけた記憶があります。

まだ赤く真っ赤に燃えている炭火のような火を落としながら走っていくバスを、必死になって泣きながら追いかけたのです。一緒に連れて行ってもらいたかったからです。それでも、連れて行ってもらえるということは絶対になかったのです。その頃のバスは何をたいて走っていたのでしょう。

ですから、どこにも行かなかった分、生活がそのことによってあおられて、慌しくなったり、落ち着かなるということはほとんどなかったのです。ただ、ただ、来る日も、来る日も、毎日、毎日、決まった生活の中で過ごしていたのです。そうした生活があたりまえだったのです。今の子どもたちだったら、そんな日々はとても耐えられないのではないかと思います。

しかし、今の時代とは違って、手伝いなど特別な場合を除き、誰にも干渉されることもなく、子どもたちに与えられていたたっぷりの時間を、野や山や海の行きたいところへ、近所の子たちとどこへでもでかけて行って遊ぶことができたのです。また時には、家の中でみんなで遊んだり、一人で同じ本を、何度も、何度も、繰り返し、繰り返し、心ゆくまで読んだりしながら自分なりに時を過ごしたりもしていたのです。そうした、たっぷりの時間が与えられていたからこそ、子どもだったからこそ、地域の山や海の中に至るまでの津々浦々の、どこにどんなものがいたり、あったりするのかを熟知していたのです。

近年では、学校から持ち帰る、子どもを対象とした公的、私的機関からのさまざまなイベントのお知らせ。(保育園に勤務時代、助成をいただくために、子どものためといいながらも行政サイドの枠組みのなかで行わなければならなかったり、ノルマがかかる行事も多々ありました)。様々なメデアを通じて知らされる、地域活性化のための心をそそられるいろいろなイベント。でもそうしたなかにあっても、ほんとうに子どもが一番したいこと。それは、やはり、友達との遊びのようです。そのことを孫を通して充分に知らされています。

ですから、子どもがそうしたたくさんの情報によって振り回される前に、親や大人である私たちが、子どもの本当にしたいことをきちんと見極め、受け止め、そうしたなかで「子どもが落ち着いて過ごすことができる生活」が、いつでも生活の基本となっているように配慮されていなければならないと思います。


◆本、『金沢・加賀・能登 四季のふるさと料理』との出会い

どこにも行き場のない挙句に考えたことは、近くの本屋さんに行ってくるというのです。(本屋さんも図書館だと考えているのではないと思うのですが、本屋さんを時々‘図書館’に行くと言ってでかけるのです)

後で迎えに来てほしいというので、しばらくして迎えにいきました。いつものように本屋さんの店頭には、これぞとばかりにたくさんの本が並んでいます。なかなかゆっくりと本を手にとってみる暇のない私にも目を引く本がたくさん並んでいます。その中に『金沢・加賀・能登 四季のふるさと料理 おいしい食を育む知恵と心』(青木悦子著、北國新聞社刊)という本が目につきました。さっそくその本を手に取ってみると、料理の本ではあるのですが、単なる料理の本とは少し違っているように思えました。

(次ページへ続く)

関連記事
あわせて読みたい