昨日うれしかったこと。

日本食スーパーに娘と買い物に行き、野菜や魚を見ていたら、ふと娘がいなくなっていることに気づいた。ぐるりと見渡してみてもいない。こんな小さい店でこんな数秒の間に連れ去られることはないはずと思いながらも、やはり一瞬冷やりとした。

案の定すぐに見つかった我が娘は、お菓子売り場でどれを選ぼうか、真剣に迷っていた。いちごのポッキーを手に取り、戻し、ほかのお菓子を取り、うーんと考えている。

私はその様子が愛おしくて誇らしくて、満面笑みになっていた。うれしくてにこにこしながらその様子を見ていた。彼女のことをこんな風に探すのは生まれて以来、初めてだったから。こうやって私の元を離れて、たとえ10メートル先であっても、お互いの目線の届かないところに、自分から行けるようになったことがうれしくて仕方がなかった。成長したなあ。

赤ちゃんのころから、内弁慶で用心深い性格で、自分から飛び出していくことはほとんどなかった。だから迷子の心配は一度もしたことがなかった。買い物に行って、私がうっかり気をとられて買い物に夢中になっていても、私の服をしっかりとつかみ、迷子になるもんかという感じでしがみ付いていてくれた。

初めてよそのお子さんを預かり一緒にお店に行ったとき、娘と同じ年のその子がおもちゃ売り場を見てぱーっと飛び出していったのを見て、きゃー、子供っていうものはそうだった、掴まえていなければいけないものだった、と気づいたくらいだった。それくらい、うちの子はウッカリ者の私のために、神様があてがってくれた、迷子の心配のいらない子供だった。私に告げずに私のそばを離れてはいけないと伝えたこともなかった。その必要が全くなかったから。

そういう意味では手がかからなかったが、逆に私から離れてくれなくて、いつまでも赤ちゃんのように手がかかった。保育園も幼稚園もプレーデートも慣れるまでが大変だった。今でもまだ私の周りにくっついていて、遊びたいのに遊べず、ほかの子たちを見ているだけのことがある。もっと自由にやりたいことを躊躇せずできるようになってほしいなと思いながら、誘っても強制しても逆効果なので、そっと見守ってきた。たいていは私も端っこで一緒につっ立って、ほかの子供たちの楽しそうな様子を見ていた。

そんなことを考えながら、お菓子売り場の娘を遠くから見ていて、時間にして15秒くらいだっただろうか。娘はほどなく私の視線に気づいた。私の心のうちを知る由もなく。

本日娘のほしがったもの、いちごのポッキー、雛あられ、カルピス、宇治金時のアイス、サクマ式ドロップスなど。おやつ以外では、いくら、納豆、竹輪、お弁当用の可愛い楊枝。日本のお店ではついお財布の紐が緩む。ここニューヨークで育つ娘が、雛あられや宇治金時を知っていて、欲しいと言うこと自体がうれしくて、つい、いいよと全部買ってあげたくなってしまう。海外で子育てをしていると、お買い物も貴重な日本体験の機会。

でもひとつだけ買ってもいいと言う約束で、悩んだ挙句に今回彼女が選んだものは、駄菓子の風船ガムセット。

つるつるまん丸のガムが4つくらい入っているもの。私も子供のころ、近所の駄菓子屋で10円で買った覚えがある。7種類入って1ドル29セントなり。

子育てとは子供が私の手を離れて行ってくれること。でもあんまり急がなくてもいいからね!

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