土のなかから、小さな芽が顔を出して、もうすぐ春が来るかな、とあたりを見回しています。小さな芽は、だんだん大きくなりました。

お日様の暖かい光を受けて、雨をたっぷり吸い込むと、いつのまにか、大きく、青々と成長しました。やがて、葉を広げ、うれしそうに花を咲かせ始めました。

もう春です。しあわせいっぱいです。

これは、春を迎える今の時期になると、必ず保育園で子どもたちにしていた ‘指遊びの歌’です。ふきのとうも、とっくに顔を出し、あたりは、日ごとに春が満ちてきています。

しかし、一方、この時期の少し前から、子どもたちはインフルエンザの流行でマスク着用の日が続きます。その上、中国からの黄砂だけでなく、PM2.5の注意喚起も出て、子どもたちはマスクがなかなかはずせないのが現状のようです。早く、子どもたちに、マスクなしで過ごせる春を迎えさせてあげたいものですね。

◆表彰状をいただいて

先般、京都知恩院で1月27日、28日と「サラナ親子教室研修会」が行われました。その案内をいただいて、本当に何年かぶりで、参加させていただいてきました。

その研修会についての案内を、自坊より知らされたのは、その申し込み期限の間際であったことや、久しぶりの参加でもあったので、その研修会の内容を充分に把握しないまま、とりあえず都合のつく日や時間内で一講座だけでも参加させていただくつもりで、初日の27日に出かけました。

会場に着いてまず驚いたのは、その雰囲気でした。宿泊兼研修会場として利用されている会館は、すっかり新築されています。その会館の一室が会場として充てられていて案内していただいたのですが、すべてが新装なったその会場には、昔の面影はどこにもありませんでした。会場のあまりの変わりように、しばらくは面食らい、戸惑うおもいでその場に佇んでしまいました。そして、そんなに長くこれまで参加してこなかったのだろうかと、年月をしみじみと思い巡らすのでした。

また昨年から新たに始められたという研修会の内容も、よく飲み込めないままに開講式が始まりました。

開講式では、10年以上にわたって「サラナ親子教室」をやってこられた4組の教室に対する表彰が初めに行われました。おもいがけずも「泉通寺サラナ親子るーむ」もその表彰対象に入れていただいていたのです。

さすが知恩院の御門跡様からの感謝状です。大きく、とても立派な感謝状でした。これまで保育界等でも何度か長年の勤務に対しての表彰状をいただいたことがあります。しかし、今回のこの感謝状は、これまでになく、手にいただいたとき、何かずしりとした重みと、喜びの思いがわきあがってきたのです。

沸きあがってきたその喜びは、ささやかながらもこれまでやってきた、‘サラナ親子教室への取り組み’に対してというよりも、私の内では、親子教室に至るまでのこれまでの様々なことを含めた道のりに対してのように思われました。サラナ親子教室は私にとっては本当に楽しく過ごした時間ではあっても、表彰していただくほどの大変なことではありませんでした。

ですから、その喜びは、むしろ保育園在職時代に、子育ちへの支援の必要性を強く感じたことから(子どもを道連れするという痛ましい事件が私の身近で起きたこと)始まり、これからも一層その重要性が増してくるであろう、子どもの育ちやその親御さんへの支援のありようをも含めて、ここに至って知恩院もその重要性を認めてくださり、励ましくださったと受け取らせていただき、その思いへの感動が喜びとなって胸に湧き上がってきたように思います。

その道のりを振り返れば、いろいろなことが思い起こされてきます。娘たちが通っていた中学校が当時とても荒れていて、その中心となった生徒さんたちを対象に保護司であった住職と自坊で「青少年受戒」を行ったこと。その受戒に、のちに知恩院の執事長となられたお上人様が自坊に立ち寄ってくださり、青少年の育成に大変な関心を持って喜んでくださったこと。

そして、そのお上人様が知恩院で小さいお子さんを対象にした「サラナ親子教室」を開かれたこと。また住職が、ご縁をいただいて、一時期ではありましたがその知恩院でのサラナ親子教室を含む職務の責任者としての任に就かせていただいたこと。その間の教室の在りようの紆余曲折。

今回ご案内いただいたのは、名称も新たに、それまでのインストラクター養成講座の更なる積み上げ講座として、昨年からスタートされていたという‘サラナ・パワーアップ講座’でした。

その最初の講座は、「サラナ親子教室」にとっては、基本中の基本となる「お釈迦様・法然上人の み教えについて」でした。お話くださったのは、まだ お若くておられるのですが、奥様と御自坊でも長年サラナ教室をやってこられていて、今回、同じく表彰を受けられたお寺の御住職様でした。

これまで実際に「サラナ親子教室」を長年にわたってやってこられていて、今回、知恩院での「サラナ親子教室」の責任者としてもその一端を担われたという方のお話です。

限られた時間の中での、浄土教に関するほんの基本となるお話ではあっても、わかりやすくお話しくださるその言葉の一つ一つに、そうした日々の取り組みのひだ、ひだが感じられて、そこから流れ、伝わってくるものがやはり違うのです。

そして、“まことの道を人に伝えること”それが本職であられても、それがどんなに困難なことであるのか、そのことが、ちょっとした言葉のなかにも感じ取られてくるのでした。

それと共に、親、教師、保育者、社会の人々にとって、子どもの育ちにかかわるうえでの本質的なものへの気付きに至る道のりの遠さが、拝聴させていただきながら、これまでの私の道のりにも重なってくるのでした。

今回のお上人様のお話や出会いが、ようやくここに来て、ぽっと希望の明かりとなって灯り、それがさらに深い喜びとなって滲みでてくるのでした。

それは、昭和52年に訪れて今でも強く印象に残っている、イタリアのバチカン市国のミケランジェロによって描かれた創世記『アダムの創造』の、“父なる神の手がアダムに生命を吹き込む場面画”が思い起こされるようでもありました。

また、浄土宗保育協会の「浄土宗保育指針改定」に関わる会合にも参加させていただく機会がありました。

その究極として学ばせていただいたこと。それは、浄土教にとっての一番大切な言葉である“南無阿弥陀仏”は、子どもと過ごす日常の生活においての“ありがとう”“ごめんなさい”であること。と共に、この世に存在するすべてのものの命は、その大いなる存在に“生かされている命”だということに気付くこと。それらのことが、すべての子どもとのかかわりにおいてのスタートであり、また、立ち帰るべきところでもあるということです。

◆「世界一剣道教室」で学ばせていただいたこと

後日、2月9日、孫が通わせていただいている県武道館で世界剣道選手権優勝の「高鍋進氏」をお迎えしての『世界一剣道教室』が開催されました。

満ち溢れる男の子のそのエネルギーを、何とか対処したいとおもい、始めた、孫の剣道の付き添いで、ここ4年あまり武道館に通い、その稽古が終わるまでの時間をその片隅で待たせていただいてきています。しかし、こうした剣道やスポーツの世界に全く疎い私には、高鍋進氏がどういう方なのか、世界剣道選手権優勝ということがどういうことなのかについても全く無知だったのです。

その日、私はその教室の最後まで参加することはできず、孫を連れて行って、すぐに家に戻らなければなりませんでした。しかし、折角の機会です。時間が許される範囲で予定されている講演と実技指導の一部だけでも拝見できたらとおもって送って行ったのです。

予定されていた日程が変更されて、すぐに実技指導が始まりました。30分あまりの間、その子どもたちへの実技指導を拝見させていただくことができました。

指導が始まると間もなく、剣道に対して全く無知な私にも、その指導者としての指導の在りように目も心も釘付けになってしまいました。まだお若い方のようにお見受けしたのです。しかし、お若くても、ご自身が身をもってその厳しい道のりの段階の一つ一つを確実にこなして歩んでこられていて、今もなお、師について学んでおられる立場にある方の指導には、人を指導するうえにおいても、若いも年よりも無いのだということを実感させられたおもいでした。

指導開始とともに、凛とした緊張の雰囲気が漂い、剣道の基本動作からの指導が始まりました。基本となる動作の一つ、一つをきちんと子どもたちにやらせ、動作の一つ、一つの意味と練習方法について、その都度、全員を高鍋氏の周りに集め、きちんとわかりやすく、明解な説明を加えられるのです。本当に大切なことや、大切にすべきことが、全く無駄のない、実体験の伴った的確な言葉で、受身になって学ぶ子どもたちに、的確に入っていくのが伝わってくるのです。