◆子ども修養会

3月31日、4月日と京都の浄土宗大本山百万遍知恩寺において行われました“子ども修養会”に孫たちと行ってきました。

孫が得度を受けたままではなく、それに続く何か導きの機会があればと思っていたのです。知恩院をはじめ、心当たりをあたっていてこの修養会を知り、みんなで参加したのです。今回の“子ども修養会”は一般の子どもを対象にしたものではなく、寺族の子どもを対象にした修養会ということでした。

学校も春休み、花見のシーズンでもあってか、京都駅前は各市バスを待つ人でそれぞれの最後尾がどこなのか見分けがつかないほどの混みようで長蛇の列でした。ようやく乗った知恩寺までの市バスの混みようも大変なもので、目的地で無事降りることができるのだろうかと案じられたほどでした。

知恩寺まではバスを降りて大通りを少し歩かなければなりません。しかし、その大通りに面している総門は、間口もそれほど広くなく、あまり目立つ建物ではないので、うっかりすると通り過ぎてしまいかねないのです。

しかし、門から一歩境内に足を踏み入れると、それまでの喧騒はまるで嘘だったかのように、広い境内は、実に静かに静まり返っていました。まるで別世界にたどり着いたようでした。

あたたかい春の日差しのなか、その日になって急に一気に咲き始めたという境内のほぼ満開に近い状態の桜にも満面笑顔で迎えられているようで、彼岸の世界とはかくやとさえおもわれるほどでした。門を挟んでの二つの世界のあまりの違いに、私たちが実際に生活している現実の世界と、現実を超えて存在するといわれている世界を同時に体験させていただいた思いでもありました。

◆ 人は何のために生まれてきているのでしょう

ドイツの思想家ルドルフ・シュタイナーは子どもの育ちを考えるとき「人間学」やその思想において、目に見える世界だけではなく、目に見えない世界も実際に存在するものとして捉えています。

その「人間学」では、人間は‘肉体’(これは私たちの 感覚でとらえることができます)のほかに、‘生命体(エーテル体)’、‘感情体(アストラル体)’、そして自分をコントロールする‘自我’から成り立っているというのです。

そして、魂の世界,霊界(精神世界とも訳されます),死後の世界、膨大な宇宙史や‘悪’の世界からも捉えようとしているのです。ですからもちろん人間の「輪廻転生(生まれ変わり)」が基盤とされているのです。

仏教においても「輪廻転生」がその基盤となっていることは、死後の法要などを通して皆さんはもうご周知のこととおもいます。

一般に、子どもの育ちを考えるとき、現代の学問の世界やそこで教育されてきている私たち大人は、目に見える世界(感覚の世界で受け止めることができる世界)に対しては理解できたり、受け入れることができるのですが、目に見えない世界に対しては、存在しないと見なしたり、それを受け入れることはなかなかできないものです。

この世は、現実世界しかないと考える人にとって、またそこまでではないがという人にとっても、“この世をどう生きるか”ということは何よりも大事な課題なのです。

ですから、子どもの養育においても、この現実世界をよりよく生きて行けるようにという親御さんたちの心の砕きようは大変なものです。この世が幸せ多き人生であることを願って、子どもにも早期から大変な努力をさせるのです。それが今日の子どもの教育状況として半ばあたりまえのこととなっているのです。

人間という存在は、実に不思議で神秘的な存在です。どんなに科学や学問の世界が進んだといっても、私たちの知性で人間のそのすべてを解明できるまでにはまだまだ至っていないのです。わかっているといっても、まだほんの一部でしかないといっても過言ではないのです。 

ですから、その人間理解に対する考え方は様々です。その考え方が、どのような深みからくみ出されてきているのかは別としてです。

ここでは人間存在を拡大して捉えている「人間観」、「世界観」にも学びながら、さらなる子どもの育ちについて歩を深めていけたらと思っています。

シュタイナーは、その人の‘死を迎えてから誕生するまでにたどる過程について、多くの著書や講演の中で、繰り返し、繰り返し詳細に述べています。(『神智学』筑摩書房)ほか多くの著書)

それによりますと前世(その前の人生)を生きたそのエッセンス的要素は死後にも引き継がれていっていて、その結果、前の人生に為し得なかったことや、償わなければならなかったことなどのバランスをとるためにこの世に自分でこうありたいとして、それにふさわしい両親を初めとする環境を選んで、この世に生まれてくるのだというのです。

もう何年前になるのでしょうか。随分昔のように思われます。死後の世界のことを初めて耳にしたのは。

オイリュトミスト〈オイリュトミーとはシュタイナーによって示唆された運動芸術)の笠井叡氏の講演でした。講演が始まるとすぐに人の死後、はじめに肉体から生命体(エーテル体)が宇宙生命界に解消されていくまでのその過程についての話が始められたのです。信頼する方の話でも、それまでは禁断のことのように思えていたこのような話を実際に耳にして、このまま聞いていていいものかと、一瞬たじろぎと、戸惑いを覚えたことを記憶しています。

死後の最初の時期に、数日間にわたって、誕生から死に到るまでの人生でその人が体験してきたすべてについての広大な記憶像(タブロー)が死者の眼前に広がるのだというのです。

シュタイナー自身も「通常の考え方からすれば、全く空想的としか思われないような体験領域へ入っていくのですが私はそれをあえて語り、これからのお話の中で、それを少しでも納得できるものにしようと思います・・・今述べたことは全く空想的なことのように見えますが、こういう事柄を語ることには大きな責任が生じることを私は意識しています。こういう事柄は、自然科学上の知識と同じように知られなければならないのです」とわざわざ断りを入れているくらいなのです。(『シュタイナーの死者の書』 ちくま学芸文庫)

その『神智学』や『シュタイナーの死者の書』などによれば、生命体の解消に続いて、魂の浄化期間があって、その長さは人によって違うのですが数年間続くそうです。

「生前の世界が今、死者たちの外界になるのです。死者は自分の内部でまだ決着のついていないすべての事柄を見ます。そして前世では悪いことをしたが次の地上生活ではその償いをしよう、という憧れが生じます。どんな人も、この時期には前世を回顧することができます。生前のすべての行為がこの時期に死者の眼前に現れ、新しい地上の人生ではその償いをしようという思いを生じさせます。新しい地上生活においては、前世でやれなかった事柄を償い、そうすることで、人生をよい方向に持っていこうとするのです。・・・自分が負担をかけた人たち、自分に負担をかけた人たちがいますが、この人たちとの関係も魂の前に償いを求めて現れ、そして次の地上生活において、再びその人たちと一緒に生きようとする傾向を生じさせます。それによっても地上を志向する力が作られます。同じような様々な力が死者たちの中で目覚め、そのようにして人びとは来世で互いに再開し、前世における罪を互いに償い合おうとするのです。・・・死者たちはそれまで体験してきたことから、新しい地上生活の霊的原像を作り上げます。そしてさらに、新しい地上生活に入るために、父親と母親から受ける物質成分に自分を結び付けます。死者たちは自分に身近な成分に惹かれますので、遺伝的な特徴とこの原像との間に親和力が見出せるような両親に惹きつけられます。そのようにして死者たちはふたたびこの地上で、肉体を担った存在として生きるのです」

しかし、“生まれる目的と意味を持って自分で意志して生まれてきている“といわれていても私たちは‘なぜ生まれてきているのか’について自分で確信的に捉えることができる人は少ないのかもしれません。生まれる前に、私はこのことをするために生まれたいと強く意志して生まれてきていたといわれていても、生まれる前の世界と生れた後の意識の世界には厚いベールがかかり、そのことに関する記憶は思い出せないからだというのです。

私たちの年になれば、もう自分の人生のほとんどを振り返って一望できる年齢になっています。自分のこれまでの人生の足跡を見て、そこから自分の人生の何らかの意味について読み取ることもできるはずです。