◆春の自然

ふきのとうのすっかり伸びた、しかしまだ柔らかいその茎のきんぴらの、そのおいしさに新たな春の楽しみを味わったのもついこの間のことでした。高須町での、棚田での稲作づくりの折いただいたジャガイモが、あまりにおいしかったので、新たに始まったジャガイモ作りのオーナー制に申し込みをし、4月13日、そのジャガイモの植え付けに行った折に、地元の方にこのきんぴらを教えていただいたのです。

5月13日、その日はいくつかの予定が重なり、高須町での植えたジャガイモの手入れには間に合わず遅れてしまいました。それでも遅れて参加した私をその地元の方が待っていてくださって、作業が終わった帰りに筍をあげるから家によるように言われました。もう筍の時期には少し遅いように思われましたが、ゆがいて家の前のお清水につけてあるその筍の香りの清らかなこと。まるで取り始めの堀りたての筍のような若々しく、みずみずしい清らかな香りがするのです。

今の時期のしかもゆがいてある筍がこんなみずみずしい清い香りがするのはそのゆがき方によるのはもちろんだと思いますが、それに加えて高須町のいたるところを潤沢に潤しているその水にもあるように思えました。ブログを書かれているとのことで、そのアドレスを教えてもらうために家にまでお邪魔させていただきました。

ブログを読ませていただいている間、コーヒーのよき香りがしてきました。高須の自然だけでなく、実にいろいろなことに取り組まれて心豊かにその生活を満喫されているお話を聞かせていただきながら、いただいたそのコーヒーのおいしかったこと。日頃あまりコーヒーを飲まない私ですがそれでもまろやかでとてもおいしく感じられたのです。

春の芽吹きの山菜、よめな、ふきのとう、つくし、こしあぶら、タラの芽、野ふき、せり、たにぶきなど山菜の数々。特に孫たちの大好きな‘よめなごはん’(できるだけ日陰に生えている柔らかいよめなを摘んで、ゆがいて適宜の大きさに切って塩味で熱いご飯に混ぜたもの)や‘ふきの葉ごはん’(柔らかいふきの葉をゆがいて、少し水にさらしたあと、細かく切ったものを、上乾しらすとゴマ油でいため、醤油で煮含め、煎りつけたものを熱いご飯にまぶしたもの)を今年も家族で堪能させていただきました。

自然食品店「ひのもと」さんから‘漢方薬と食事会の講座’のお誘いをいただきその講座にも参加させていただきました。講座によれば春先の適量の苦味は、春を迎える体、特に心臓や肝臓にはとても必要なことだというのです。春は、冬の間に防寒対策のため溜め込んだ脂肪を分解する季節でもあり、特に春先のその‘にがみ’はストレスやその対策として油ものを食べ過ぎて、その負担を一手に担わなければならない肝臓にはとても必要なことだというのです。そのことをお聞きし、人と自然が自然の暮らしの中でその調和を保つため織りなされてきていることの深さ、素晴らしさに、そしてその天の配慮に深く感じ入ったのです。

この講座は福井市柿ケ谷町に建てられている「ひのもとさん」の別の研修会場で行われました。主要道路からはちょっと山深くに入った、自然いっぱいの中に建つその建物の周囲に生えているスギナをはじめとする山菜や季節のものを使って出してくださったてんぷらやちらし寿司など体に優しい料理と、木をふんだんに使って贅沢に建てられているまるで別荘のような建物と、講座内容の三者が実にうまくマッチして、心ある方々との会話がはずみ、いっそうおいしくその料理をいただくことができたのです。

ずっとずっと昔、先代のお父さんが、まだお若く、お元気だった頃にも確かこのあたりにあったという研修会場で研修させていただいたことを思い起こしながら実に贅沢なひととき持たせていただいたのです。

◆幼子との出会いの中で

しかし、今はもう夏の気配が漂う季節に変わろうとしています。

海外に住む人は、東日本大震災による原子力発電の崩壊により、放射性物質に汚染されてしまった日本を、日本に住んでいる人以上の様々な情報によりとても恐れ、なかなか帰国できないでいる人が多いのです。それでもやはり、遠く離れて海外で暮らしていると望郷の念は募り、時機を見て日本に、福井に帰って来られているのです。

そうした中の一人として、ドイツに住む末娘の家族が4月中頃帰郷しました。まだ一歳と半ば、私にとっては7番目の孫を連れてです。娘の胸にまるでリュックを前で担いだような抱き紐で抱かれ、頭からはフードですっぽり覆われていて、まるで荷物から足だけ出ているような格好で改札口に現れたその姿に、現代の子育ての在り様を見た思いがして、思わず笑ってしまいました。

後日、大きな体のパパさんに抱かれて改めてのあいさつに私のところにやってきました。これまでメールやスカイプを通して一応会ってきてはいるのですが直接会うのは初めてです。初対面の私にも鼻にしわを寄せながら大きな深い目に精いっぱいの笑みを込め、親しみを込めて挨拶してくれるのはドイツ仕込みのジェントルマンとしての外交辞令なのでしょうか。それともこんな小さいうちから誰をも引き付けずにはおかないそうした作法を備えているのはその血のなせる技なのでしょうか。日本の赤ちゃんとは、何かが少し違うように思えました。

強いて言えば自我の違いなのでしょうか。自我の違いというには、まだまだ早すぎるでしょうに…。

‘目は口程に物を言う’といわれているように、その深い瞳は、何も語らなくても何もかもわかっていると言わんばかりです。その瞳を見ていると、この子はいったいどんなお役を持ってこの世に生まれてきたのだろうと思わずにはいられないのです。

シャイなところがあるから、自然に慣れるまで待ってあげてという娘からのメールでの注文もあり、小さい子にとってはそうしてあげることが当然望ましいことでもあるので忙しさもあって、しばらくは娘たちになにも連絡をとらないでおりました。

しかし、幼い子にとっては大変な旅、疲れが出たのでしょう。伝染性の病気にかかったり,熱が出たりとトラブルが引き続いたようです。しばらくはそれなりの対処をして様子を見ていたようですが、たまりかねて病院に連れて行ってほしいとの連絡が入りました。その時は、家族の誰もが都合が悪く、連れていく者がいないというのです。その時とっさに、この子が今私を必要としていると思えたのです。まだ幼い子を連れての帰郷、その幼子にとっての影響を思うといろいろと案じられながらも、こうして遠いドイツからはるばると来てくれたのだと直感的に思えたのです。

大人の複雑な人間関係に比べ、まだ霊界と結びついている幼子の魂はなんと直球で来ることかと、その直截さに驚くとともに、感動の思いで急いで迎えの車を走らせたのです。
してほしいことがあると、家族のそれぞれを上手に使い分けてその小さな手を合わせてお願いするのだという。まるで天使のようなそのしぐさの可愛さに誰もがその願いをかなえずにはいられなくなるというのです。その幼い純な魂が、無意識ながら本来のあるべき人間関係や家族関係への働きかけとしていろいろなことを引き起こすように私には思えたのです。

一時でも代わって見てくれる人のいないドイツでの子育てに疲れている娘たちは、都合がつけば代わって見てもらいたいようで、それ以来、時々連れてくるようになりました。そして親がいなくても一人でもとても楽しそうにかなりの時間過ごすことができるようになったのです。

まだあまり言葉が話せない幼子と過ごすのは本当に久しぶりです。彼との会話は主として歌です。歌が大好きで、聞きなれた歌や手遊びのいくつかは覚えてしまって体でリズムをとったり、一緒に手遊びをするのです。その場に応じて‘うた’を歌ってあげると大きな瞳で一心に見つめながら全身全霊で聞き入るのです。ブランコに乗りながら、♫ぶーら ぶーら ぶーらり/ブランコ揺れて…。菖蒲の花が風に揺れているのを見るとき、歌詞を変えて、♬ゆーら ゆーら ゆーらり/―お花がゆーれる…。今を盛りと咲いているバラを見ながら、♬バーラが咲いた/バーらが 咲いた/真っ赤なバーらが…、と歌っているうちにそのバラの香りに包まれてか眠ってしまったり。住み着いてしまった野良ネコちゃんと遊ぶ時、♬にゃーにゃー/にゃーにゃー/おりこう にゃーにゃ…。巣作りに懸命なツバメがやってきているとき、 ♬小鳥はとっても歌が好き…。などなど。

やっと赤ちゃんから抜け出たばかりのまだ小さな子です。‘うた’こそ、幼子と通じ合える通路なのです。その唄の力の素晴らしさや、すごさを改めて実感し、許された時間を孫と一緒に楽しんでいるのです。しかし、やっぱり男の子です。まだヨチヨチ歩きながら足羽山のミニ動物園の滑り台では、うまくスピードが出て一気に滑れた時や、ターザンロープにつかがらせてスピードを出して一緒に走ったりすると心からの大きな歓声を上げて喜ぶのです。お兄ちゃんの孫たちと遊んだり、近くの公園で、大きなお兄ちゃんたちに混じって遊んだりしているときは、その瞳は冒険に挑むキラキラと輝く男の子の目となるのです。側にいるとても危なく、ハラハラすることも多く、体力的にもちょっと大変ですが、不思議なことに昔取った杵柄、年はとっても子どもにとって本当の喜びの姿に出会えると、かえって元気になるのです。

仕事を通して長らく子どもとかかわってきたこうした私には、忘れることのできない、いくつかの出来事があるのです。それらの出来事は子どもの健やかな育ちを考えるうえで私にとっての原点ともなっていて、何かの折、必ずいつも立ち戻って思い出されてくる出来事なのです。それらのことについてこれまで、これまであまり人に話したことはなかったように思います。ここでそれらのことにも少し触れておくことも、更にこれからの子どもの育ちを深めていくうえでも必要なことかとも思うのです。

それは次のような出来事でした。
・これまであまり誰にも言えないできたことで幼、小、中と学校を共にした同級生とそのいじめの問題のこと。
・里帰りされるといつも重症な障害を持たれた、もうかなり成長されていた娘さんを負ぶって必ず私の実家に寄られていた方のこと。
・学生時代に実習させていただいた東北の八戸の当時は日赤病院に併設されていた肢体不自由児、重症心身障児を対象とした「はまなす学園」でのこと。
・大学の付属での実習でのこと。
・知らずにドイツでシュタイナー教育に出会ったこと。
などについて次回でもう少し説明を加えさせていただきたいと思います。

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