狐川に沿って車を走らせていると、桜の並木の緑と、あじさいの植え込みの緑の列が互いに調和しあって遠くにまで続く光景に ‘なんて美しいのだろう! いいなぁー’といつも感動を覚えないではいられないのです。それが北に向かって走らせているときには間近に連なる緑の山々が背景となり、南に向かって走らせているときには、はるかに霊峰白山を望むのです。

春には道行く多くの人々がその見事なまでに咲きほこる桜の花に心が華やぐまでに成長した桜並木。風によってかすかに揺れるその枝々の流れが、道路を挟んで狐川沿いに植えられているあじさいにそっと手を差し伸べ覆うように、互いに呼応しあっているその光景に‘なんて素敵な光景なんだろう’と通るたびに見とれてしまうのです。そのあじさいも、地域の人たちの長い間のお世話の甲斐あって、今では緑の大きな丸い玉となって、桜並木に沿ってずっと続いているのです。日ごとに色づき、緑の中に赤紫、青紫、青、水色などの美しい彩りが急速に増し、見頃を迎えているのです。

◆小さな親善大使

先日久々に関空に行ってきました。まだ小さな孫を連れて一人でドイツに戻る娘を送るためにです。最後にこの空港に来たのはいつのことだったのでしょう。

ふと、この関空から大学を卒業してまだ間もない娘を一人ドイツに旅立たせた時のことが思い出されてきました。

娘が飛び立ったあとの空港では、うつろな思いのままにいつまでもぼんやりと座ったままで、その場から立ち上がる気にもなれず、まして空港を立ち去ることもなかなかできなかったことをです。

当時は世の情勢もイラク戦争の始まっている大変不安な状況のなかでした。本当に、今、自分のしようとしていることは間違ってはいないのかという自問を伴う底知れない不安を含め、なにかうつろな気持ちに立たされていたのです。

それまでは何度か娘たちを幼児教育の研修のためドイツに送り出してきていました。当時は、ドイツ側の受け入れも大変好意的で、とても温かく迎え入れられ、金銭的にもとても良い家庭にホームステーさせていただくなどほとんど負担がかからないように十分に心配りをしていただき、何も心配することはありませんでした。

しかし、10年ほどの間には海外事情も大きく変わっておりました。受け入れも決して甘くはなく、語学が十分でなければ、すぐに自国に戻されてしまうということも聞かされました。こんな気持ちで子どもを海外に送り出したのも初めてだったのでした。

保育所は補助金による事業でもあることから、当時保育の現場では、行政によるお金や、数や経理関係や、書類などの無機的なものの重視が年を追うごとに強まり、血の通う幼子たちの育ちにとって本質的に大切なことよりも、現実社会のニーズに応じることが優先され、そうしたことが重視されるようになっていったのです。

現場にいる保育者たちは保育者としての喜びや保育に希望を持てるというよりも、提出書類に追われる毎日でした。その内容も行政側の一方的な朝令暮改的な変更に締め付けが強まっていくばかりで、それが監査の厳しさとなり、まるで首を締め付けられる思いの日々だったのでした。そんな世の現状を目の当たりにするとき、「子どもの育ちにとっての真の人間学の必要性」を痛切に感じないではいられなかったのです。

そんなおり、講師としてドイツから先生を招いての4日間にわたる治療教育をはじめとする研修講座が、高橋弘子先生のもと、毎年那須の「みふじ幼稚園」で行われておりました。

治療教育の一環としての「胎生学」など「人間学」に関するその講座での内容の深さは、これまでの私の学びにおいてはそれまで出会ったことがないほどに深いもので、大変な驚きと深い感銘とを覚えました。

こうした時代だからこそ、こうした深い人間認識に基づいた「人間学」の学びを、保育や教育に関わるこれからの若い方たちに是非学び、深めていってほしいと、受講を通して、何度も思わずにはいられない内容でした。

そこで講座の終わりにあたって、研修のお礼と感想を兼ねて、その旨を講師の先生に率直に申し上げました。

すると、講座が終わって私を別室に呼んでくださり「よければ、娘さんをドイツによこしなさい」といって声を掛けてくださったのです。

その講座のお世話をされていて、私たちのことをよく知っていてくださった方々が娘についてお話くださっていたのでしょうか。そして、その先生の所属しておられるカッセルの教員、治療教育者養成所の詳細が書かれているドイツ語のパンフレットを渡してくださったのです。そのことが娘のドイツ行きのきっかけとなったのです。

そうした学びの一端を学べる機会を与えられて、その学びが娘に託されたのです。

ようやく最初の落ち着き先も、ベルリンに決まり、ドイツ人の知人のアパートに住まわせていただくことになったのです。彼は日本で備前や越前焼の陶芸の研修をされ、越前陶芸村にも一年滞在しておられた方で、ケーテ・コルヴィッツが曾祖母にあたるという方でもありました。

しかし、関空で見送ったとき、それは、娘にも告げることのできない私だけが秘めていなければならない‘教育の世界への供犠’にも近い思いだったのです。(母の悲願―ベルリンのケーテ・コルヴィッツ美術館を訪ねてー より)

飛行機に荷物を預け、しばしの空いた時間、機内持ち込みの荷物が積まれたカートと孫を私に預けて娘はまだ残っている所用のために ‘十分運動させておいて・・・’という言葉を残してどこかに消えていきました。これからの長旅に備えてのことでしょう。

しかし、この空港でこの荷物を見ながら、まだ小さい孫をどのように運動させよというのでしょう。荷物も、ドイツに着けば迎えがあるとはいうものの、こんな小さい子がいながら一人でどのように持っていくのだろうと案じられるほどの多さです。

それでもこれからの十何時間のフライトを思うとき、孫ができるだけご機嫌よく機内で過ごせるよう、荷物を見ながらその周りを歩かせる努力をしたのです。大好きな風船を一つ持たせて。そんな孫の様子に飛行機を待つ様々な国の人が微笑み、声をかけてこられるのです。

まだ十分に天界(霊界)的存在の在りようが残されていて、その表情やしぐさに表れている幼子の‘純さ’が、かくも多くの人を引きつけずにはいられないようです。周りの人に微笑みで見つめられると最初は少し照れるのか、恥ずかしいのか、私に身をすり寄せるのですが、少し慣れるとあの得意の鼻にしわを寄せての社交辞令的微笑みを返すのです。その微笑みが一層相手を引きつけるようです。そして手を差し伸べるその人にその風船を飛ばしてあげ、一緒に遊び始めるのです。福井で出かけたときにもこのような場面を何度か目にしています。どの場合にも孫が遊んでもらうというよりも、大人の人の方が夢中になって遊んでもらっているという感じではあったようなのですが・・・。

いよいよ搭乗手続きが開始される時間となってようやく娘も戻ってきました。

さあ、飛行機に乗ろうね。皆さんとさようならをしようね。と言うと、その小さな手を一人一人に差し伸べて、娘も知らなかったという握手をするのです。そのことがまた相手の人たちをいたく感動させたようです。そして‘バイ’といって大好きなベビーカーに乗って、ドイツでは誰もがさせているというおしゃぶりをくわえて搭乗手続きへと入って行きました。

「おしゃぶりをくわえてベビーカーに乗った‘小さな親善大使’」そのような光景に思わず笑いがこみ上げてきそうでそう名付けたくなりました。
わずか1か月余りの福井や日本での滞在で、出会ったたくさんの人に微笑み、微笑みを交し合い、たくさんの人とつながり、そしてその小さな手でたくさんの人と握手をして、たくさんの人に‘バイ’を言って飛び去って行ったあの幼子の 「‘純な’存在の力」を目の当たりにして、‘大人はとてもかなわないなぁー’ そう思わずにはいられませんでした。

娘は、九谷や越前の陶芸まつりにも出かけ、日本の焼き物やそこで売られている漆器などいろいろと買い求めたようです。「和食」のように、日本を離れると、日本的な物の価値がかえって見直されるようです。すし桶も買って帰りました。すしパーテイをするのだそうです。
ドイツ語学校に通っていた頃、私もその仲間の人たちから食事会に誘われたことがあります。その時、娘のすしの評判を聞いたことがあります。世界各地から集まっていたさまざまの人から、日本の‘すし’はとても好評のようでした。

日本では、自然と人間が共生する生活の中で、職人さんによって生み出され、長い年月をかけてその技が磨かれてきた漆器類をはじめとする日本の様々の製品の価値やその精神性が、今の時代、「古い」、「不便だ」という一言のもとで見失われ、捨てられ、焼き捨てられていっています。そうしたなか、それらの日本的な品々を買い取って、外国の人に紹介する手もありそうだとちょっと思ってしまったのです。

◆中学時代の出来事

先月孫たちと海に遊びに行ったときのことです。海からボートを引き上げようとしている人に出会い、この季節に何をしようとしているのかを知りたくて、近くに行ってみました。

それは実家の集落の人たちで、その一人は同級生だったのです。テトラポットに生えているわかめをとってきたのだといって、たくさんのわかめをボートからトラックに積みなおしているところでした。「もうバケているけどよかったらあげるよ」久しぶりに聞く浜言葉?です。私たちは成長しすぎた海藻はバケていると言ってあまり食べなかったものです。しかし、スーパーに売っているものに比べたら全く問題ではありません。ほしい!思わず同級生のよしみで遠慮なく本音を言ってしまいました。スーパーの大き目のナイロン袋にびっちりと押しつけて入っているわかめ。小さい時からこの味で育った身には本当にうれしかったです。たくさんのわかめ、きれいに洗って塩をし直し、干して粉わかめにしたりしておいしくいただいております。