◆伝わる。伝える。夏野菜最盛期

じゃがいもを掘りに来てください。遅くとも7月13日午前中までには来てくださいと福井市高須町のお世話の方からお電話をいただいたのはその前の週の金曜日だったと思います。

掘りに行けたのはぎりぎりの13日、その日はあいにく朝からの雨。雨でも来てくださいとのことで、少し小降りになるのを見計らって、意を決して雨の中、高須町に向かいました。植えるときには、半列ほどだと思った割り当ても、誰もいない山の畑、小雨ふるなか、時折風も吹き、孫と二人で掘っていると最後の株が遠くに見えて、まだまだという思いでした。

一株抜くごとに大きな芋がゴロゴロと土の中から出てきます。掘り残しを確認するというよりも早く終えたいという焦りのような気持ちでいっぱいでした。もっとお天気の良い日でみんなと楽しくじゃがいも掘りができたらよかったのにという思いもよぎるのです。

それでも予想をはるかに上回る量で、いつもの高須のじゃがいもも大きいのですが、こんなに粒ぞろいで大きい芋は見たことがなかったのです。家に帰って、車庫に広げて乾かし、あまりにも大きいので、さっそく一個の重さを計ってみました。一個が450グラムもありました。食べてみて美味しければ、皆さんにお分けしても十分な量です。さっそく粉ふき芋にして塩味だけで食べてみました。大きくても中もきれいで大丈夫でした。 ‘ああ、おいしい!’思わず口を衝いて出てしまいました。

寒暖の差が激しいからなのか、土のせいなのか、やはり高須のじゃがいもは美味しいのです。そのじゃがいもや、玉ねぎ、にんにくに始まり、なす、きゅうり、ピーマン(今年は満願とうがらしにしました)、いんげん、もろっこ豆と私の畑も夏野菜の最盛期。毎日の食卓を今を盛りと賑わせています。

‘ばあちゃん、 じいちゃんが野菜を持ってきたよ。糠床も作っておいてほしいって!’孫の声に外にでてみると、いつものように、段ボール箱や畑で使う箕の容器に大きくなり過ぎているきゅうりや茄子やピーマンがどっさりと置いてあるのです。‘早めに取りに行くように!’という言葉を残して。

そうです。いつも、うっかりしていて、畑の野菜は?と気が付いて急いで畑に採りに行くとこういうことになってしまうのです。更にピーマンは枝いっぱいにたわわになり過ぎていて、そのすべてを採り尽くすのにとても大変なのです。

ですから、まずそれらの野菜をどのように使ったらいいのか、分別から始めなければなりません。喜んでもらえる人には差し上げる行先を考えてから。そして、残った野菜の料理法を考えるのです。適時に採ったナスやキュウリは糠床などいろいろなことに使えます。その糠床も無農薬の糠を分けていただき、昆布やしょうがの他に、自家製の青梅や、にんにく、赤唐辛子、山椒の実などをいっぱい入れておくのです。

大きくなりすぎて、しっかりと実の入ったきゅうりは捨てられがちですが、使い方次第では、なかなかおいしいもので、‘なます’や、‘葛煮’や、‘中華風炒め物’には熟したきゅうりに限ると思っているのです。‘なます’は、大きくなったきゅうりでも一度に3~4本は使うことができるのです。そして、それほど大きくてもそれほど大きくなりすぎていないきゅうりは孫たちの大好きなキュウちゃん漬けにするのです。

近くに住む、姪から‘去年のように今年も梅を漬けますか?’と連絡が入りました。家族が梅干しが大好きなので若いながら家族のために昨年から梅干しを作り始めているのです。しかし、寺の山の梅は、もう保育園で使ったから今年はもう‘ない’というは聞いていました。ですから、今年は梅の始末はしなくていいという、なんだかほっとする思いと、ちょっぴりさみしいような思いでもいたのです。しかし、念のため、まだ梅があるのか確かめてみると、梅の時期には少し遅くなっていたのですが、木をたたいて落としたのでしょう。ビニールシートにくるんだままの取り残しの梅が届きました。

まだ青いものもありましたが、かなり黄色くなっているものの方が多く、やはりその大きさや色、傷つき具合の分別から始めなければなりません。さっそく姪に知らせ、取りに来てもらいました。

それでもまだまだ多すぎるので、孫の剣道仲間の若いお母さんにも連絡すると‘ほしい’という返事でした。ご自身、なかなか下痢が止まらなかったとき、私の自家製の梅干しを差し上げたのです。その時、薬用としての梅干しの効能も体験されているので、ご自分でも梅や塩の材料を吟味した自然な梅干を作られているのです。

このように私の周りでは、お子さんのアトピーによって、あるいはご自身の体の状況から、体にとって自然で良いもの、必要なものを、ご自分でも作ったり、作ろうとする若いお母さんたちが増えてきているのです。今の時代、便利なものが優先し、昔から伝わってきた伝統食や保存食の価値も薄れ、それを作れる人でも作らなくなってきています。‘今の若い人はそんなもの作らないよ。関心なんかないよ’と決めつけられがちですが、そうでもないのです。若い人だからかえって新しい意識でいろいろな情報を得ながら、きちんとそうしたことに向き会おうとする人も決して少なくないのです。

日本で漆器などを求めてドイツに持ち帰った娘。今、日本ではその価値が見失われようとしているのですが、向うではその価値が高く評価されるということもあるのでしょう。しかし、それだけでなく、身近な生活の中で繰り返し使われることによりその価値が、好ましいものとして体にインプットされ、伝わっていくということもあるように思います。

正月には必ず正月用としての祝い事としての漆器や器を使うようにしてきました。そうした器などに料理を盛り、朱のお椀や木皿を使って正月を祝ってきました。そうしたいつもとは違って正月の華やいだ雰囲気がそこに盛られる料理とともに娘たちにとっては‘楽しみ’や‘好ましいこと’として伝わっていたのかも知れません。あるいは‘懐かしさ’ともなっていたのでしょうか。

今日では意識的に伝えていくことも、とても大切になりました。ですが、それ以上に日常生活の中で身近に使ったり、食べたり、見聞きしたりしているなかで体が馴染みとなっておぼえて‘伝わっていく’ことも大切にしていかなければならないことのように思えてくるのです。むしろ‘伝えること’が意図的に、教育的になされることよりも、日常生活のなかで、繰り返し行われたり、使われたりするなかで伝わっていくことの方が、より深く、自然に無理なく伝わっていくように思われるのです。

◆世界は勝ち組、負け組でどこも盛り上がる

「ドイツはサッカーのワールドカップで大いに盛り上がっています。悲願の優勝なるか今週はドイツ中がサッカー観戦に沸きそうです。」と7月10日付の娘からのメールにドイツのサッカー状況についても触れていました。

初めてミュンヘンの駅に降り立った時のことが思い起こされました。ミュンヘンの駅の構内を埋め尽くす人、人、人。その構内はまさに興奮の渦の絶頂にある人たちで沸き立っていました。その興奮の渦の中に突然巻き込まれてしまったのです。いったい何事?何が何だかわからないその興奮の渦のさなかで、私はあっけにとられていたのです。

偶然にも手にした「ニュースダイジェスト―23 Mai 2008」の一面を飾っている、“完全燃焼 カーン、21年の現役生活に幕”と大きな見出しと優勝カップを掲げたGKカーンと選手たちの大きな写真。「今季最終節となるサッカー・ブンデスリーガ1部の試合が17日、各地で行われ、すでに優勝を決めているバイエルンはヘルタ・ベルリンに4-1で圧勝し、今季限りで引退するGKカーン(38)と、退任するヒッツフェルト監督の最終戦に花を添えた。今季バイエルンに移籍したFWトーニは、この試合でも3ゴールを決める大活躍を見せ、総得点で24でリーグ得点王に輝いた。」と記されてあります。

スポーツの世界にはまったく疎い私には、ミュンヘンに住む出迎え人までもの浮かれ調子には思わず笑ってしまったのです。 もっとサッカーに関心が深ければ、こうした日にミュンヘンに降り立つことができたこの奇遇を、沸き立つ構内の人々とともに、心から感動の思いで喜べたのかもしれません。日本においても今回のサッカー戦での盛り上がりは大変なものでした。いわんやドイツにおいては、をやです。今回の優勝はドイツ国中どんなに盛り上がったことでしょう。

大人のサッカーの試合においてその勝敗をかけて世界中が大きく沸き立つだけではなく、私たちの周りでは、サッカーや野球をはじめとするスポーツの世界、音楽、書道、絵画などあらゆることにおいて、その優劣や、勝、敗が競われることが多いものです。

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