~子どもたちの夏休み(2)~

◆さわやかな秋たけなわ

‘じいちゃんが栗を持ってきてくれたよ ! 山で栗を拾ってきたんやって。栗ごはんにして’と言って、孫が重そうにスーパーの袋を台所に持ってきました。中を見るととても大きな栗です。しかもいっぱい入っています。ああ もう栗の季節なのだ・・・。

この季節になると、子どもたちのために山に植えてくれてあるという栗はどうなっているのだろうと時折思うことはあるのですが、わざわざ山まで拾いに行くこともなかったのです。そんな栗が何年も経過しての初めて届いたのです。しかし、その量のあまりの多さに内心困惑してしまいました。こんなにたくさんの栗を・・・。どうしよう。とっさにその始末に困惑したのです。栗はその鬼皮や渋皮をむくのがとても大変だからです。でも届いたからには何とかしなければなりません。

台所は時として薬局だと言われます。しかし、私にとってはその素材の本質を最大限に生かそうとする創造の場=芸術の場(ちょっとオーバー?)でもあり、時には実験室ともなるのです。

この大量の栗を前にして、いかにしたら鬼皮や渋皮をなるべく時間をかけずに、安全に、無駄なく、きれいにむけるかがまず問題なのです。これまでも寺の庭に落ちていた栗の皮をむくために道具を買ったりもしました。しかし、かえって危険で使いこなせませんでした。思い切って栗を4つに切って鬼皮をむくと、割合楽に鬼皮が向けました。渋皮は? 焼き栗のうまくむけることにヒントを得て、焼いてみたり、蒸してみたりもしてみました。でもなかなかうまくはいかないのです。結局ゆがくことにより一番渋皮が向きやすいようでした。栗を完全にゆがいて、シンプルな塩味にもみわかめを加えて混ぜご飯にしてみましたがそれはそれでおいしいのです。が、やはり炊き込みごはんにした方がおいしく思われます。そこで渋皮がむける程度に短時間ゆがき、一緒に入れるキノコなどの具は最初から入れて炊き、ご飯が炊きあがる少し前に栗を入れて炊いてみました。成功です。炊飯器のふたを開けた孫いわく、’わっ 栗だらけ!’。

この方法はこれまでの栗との格闘の中でそれほど危険ではなく、一番やりやすいようにも思えました。しかしゆがくことによりその味や色に少し問題があり、まだ研究の余地がありそうです。今回の大量の栗の到来により、今後たくさん栗が届いても困惑ではなく、栗とのいろいろな試行錯誤が楽しみにさえ思えるのです。栗の皮をむくのがねえ・・・。というお母さんたちとの会話を耳にしましたのでご参考までに。

この季節、自転を走らせていると秋風のさわやかさが、身も心も心地よく包んでくれるのです。春の温かさを迎える季節とは違って、寒さに向かう心地よいさわやかさはそう長くはないので、一日、一日がとてもいとおしく思われるのです。

しかし、学校からのたびたびの不審者情報により、ほとんどの毎朝、同じ学校に通う生徒さんたちに出会えるまでの道のりを孫を送って自転車を走らせているのですが、そのさわやかさとは裏腹に、まさに危険と隣り合わせの思いなのです。これまで車で走ることが多く、自転車に乗ることの少なかった私には、その長くても2キロにも満たない道のり。しかも通勤時間帯。自転車で走るにはなんと危険が多いことだろうと痛切に思われる日々なのです。

自転車は歩道を走るの?それとも自転車といっても車だから車道?車道ならば右側を走るのだったっけ?それとも左側?  そんな基本から学び直さなければならない状況なのです。免許更新でいただいたテキストを取り出して読んでみても実際の道路はなかなかテキスト通りではないようです。ではみんなは?と思って見てみたりするのだけれどさまざま…。

歩道を走るにしても狭すぎて、短い距離間でもアップダウンが多く、車道も道はしに白線は引いてあっても幅が狭く、少し段差ができてしまっていたり、水はけを良くするためか斜めに傾斜したりしていて私の能力ではとても無理。車優先社会にあって、歩行者や自転車走行者への配慮までにはまだまだ至っていないようです。学生さんや多くの人は車道を走っていることが多いのだけれど、こうした道でも実に巧みに走り抜けていく。その運動神経と操作のうまさに心から感服してしまうのです。学生さんたちだけではなく、毎日畑に通う近所のおばあさんたちだってその行き帰りを自転車の後ろに野菜を積む荷台付き自転車で悠々と車道を走っているのですから。慣れというのはすごい!!とつくづく思われるのです。でも老人は事故に遭うことが多いものです。私もその立派な老人の一人なのです。十分に気をつけなければ…と身が引き締まる思いです。

◆療育スペース‘ゆう’

「宅急便です」。といって小さな荷物が届きました。脇坂先生からよ!孫に知らせると、‘脇坂先生!’ それだけで大喜びの孫娘。

脇坂先生とは、大阪吹田市で「療育スペース‘ゆう’」(※注)を立ち上げられて他のスタッフの方々と児童発達支援放課後等デイサービスを行われている治療教育家であり、治療教育講座等のコースリーダーを務めておられる方です。

脇坂先生にメールして!と時折思い出したように先生に会いたがる孫娘。そんな孫娘の気持ちを汲んで、大変お忙しいスケジュールのなかで比較的余裕のある日を選んで私たちも参加できるようにご配慮いただき8月19日に「療育スペース ‘ゆう’」に寄せていただいたのです。

先日、その脇坂先生からお電話をいただいたのです。そこにいつも参加されておられるほかのお子さんたちと一緒に、その日の活動の一つとして作らせていただいた‘ちょうちん(ランプシェード)’を送るからというお電話でした。風船を膨らませて色染めした和紙をちぎって貼っていく、この方法での提灯づくりは保育園でも節分の鬼の面作りなど毎年やっていましたので、それほど孫の作った作品には執着がなく、むしろ大変忙しい先生に、そんな労をおかけしてまでわざわざ送っていただくなどとんでもないという思いが強く、そちらで使っていただくなりしていただけたらと実に簡単に思って返事をさせていただいていたのです。

しかし、送っていただいた荷物にはそのランプシェードに、先生の心のこもったお手紙と、小さな明かりが添えられてありました。小さい時からお世話になり、時折思い出したように会いたがるそんな孫の気持ちを深く汲みとってくださって、その手紙には「これから秋が深まっていく夕べに、ちょうちんの中に同封の明かりを入れて落ち着いた時間を持ってください」と書かれていました。ランプにその明かりを入れて灯してみようとすると、孫にとっては自分の作った提灯です。のりがはがれようとしているところを張り直そうとしたりするまでの気の入れようです。

明かりを入れて灯してみると、なんと穏やかでやさしいことでしょう!! 明かりひとつで、孫の作った作品がこんなにも生きてくるのかととても感動いたしました。それまでは、ろうそくを入れるものという思い込みでしかなかったのですが、一緒に送ってくださったあかりは小さな電池でともるあかりで、安全で、しかも100円ショップなどいつでもどこでも手軽に買えるということでしたので、、また新たな世界が広がる思いでした。そしてそのランプを灯してみて 、シュタイナーの人間学を背景とした「療育スペース‘ゆう’」での取り組みや、先生の治療教育家としてのお人柄とともに、お忙しい中わざわざランプシェードを送ってきてくださった先生の深いおもいの意味が初めてしみじみと伝わってきたのです。孫が休む部屋のランプシェードと先生からのお手紙は置かれているだけですでに孫にとっては何よりも大切な宝ともなり、心の支え、心の安らぎともなっているようです。そんな孫を目の当たりにして、孫が作ったランプシェードを送っていただいたことがこんなに深いことにつながるとは思ってもみなかったのです。今の孫の気持ちを、こんなに深く汲み取って送ってくださった先生に比して、なんと表層的にしか捉えなかったことかと私自身の浅はかさを深く反省するおもいでした。

脇坂先生との最初の出会いはいつどこでどうしてだったのか思い出せないくらいずいぶん昔からのことのように思われます。