◆郷土食‘おあい飯’

家の近くの畑の大根や白菜や蕪の葉が、まるで手を広げるかのようにその葉を青々と畑いっぱいに広げています。寒さが増すにつれてその生長も目に見えて増してくるように思われます。 ‘ひゃー 大きくなっている!!’と種や苗を植えて以来、久々に畑を見に来た従妹はその野菜の生長ぶりにとても驚いていました。

大切な身内を病気で亡くしたり、家族が大病から回復したりして、ようやく食べ物の重要性に目覚めた従妹や姪が、家族の安全を心から願って、せめて野菜だけでも安心なものをと、この秋から私の畑の一部で野菜作りを始めたのです。  

‘大根菜の間引きをしたのだけれども食べる?’

「どうして食べるの?」と聞かれ、「ほら! あの‘おあい飯 !’知っているでしょう? でも‘おあい飯’はあなたの家が本家本元やったわ」と笑い合ってしまったのです。そもそもその出所は従妹や母の実家からで、その地方の郷土食でもあったからです。ですから昔、母がよく作ってくれていて、小さい時から好んで食べたなじみの味でもあったのです。

おあい飯(お和え飯?)とは福井に伝わる料理のひとつでもあって、昔の冷たいご飯をおいしく食べる工夫の一つだったのでしょうか。その作り方は家々によって多少は異なるでしょうが、まだそれほど大きくなっていない間引きした大根菜をゆがいて、細かく切って味噌で和えて、なべの底に敷き、その上に冷ご飯を置き、少し焦げ目がつく程度に蒸し、蒸しあがればご飯をつぶさないように混ぜていただくのが基本だと思うのです。今日の子どもたちには、そんな基本を崩さない程度に、好みに合わせていろいろとアレンジして与えてあげるのもいいように思います。細かくきざんだゆで菜を軽く白ごま油などでいためたり、最初に上乾シラスをさっと鍋で乾煎りしてその刻み菜に混ぜたり、味噌だけではなく、醤油を少し加えたりなどです。家では肉をほとんど食べたがらない孫の一人は、玉葱、ナス、ピーマン、何でも野菜を工夫してご飯に混ぜたり、上に載せてどんぶりにしたりすると俄然食欲が増すのです。ですからこのおあい飯も大好きなメニューの一つです。

‘さつまいものじく(茎)のきんぴら’も、福井ではこの時季よく食べる料理だと思います。その芋のじくが近年では農家と直結しているスーパーなどでも売られているのです。じくにしっかりと味をしみこませるのがコツのように思われます。とても素朴な料理のようにおもわれますが、今日ではかえって珍味となり、知る人ぞ知るなのかもしれません。

◆療育スペース ゆう

畑の野菜づくりひとつを例にとってもいろいろなことが見えてくるものです。全く畑に関心がない人は、近くに畑があってもただ通り過ぎるだけです。少し関心があれば、植えてあるものの簡単な違いぐらいは分かるかもしれません。しかし、実際に自分が畑作りをしていて少しでもよい野菜を育てようとすると、その野菜の生育の詳細にわたって関心がどんどん深まっていき、その野菜についての理解度も深まってくるのです。そして外部からの精いっぱいの世話に対して方法が間違っていなければ、野菜はそれに応えてくれるものです。しかし、それでも最終的な出来具合は自然に任せるより仕方がないのです。子どもの育ちにおいては外部からその世話をどんなに精いっぱいやっても野菜のようには行かないこともあるのですが、同じことが言えるとおもいます。それは、子どもの成長発達には人知を超えた見えない世界からの働きかけも大きく影響しているからだといわれるのです。

シュタイナー教育では、教育とは、子どもが生まれるまでは‘天界の高次の存在たち’でなされていたことを天界から人間に委託され、それを引き継ぐことだといわれています。「教育」という人間によっての外部からの働きかけと、 ‘天界の高次の存在たち’の働きかけとの「共同作業」でもあるのだといわれるのです。ですから高次の存在からの委託を引き継いだ教育に関わる人にとっては、子どもとどのように関わっていったらよいかがとても重要な課題となるのです。そのかかわり方の基本や、人間観においてシュタイナーは、私たちにたくさんの示唆を与えてくれているのです。今日ではその一端が「シュタイナー教育(ヴァルドルフ教育)」として、広く知られてもきているのです。

大阪府吹田市にある“療育スペース ゆう”は先回の‘うんちく’の脚注として脇坂氏が付け加えてくださったように、こうしたシュタイナー教育の治療教育を中心の柱として立ち上げられた、「放課後等ディサービスの事業」として取り組まれている所です。この夏、孫娘とそこでの活動に参加させていただいてきたのです。

ずっと以前に頂いていた「児童ディサービス“療育スペース ゆう”」の案内には次のようなことが書かれていました。

「障がいを持つ子どもたちひとりひとりが、生まれ持った個性を生かし、真の自由と、人としての尊さの中に生きることができるための手助けとなることをねがっています
・学校や幼稚園が終わった後の時間を、豊かに楽しく過ごせる空間です。
・ゆったりとした芸術的な時間の中で、自由な自己表現と出会います。
・音、言葉,からだの動きを通して、身体と心を調和させ、発達を促します。
・ひとり一人の発達や特性、ニーズに応じた支援をします。
・療育経験豊かなスタッフが、系統的なプログラムを子どもたちといっしょに積み重ねていきます。
・ご希望により、個別の発達相談も行います。

そして、<活動例>として

絵画・粘土・クラフト・さをり織り・英語・語り聞かせ・にじみ絵・線描画
ことばを促進する朗読や歌・手と足を使ってのリズム運動・楽器演奏
など、季節ごとの楽しい祝祭も企画しています。

‘1時までに来て、織り機などしてみんなが揃うのを待っていて下さい’というメールをいただいていました。案内にも書かれているように放課後の活動として午後から開始されますので、みんなが揃うまでの間、来られた人からめいめいが自発的にそこに備えてある幾台かの‘さをり’の織り機で織ったり、孫がさせていただいたちょうちん作りをしたり、そのほかに、写経までが取り入れられていました。さすが様々な宗教の世界にも造詣の深い脇坂氏だと思われました。

その日は人数に比較的空きがある日だということで私たちも加えていただくことができたのです。それでも10名ほどの児童、生徒さんが参加されていました。順次来所されるお子さんたちにとっては、すでに通いなれていて、勝手知ったる我が家同然に、しばらくは友達との話にはずんだりしていましたが、実に伸びやかに、あるいは、黙々とそれぞれがそれぞれのやり方で自主的にそれらの活動に取り組まれていました。写経は、私たち大人にとっても書かれている文字はなかなか難しいものです。写すだけとはいうもののあのように難しい字をよく難なく書けるものだと感心して見させていただいていました。織り機なども足踏みやシャトル(横糸)の入れ具合など、そのリズム感もすっかり身についていて‘さをり(差を織る)’の特徴である ‘なんの捉われもなく自分を織る織り’が、ここでは十分に生かされているようで、織りの規則にあまり捉われることなく自由に、そして実にリズミカルに織りを楽しんでいるようでした。これまでの積み重ねられた経験からか、皆さんどの活動も高い習熟度を身に付けているようで、その様子からは全くハンデキャップを感じさせない、それぞれがそれぞれのしっかりとした力を持たれたお子さんたちのように感じられました。

‘ゆう’に初めて寄せていただいたのは確か3年くらい前だったように思います。その時には、ご両親とともに四国から参加されていた小学1年生の男のお子さんがとても上手にその織り機を使いこなしていたことを記憶しているのです。「治療教育とさをり織り」については30年ぐらい前に知人から教えていただいていました。それについて書かれた本ももらっていました。福井でも芸術活動として‘さをり織り’をされておられる方の作品展も何度か拝見したことがあります。しかし、その時には勉強不足から、さをり織りの‘糸や’‘自由に織る’ということに少し抵抗感があってまだ十分には理解できていなかったのです。保育園でも子どもたちと織りの活動にも取り組んできておりました。ただ、保育園では子どもがまだ小さく、そうした複雑な仕組みの織り機は少し早いので、横糸を経糸の上、下にくぐらせて織る、足踏みのない、その仕組みが子どもでも見通せるシンプルで小さい織り機を取り入れていました。

四国から来られた小学生のお子さんがとても上手にその織り機を使いこなしておられていたのを見て、その時小学生にもなれば、足踏みのある織り機の方が、全体の身体的リズムを育むにはとても適しているようにおもわれました。それで改めてさをり織り機の良さを見直したのです。‘ゆう’ に備えられているその織り機は折りたたみができてとても軽やそうで、手軽に、しかも本格的な織りが楽しめそうでした。織りも大好きな孫たちのためにも我が家にもぜひ一台と決意して帰ったのです。

それ以来、早く購入したいと思いながら、その購入方法がわからず3年余の年月が立ってしまいました。そして今回ようやく ‘ゆう’から戻ってすぐにそのさをり機を購入したのです。さをり機についての説明を読んだり、実際に孫たちが‘さをり織り’と楽しく取り組んでいるのを見たりしていると、‘ゆう’でこの‘さをり織り’が取り入れられているその意味も理解できるようになってきたのです。またその糸の種類も実に豊富で、私が誤解していた部分もあったのです。

みんなが出揃ってそうした活動も一通り終えたところで、小休憩でテーブルを囲んでおやつをいただき、そのままその日のメインとなる活動に入りました。

(下編に続く)