はじめに詩が書かれてある紙が配られ、一人のスタッフの人がその詩を読まれました。そのあとみんなで順にその詩を読み、詩について話し合われました。そのあと、場所を少し移動してみんなで丸くなって立ち、脇坂氏の奥様の枝津子さんがその詩を朗読されるのを聞きました。そしてまた、朗読に合わせてみんなで体を動かして動く「詩劇」をしました。

朗読は語られる言葉が私の心に一つ一つ力強く深く入ってくるようでとても印象深く心に残り、詩劇とともに私にとっては初めての体験でした。枝津子さんは「言語造形」の分野にも造詣が深いことをお聞きしていましたので、その方法で詩を朗読してくださったのではないかと思われたのでした。以前にやはり、「言語造形」を学ばれた方の2時間余りにもわたる語り、聖杯伝説『パルツィヴァル』を聞かせていただいたことがあります。「言語造形」という世界は私にとっては未知の世界で、関心のある世界ではありましたが全く知らない世界でしたので、ネットで調べてみました。「言語造形」で検索すると ‘ことばの家’が検索され、そこには「言語造形とは」と次のような説明がなされていました。

「言語造形とは“ことばを話す術・語る術”だそうで、文字に書かれた言葉が、言語造形家によって、生きた響きとなって立ち上がってくるというのです。演奏家が一音一音の音符を奏でるように言語造形家は言葉を語りながら、作品を創造していきます。生き生きとした人から、生き生きとした言葉が発せられます。その人に生命が、心が、精神が、ことばに満ちるとき、ことばはことば本来の輝きを取り戻す」というのです。

そうした言語造形家を通して語られる生命に満ちた言葉は、聞く人にも生命に満ちた力となって伝わっていくのではないかと思われたのです。「詩劇」といい、「言語造形の世界」といい、私には新たな世界であり、子どもへの語りを密かに志す身には新たな課題ともなりました。

「詩劇」が終わって、ギターを中心として簡単な楽器を取り入れての音楽治療の時間となりました。外国の方を講師として迎えておられました。(アメリカ出身の音楽セラピスト、ロビン・ロイドさんといわれる方でネットで検索できるということです)。子どもをとてもよく理解して活動を進められているその様子から、日本での滞在が長い方のように思われました。「音楽治療」ということはこれまで治療教育においてよく耳にしてきました。しかし、その内容はヘッドホーンを耳につけ、クラッシックの音楽聞かせるなどさまざまのように思われます。

今回は時期的に夏でもあるので海にちなんだ歌をみんなで歌ったり、海に関する絵を描いたりと、子どもたちも楽しく参加できる内容の時間でした。

以前に受けさせていただいた脇坂氏の治療教育に関わる大人を対象にした講座でも、アウディオペーデ(聴く器官の教育)研修センター主宰、竹田喜代子氏による音楽治療の「宇宙進化と人間の音体験」という講座がありました。その時には、治療教育講座の内容が「宇宙の進化と人間」でしたのでその内容に合わせられていたのでしょうか。精妙な合金の違いにより、様々な音色のする幾種類ものゴングが用いられて、宇宙史のそれぞれの時代をそれぞれの音色で体験していくという異次元の世界の体験で、深い感銘を覚えたのを記憶しています。音楽治療の世界も私にはまだまだ未知の世界です。しかし、一人でも多くの子らによき体験となる真の音楽治療との出会いがあることを心から願っているのです。

8月にちなんででしょう、最後にみんなで精霊流しの儀式が行われました。脇坂氏によって描かれた大きな観音像の前にみんなが作ったちょうちんが並べられ、その前で般若心経も唱えられ、脇坂氏を先頭にみんなで唱えながら歩きました。

初めに行っていた写経やちょうちん作りの活動がすべてこの儀式に集約されていることにそこで初めて気が付いたのです。どの活動もその背後にある意味や内容の高さや深さを十分には理解できるまでには至っておりませんので、後日機会があればまたお伺いしたいと思いました。

ずっと以前のこと、まだ昭和も終わりに近い年でした。福井で知人の本屋さんが主催されて、シュタイナーの思想を日本に紹介された高橋巌氏をお迎えして講座が開かれたのです。その講座の冒頭で、「シュタイナーの治療教育の授業では、聞いていてどこまで理解できているかわからない子どもたちであっても、能力ではなく、基本的にはその年齢に応じた、あるいはそれ以上の内容の授業が行われていて、私たちでも聞きたいようなとても高度な内容のものを一生懸命教えているのです。そしてそれを受けている子どもたちもとても真剣に目を輝かせて聞いているのです。」と語られたことが今でもとても鮮明に心に残っていて時々思い出されてくるのです。

後日『シュタイナーの治療教育―高橋巌著』にもそのことがきちんと詳しく書かれていたのです。「たとえばギリシャ語を教えたり、お祈りをしたり、詩の朗読をしたり、高度な宗教的な話をしたりね。子どもたちはそれを全部受けとめてしまうんですね。・・・・・・別のクラスでは人体の構造の話をしたりしているのです。骨の仕組みとかね。そのことに対して子どもたちがそれをどこまで覚えているかということには全然興味がないというのです。ただその子どもたちの前で話すことにひたすら徹しているのです。すると、力のある内容だから、それを体の中へ入れていけば、それだけで治療の効果が非常に上がると確信してこういうことをやっていると説明してくれたんです。」

それらのことが ‘ゆう’での活動と重なって思い起こされてきたのです。

‘ゆう’で半日を過ごさせていただいて、その内容の精神的高さにおいてこんなに贅沢な内容を心からその子どもたちの魂に送り届けようとする大人の人たちとの出会いが持てる‘ゆう’に集まるお子さんたちは本当に幸せだなあと思われ、またうらやましくもありました。福井の子どもたちも、いつかこうした学びや出会いができるといいなあと心から願われるのです。

一般の「支援教育の世界」では、その子がどれだけ知的に理解できるかその能力がわれ、それが知能指数的判断であったりもするのです。そして多くのことがこの判断を基に決定されていき、教育内容も決められていっているのではないでしょうか。そうした子どもたちには勉強はいらないとまで言われるのです。

シュタイナーの治療教育におけるように、見えないその子たちの魂や霊性(精神性)にまで目が向けられるということはほとんどないのではないでしょうか。

那須のみふじ幼稚園の元園長先生だった高橋弘子氏が、ずっーと以前に、私たちによく言っておられたのです。ドイツやスイスの治療教育の施設を尋ねると「そこはねえ、とても良い香りに満ちているのよ」その言葉が‘ゆう’でも実感できたのです。それはハーブなどの物質的な香りというよりも、そこに集まる人たちにふさわしい場として十分に配慮された建物、そして指導的立場にある人たちの基底となっている“すべての子どもたちへの人間としての尊厳”。そうした人たちの在りようが目には見えない空気となって子どもたちを包み、子どもたちの “安らぎ”や“伸びやかさ”となっているのです。そして教師によって選ばれた香り高い精神性に満ちた内容にさらに生命が吹き込まれ、より生命力に満ちた学びの内容として心を込めて子どもたちの魂に送り届けられるのです。そうしたものすべてが調和してその空間にかもし出されている空気が「とてもよい香り」として受け止められたのではないかと改めてその言葉をかみしめる思いでした。

福井の田舎でゆったりと暮らしていて、暑い夏の日、久しぶりに都会の喧騒の世界に着いた途端に疲れ切ってしまった私たちでしたが、わずか半日ながらそこで過ごさせていただき、信頼と安らぎに満ちた中で、精神豊かな活動に加わらせていただき、すっかり元気を取り戻し、幸せに満ちた思いで帰路に着かせていただくことができたのでした。

次回でも、ゆうに寄せていただいたのがきっかけとなり、いくつかの心に残った出来事との遭遇や、‘ゆう’での活動でその詳細について脇坂氏からさらにわかりやすくお答えくださったことなどを含めてご紹介できたらと思います。

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