◆武生菊人形

10月に入ったある日のこと、突然‘ばあちゃん、菊人形に行こう!’‘えっ?’久々に聞く孫の菊人形への誘いです。菊人形は何年か前にもう卒業しているのでは?

いや、いや、そうではないというのです。今年の菊人形のテーマ―は「黒田官兵衛」。だから官兵衛を見に行きたいというのです。5年生にもなると友達の影響なのでしょうか、それとも学校での学習の影響なのでしょうか、歴史に関心を持ち、毎週日曜日の6時からは何はさておきテレビにくぎ付けです。早い時間のNHKの大河ドラマが始まるからです。

そんな孫の要望にやっと応えられたのも菊人形の最終日の前日の午後になってからでした。孫たちがまだ小さく、この孫を乳母車に載せて連れていった頃には、朝からお弁当をもって一日がかりで出かけたものでした。そしてたくさんの菊の花の美しさに‘きれいね!きれいね!’と言って、とても喜んだものでした。しかし、ディズニーランドなどに好んでよく出かけている他の孫たちと一緒に行ってからはその影響もあってか、会場に備えられているいくつもの乗り物の方に興味、関心が行くようになり、花や菊人形どころではなくなっていきました。

それから今年、久しぶりに菊人形に来たのです。着くや否や、一人で人形館にまっしぐら。そして、一通り見終わったのか、一足も二足も遅い私たちを待ちきれずに迎えに来て、何か自分がとても驚き、感動した場面があったようで、早く見流し館に入って見るように、しきりに、しかも、興奮気味にほのめかすのです。 孫の案内で見流し館に入って順々に見ていきました。そして、ようやく「土牢屋に閉じ込められている官兵衛の場面」の前に来た時,“どうや、すごいやろう!”と私たちもきっと驚くだろうと早く見てほしかった場面だったというのです。この場面はテレビでの印象もあってか子どもにとってはかなりインパクトの強い場面だったようです。その土牢の雰囲気に興奮冷めやらでか、何度かその土牢に出たり入ったりしたり、そこに咲く藤の花をしみじみと味わったりしているようでした。

さらにゆっくり見流し館を見ていくと菊人形が実施されるまでの背後にあっての武生の方々のそれまでの長い準備やご苦労、そして見流し館のテーマ―の変遷の歴史からもいろいろな学びや楽しみができることも少しうかがい知ることができました。

昨近のいろいろな遊具の問題もあってか、危険性のある乗り物は取り外されていましたが、大きくなった今でもまだ懐かしい乗り物をそれぞれが楽しんだり、それまでは乗っていてもとてもこわかったという「バイキング」にも一人でひそかに乗って再挑戦も試みたりしているようでした。大道芸への関心は相も変わらずで一番前に陣取って見ていました。菊人形は強烈にインパクトの強い催し物ではないかもしれませんが、小さい子どもから、菊の花作りに関心のあるお年寄りに至るまで、幅広くあらゆる人が楽しむことのできる和やかで、穏やな空間のなかでゆったりと時が流れ、息長く楽しむことができる催しであることが、今回、孫に誘われて久しぶりに来てみて、しみじみと感じられたのでした。‘来年の大河ドラマも楽しみに是非また来てくださいね’と受付の方に声をかけられていました。

◆支援学校の学校祭での出会い

10月、ある支援学校の学校祭に行ってきました。その学校では高等部の生徒さんの教育活動の一つとして織りにも取り組んでいることで、その織りの部屋では高等部の生徒さんによる実演もあって実際に織っている様子を見せていただくこともできました。その織られた布面を見ると見事に雲の模様が織り込まれていっているのです。更に月も描きたいのだというのです。私は個人的には園児との織りの取り組みで、平織以外やったことはなく、何かの絵を織り込むということにも、大変興味があったのでその織り方を見せていただいておりました。しかし、見ているだけではなかなかわからなかったので、その方法を、邪魔をしてはいけないと思いながらも聞いてみました。

学生さんは織りの手を休めることなく、織りながらその織り方について説明を始めました。実際に織りながらの説明でよく理解できたのですが、それでもまだわからないのではないかと思われたのか、本を書棚から本取り出してきて、さらに詳しい説明を加えようとされるのでした。そんな中でさり気なく、“僕の織った作品が一番早くに○○円で売れたのです”とあまり表情に出さないのですが、しかし、あふれ出る喜びのその思いを抑えきれないかのように何度か繰り返して私たちに告げてくれるのです。実に嬉しそうで、そして少し誇らし気にです。彼の作品が一等最初にそれなりの高値で売れたということがどんなに彼にとって嬉しいことだったのか、喜ばしいことであったのかが、その言葉を通して、深い思いで伝わってきたのでした。

自分の努力が認められたということ。それは彼にとっては彼の存在そのものが認められたという思いにつながるのだと思います。子どもに限らず、人であれば‘誰かに認められたい’という思いは、基本的な欲求として誰もが持っているものです。ですから子どもの教育においてはなおさらそうした思いをきちんと見抜き、受け止め、そうした思いに正しく応えていくということは基本的にとても重要なことでもあるのです。こうした心からの喜びを率直に話していただけた場面と人に出会えたことは私にとっても深い感動でした。

もう高等部ですからひょっともすると指導者側にとっては目の前に控えている就職のこともあって、技術が優先される方向にいくのかもしれません。しかし、よき指導者との出会いにあって技術だけに終わるのではなく、この彼の喜びがさらに織りの本質である“命とのつながり”にまで深められていったらどんなに素晴らしいことだろうとも思われたのです。それは彼にとってはそれほど遠い世界ではないように思われたからです。織りとの取り組みは‘魂のケアを求める子ら’に限らず多くの子らが楽しく取り組み、健やかに育むことのできる活動の一つでもあるのです。扱い方次第で、高等部と言わず、幼児期からでも十分に取り組めて、子どもたちの心と体を健やかに育む治療教育にとても適している内容なのです。ですから治療教育の現場においてもっと積極的に広く取り組ませていってあげてほしいと思う活動でもあるのです。

織りには糸作りや染めが伴います。織りや糸作りや染めの世界は“命につながる世界”です。ひいてはそれは古来より神ごとにつながる神聖な世界へ至る道でもあるようです。

この織りと取り組む学生さんのと出会いが、子どもの教育にとって見極めていかなければならない大切なことにも気付かせてくれました。子どもたちに与えられるその教育内容が“命の根源の世界につながっていって、子どもの生きる力を高めていくもの”であるのか、あるいは“この世に適応させるための知識や技術を高めるためのもの”であるのかのその見極めの重要性についてです。時には、知能的尺度の観点から子どもの能力を低く見たり、その教育内容の何を、どのように与えていったらよいのかわからずに、あまり意味の無いことをただ機械的に与えているということも往々にしてあるように思われます。この世の現実を生きていくには、現実という世界を無視することはできないことです。しかし、その取り組みにあまりの偏りが生じてくると子どもの心身の育ちにおいても異常が生じてくるのです。そういう意味において、後者は、取り組み方をあやまると、その“命”を弱め、硬化的、破壊的に働くものであることも知っておくことも必要ではないかと思うのです。

織りの大好きな孫は、側で彼のその説明を聞いていて、早速、家に帰ると織り機に向かい、孫娘が織っている続きに見事な雲と月を織りあげたのです。織りは、どの子にとっても、楽しく、心豊かに、元気にする活動なのです。そしてこうしたお兄ちゃんにたちに教えてもらうことを通して、人としてもつながり合っていけたらどんなに素敵なことだろうと思うのでした。