◆獅子ゆず(鬼ゆず)

畑の隅にあって、毎年秋になると、高さ1間にも満たない小さな木に、直径20センチ余りもある大きな実をぶらん、ぶらんと鈴なりに実をつける木が植えられてあります。いつ植えられたのかは定かではないのですが、そのでこぼことした柑橘系の実を意識し始めたのは5年位前だと思います。名前は植えた本人に聞いても定かではなく‘獅子ゆず’とか‘花ゆず’とか‘鬼ゆず’とかいうのだそうです。

ある年、落ちるがままの実を1,2個拾って家に持って帰り、その柑橘系のよき香りを玄関に飾ったり、車の中に入れておいたりしていました。そうした時ふと、柚子と名がつくからには、冬至のゆず風呂として使えるのではないかと思いつき、風呂にもいくつか入れてみました。

よき香りとともに精油的な物が抽出されるのか体が温まり、なかなかのものです。ものの本によると柚子とは太陽のシンボルだともいわれているということです。そうした薬効も含めて、冬至に柚子湯として使われてきているのだろうと思われるのです。それであるならば大きな太陽が早く戻ってくるようにという深い願望もあって正月のだいだいの代わりにその大きな柚子を鏡餅の上に飾ってもみたのです。そして、最終的にはママレード作りに至ったのです。

インターネットで検索すると、正式名は‘獅子ゆず’、または‘鬼ゆず’といい、その形や名前から、厄除けにもなるのだそうで、使い方としてはそう間違っていたのではないとちょっと自己満足を得たのです。

初めの頃は近所の人は珍しがっても、ほしがる人はだれもいませんでした。ですからママレード作りなどの教材や、使えなければゆず風呂として使っていただけたらと学校に持っていって使っていただいたりもしました。何しろ多い時には50個近くも実をつけるのですから、自宅だけで消化しきれる数ではないのです。

今では近所の人も関心をもってほしいという人も増え、その使い道も口コミで伝わるのか、いろいろな使い道を逆に教えていただけるようになりました。小浜のある地域ではその地域の特産物として‘獅子ゆず’と取り組んでいるという料理のレシピ―が載った地方だよりをいただいたりもしました。

お風呂に入れたり、ママレードとして作ったりしてみると、その精油分から体を温める働きがあることがわかるのです。ママレードとしていろいろ試してみましたが、最初の煮こぼしをしないと、味わい的には少し苦味が残るかもしれませんが、薬効的面からは丸ごとに意味があるように思えましたので、今では煮こぼしをしないで、皮を薄めにはいでザボンにも似た大きな実も袋から出してママレードにしています。家族もおいしいと喜んで食べてくれますので、‘獅子ゆず’は暮れから正月にかけて我が家ではなくてはならないものの一つになってきているのです。

◆これまでの「治療教育の研修」

在職中、私たち職員は、治療教育家として専門的な学びやそうした資格を持った職員はおりませんでした。心身にハンディキャップを持ったお子さんが入園を希望された場合、特別重症なお子さんや、特別の問題がない限り、そうした私たちであることを保護者の方にきちんとお断りしたうえで、受け入れ可能な範囲で普通に入園していただいておりました。なぜなら、心身にどんな障がいがあっても特別に隔離された世界に置くのではなく、基本的に一人の人間として、通常の子ども社会の中で育つことは、当たり前のことでしたから。

通常の子ども社会の中に置かれることによって、子どもにとっても様々な問題が生ずる場合もあるでしょう。ただ、それらの多くは、特に大人の側にとっての都合である場合が多いように思われるのです。もちろん子どもの側においてもいじめなどの当人にとっての深刻な問題もとあると思います。しかし通常の子ども社会の中で育つ、その発達や育ちにおいて隔離された中で大人の指導によるのでは到底及ばない目をみはる発達や成長が見られることも少なくないのです。特に社会性、言葉の遅れなどにおいてはその発達が顕著のように思われます。当時は統合保育(※)という言葉がよく使われていました。一昨年の県主催の子育て支援の研究会でも福井県の支援教育の方向もこうした方向に方向性を向けているという報告があったのです。

※「インクルージョン」と混同されやすいが、統合教育は、予め健常児と障害児を区別した上で、同じ場所で教育する。一方、インクルージョン教育は、障害の有無にかかわらず、一人一人の教育的ニーズに応じた教育を意味する。(ウィキペディアより)

そうした子たちを含めての子どもへの理解を少しでも深めるための様々な研修を職員ぐるみでよく受けさせていただいたものです。当初は、小児療育センターのドクターや福井大学の先生が主としてご指導くださる研修会が、県立病院などで勤務が終わった時間帯に頻繁に行われ参加させていただいたものでした。職員に負担になったり、参加不可能な研修だったりする場合には私一人で参加させていただき、職員会議等でみんなのものにしていくという形を取らなければならないこともありました。当時はまだ支援学校や学級が今日ほどには充実していなかったのでしょうか、いろいろな事情もあってのことだと思いますが、参加してほしい学校の先生の参加が実に少ないことを先生方はよく嘆かれておられたものです。

その後2004年ごろだったと思いますが、北海道「ひびきの村」主催で行われた1週間くらいの講座、人智学≪シュタイナー≫治療教育講座に参加させていただきました。オーストラリアからの治療教育家、バーバラ・ボールドウィン女史を講師としてお迎えしての講座でした。バーバラさんは、スコットランド、キャンプヒル(治療教育を目的として作られた村落共同体)、アバデーンで生まれ育たれ、イギリス、ドイツで治療教育、言語セラピー、音楽療育を学び、結婚を折にオーストラリアに移住され、治療教育および、治癒教育活動を続けられていました。そして治療教育家、音楽療法士の育成にも深く関わられていた方です。バーバラさんの講座には、その後、京都などでの研修や東京での研修などに何度か参加させていただいております。

そして、私のドイツの知人で日本からドイツに帰られてシュタイナー幼稚園を開かれた方のお子さんがダウン症ということから、ご厚意によりそのお子さんを中心としながら、幼稚園での専門家による治療教育や実際に受けられる治療の現場にご一緒させていただき、見せていただくという10日間あまりの研修の機会をいただいたりもしました。そんな研修を思い起こしながら、私の拙い体験の中で子どもたちとの関わりのなかで実際に学ばせていただいたことをお伝えできたらと思います。

◆添付されてきた2つのエッセイ(講義録)

先般<“生かされている命”に向き合う そしてその育み(8)>でも詳しくご紹介させていただいた放課後デイサービス「療育スペース ゆう」の脇坂氏より、さらにご丁重なるメールをいただきました。そこには「添付のエッセイに目を通していただければ福井新聞の次回以降のお役に立てるかもしれません」と≪星を求める子どもたち シュタイナー治療教育へのしるべ≫と≪子どもの発達と治療教育≫のエッセー、私にはまさに「講議録」そのものの文章を添付して送ってくださったのです。

今回は、《星を求める子どもたち シュタイナー治療教育へのしるべ》の「1.はじめに」の全文をお伝えして、更に、これからの私のコラムの中で、機会をとらえてお伝えしていくことができたらと思っております。

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「1・はじめに」
                   
私には、いま22才になろうとするダウン症のひとり娘がいます。この子に導かれるようにして、シュタイナーの思想を中核とする治療教育の道を歩きつづけ、何時の間にか15年が過ぎました。

治療教育あるいは治癒教育という言葉は、何か特別な技術や方法を中心とした、日常からかけ離れた教育方法を連想させるかも知れません。がそれは、日々の生活からかけ離れた、特別な理論や技術に本質があるのではなく、ありふれた日常の生活全体の中に生きています。もとよりそこには、本質に近づくための深い考え方と、それに基づいた体系的な視点が必要ですが、子どもたちといっしょに生きる生活の中で、自ら感じ、考え抜き、先輩たちの話を聞き、ともに学び、そして何よりも、子どもたちによって多くを教えられることによって、深まるものです。

私にとっても、イギリスでの治療教育者養成コースでの学びは、こうした日常の営みの中で、生き生きと私に届いて来ました。あるときは眼からウロコが落ちるような思いで、はっと気付くこともありました。また薄紙をはがすように、少しずつ見えてくるように思うこともありました。それらは、セミナーでの授業のひと時であったり、芸術の空間であったり、森の中を散歩する休息時間であったり、子どもと生活する何気ない日常のひとこまであったり、実にさまざまな瞬間でした。

いまは、大阪で行っている放課後等デイサービス“療育スペースゆう”を本拠として、小学1年生から高校3年までのたくさんの子どもたちといっしょに、シュタイナー治療教育を中心の柱にした療育を行っています。ここには、さまざまな、いわゆる障がいを持った子どもたちが集まってきます。自閉症スペクトラム、ダウン症、水頭症、ADHD、視覚障害、聴覚障害などつけられる名前は多様ですが、私たちは、その子の中核にあるものをひたすら見続けてようとしています。

登録者40数人、月のべ200人の生徒、発達や不便さの段階がさまざまな子どもたちが集まってきます。今日来てくれたこの子たちといっしょに、エポック授業のメインレッスン、セカンドレッスン、をどう創り上げるか。

年令も発達上の困難も、程度を異にする子どもたちを、ひとつの呼吸のもと協働のいとなみへと高めることは、まさにシュタイナー治療教育の真髄を体現する真剣勝負です。

このようにして、全身全霊で子どもに働きかけ、子どもによって教えられる日々の中で、自分自身を教育することがいかに本質的に大切かを感じます。この自己教育は、ハンディキャップを持つ子どもたちとの間に限らず、すべての人と人との関わりの中で、たゆまず続けられて行かなければならないものです。人はすべて、奥深いところに障碍の要素を担っているのですから。その意味で、治療教育は、一般から離れた特別な教育では決してなく、日常生活の至るところに、それを学ぶ機会と出会うことが出来るのです。

シュタイナー治療教育は、教育の中の教育、シュタイナー教育の核心をゆく精髄として、その中心を貫いて流れています。それは、アントロポゾフィーの沃土から汲みとられ、シュタイナー教育という樹の根っこを経て幹に至り、枝先を突き抜けて、彼方の星々に呼びかけているかのようにさえ思えます。治療教育は決して特別なものではなく、健常児のためのシュタイナー教育と同根の、より根源的な表現にしか過ぎません。その端的な表われが、シュタイナー学校と正確に同じカリキュラムに基づいて行われる、メインレッスンです。子どもの発達に応じて行われるこの教程は、いわゆる健常であるかどうかに関わりなく、子どもの暦的な年令にしたがって、純粋に教育的な方法で治療教育の場で行われます。

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引き続き、下編では、脇坂氏から送られてきている<子どもの発達と治療教育>を紹介させていただきます。

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