■第1講 人智学的治療教育の素描

人智学的治療教育の全容を可視的に描くことは、ひじょうに難しいことです。もし、治療教育のすがたを曼荼羅として描くことができたとしても、曼荼羅の前に立つ人の魂に、実践の息吹と体験が吹き込まれなければ、一片の図画が目の前にあるだけです。ここでは、シュタイナーが「講義」の中で示唆し、その後に続く人たちによって行われている代表的なモデルの幾つかをご紹介し、それらの関係を考えてみたいと思います。そして可能な限り、それらのパノラマ的展望を描いてみたいと思います。

1.ワンネス マクロコスモスとミクロコスモスの合一
2.両極性                              
3.三層構造 トリニティー                                   
4.四つの要素 四つの気質
7.セブンライフプロセス セブンソウルタイプ 人生の七年周期
12.十二感覚

もし、これを高い山の姿になぞらえてみれば、山の頂上は、ワンネス。そこでは小宇宙としての人間の個我と、大宇宙の霊性とが触れあい、浸透しあって、ひとつのものとして輝いている姿を想像することができます。

シュタイナーは、こう語ります。

“人間よ、お前は宇宙の縮小された姿だ。宇宙よ、お前は遥かな果てにまで流れ出た人間の本質だ。(1921.10.8)”

そして、彼は医学をひとつの宇宙詩になぞらえて言います。

“病的なもの、人を病気にするものは、他の場合には最高のもの、この上なく美しいものであり、このことの中に、宇宙の秘密が多く潜んでいる”と。

それはゲーテが植物の異常に、原植物の理念を見出す手がかりを見たように、彼は人体に潜んでいる異常性は、人間本来の霊性を外に開示してくれるものだ(p244)、と洞察します。

以下の道しるべはすべて、この山の頂に向かい、そこからくみ取られて来るものです。

両極性から12感覚までの指標は、頂上に到るための幾つかのみちしるべ。このみちしるべを辿って山道を注意深く歩くことによって、私たちは躓きの石を見つけることができるでしょう。異なった登山道を歩むことによって、山を仰ぐ異なった視角を得ることができます。山はそのたびに、新しい素顔を見せてくれるでしょう。

あるいは、両極性から12感覚はいわば墜道。障碍というものの核心に迫るための、重要な鋭角的切り口といって良いかも知れません。障碍というものは、現象あるいは症候としては、陽炎のように表面にあらわれるかも知れませんが、その本質は、奥深く秘し沈められています。

“私たちは病気の本質の中に深く入っていかなければなりません(p9)。”

と、シュタイナーは語ります。障碍の核心に迫るためには、そのための通路が必要です。シュタイナー自身が、青年時代に水頭症の少年の教育を引き受けたとき、この少年の魂への通路を見つけ出すことを何よりも優先し、あらゆる遊びやゲームを共に行ったことを思い出します。

“障碍の根底に何が存在するのか(p54)”を知ることが必要です。

<治療教育の時空>

忘れてならないことは、これらの道しるべの背後には、壮大な宇宙が息づいているということです。ビッグバンを遥かに遡る、測り知れない遠い過去。土星紀といわれるその昔から、今の地球紀を経て彼方にかすむヴァルカヌス星紀と呼ばれる星々の世紀。宇宙の進化は、これだけで私たちの理解を遥かに超えた壮大なテーマとして横たわるでしょう。セヴンライフプロセスは、この宇宙の進化を基にした人間の内なるプロセス論です。

その宇宙には、また、永遠の自我というべきものが、始まりのない過去から、無終の未来に向かって飛翔している姿を思い描くことが出来るでしょう。横軸に波動曲線を描く永遠の自我は、縦には異界の様々な領域を旅して、今のこの地上に受肉したといわれます。さかのぼれば月の領域から太陽の領域を経て、土星の果てから旅し続けた自我は、今ここ、この地上に立っています。

それが、私たちであり、目の前の子どもたちでもあるのです。障碍をもつ子どもについて、シュタイナーの治療教育からは、このような光景のもとに、障碍の本質が理解できるのです。

たとえば、いま障碍をもつこの子が、過去世の天才であったというカルマ。あるいは、特定の臓器に欠陥を持つ人の、生まれる以前の異界の領域での学びの問題。これらについて、シュタイナーは「講義」の中で伝えています。

ただ、これらのことについての深い学びは、もっと先にとっておくべきでしょう。いまは、もっとも基本的なことから学び始めなければなりません。

両極性、三層構造、四つの構成要素については、それらの流動・交錯の姿を、シュタイナーの手になる黒板画によって、思い描くことが出来るでしょう。「治療教育講義」のグラビアをご覧下さい。

図例7と12は、その流動・交錯の姿を、垂直の視座と水平の視座を用いて、立体的に示そうとしています。

A)四つの要素

そのメインストリームになるものが、人間を成り立たせている四つの要素であると、彼は伝えます。子どもの観察についても、この四つの要素が主軸として行われてきたことには、意味があります。四つの要素が、姿かたちを変えて、さまざまな局面で顕われていると見ることができるからです。

人が実在するということは、物質としての身体という乗り物に、生きて生長させるいのちの力が、間断なく満たされているということでしょう。植物と動物も、このいのちの力によって、成長し生き続けています。動物と人間にとって、この二つの力に原動力を与えているものは、情動、共感や反感、感覚と衝動の源になる、ダイナミックな何かの力です。このダイナミックなパワーは、統制されることがなければ、身体といのちからあふれ出て、混乱とパニックを来たすでしょう。人間の自我の力の働きが、この無統制な力を操縦すると考えられます。そして、この自我が、まさに人間の中核として幾多の転生を経た後、地上に降りてきた消息については、先に少しだけお伝えしました。

治療教育にとっての基本的な重要な視座は、この自我という名でよばれるもの、永遠といってよいほど旅し続ける個的なエネルギーが、スペシャルニーズの子どもにあっては、いまここの地上に定着しがたい、ということにひとつの要点があるように考えられます。これについて、シュタイナーは個性意識、個人意識という言葉を用いて講演したこともあります。個性意識は、永遠の自我、個人意識は、地上の自我という言葉に置き換えて理解することも出来るでしょう。人のバイオグラフィーは、個性意識が個人意識となって地上で人間化し、その地上的な自我が下位の三つの要素をコントロールして、成長して行くプロセスだといって間違いではないでしょう。これについては、こどもの発達・人のバイオグラフィーを学ぶさい、ごいっしょに考えたいと思います。

障碍を持つ子の個性意識・永遠の自我は無傷で完全なものですが、個人意識・地上的自我は、身体という乗り物に納まることをせず、下位の三つの要素を支配することが、不完全です。情動、感情、衝動をうまくコントロールすることができなかったり、いのちのリズムがしっかりとしなかったり、あるいは道具としての身体そのものが、充分な機能を備えることができないこともあったりします。

障碍の発現は、ときには感覚・感情の座を中心としてあらわれ、いのちのリズムの乱れとなって動き、あるいは身体行動の不自由性として顕われることもあります。人智学ではアストラル体、エーテル体、物質体という呼び名で仮に表現されるこれら下位の三つの体の様相については、それぞれの場における障碍の発現とともに、別に詳しく考究することが必要です。

人間は、人を全体として成り立たせているこれら四つの要素の、流動、交錯、調和の中に、仮に成り立って生きていると考えられます。

これから、両極性、三層構造、四つの要素、十二感覚のそれぞれについて、例を挙げながら、それらの関係を眺めていきます。

B)両極性

両極性といわれるものは、この要素の極端な振幅でしょう。グラビアの図例9は、自我およびアストラル体が、たとえば肺という器官の物質体とエーテル体によってせきとめられ、鬱積し格闘しているてんかん性痙攣をあわらしています(p65)。これとは逆に、アストラル体と自我組織が器官を突きぬけ、外界に漏れ出している状態が、小児ヒステリーです(p84)。それはまるで、

“掌の皮膚に傷をつけてしまい、その感じやすい部分で何かを掴んだ(p85)”ような強烈な痛みだと、シュタイナーは説明します。

グラビア図例7、図例12のように、一定の範囲内で外界と触れ合うべき、自我とアストラル体が、器官に押し込められてしまうてんかん、逆に器官から溢れ出して余りにも強く外界と触れ合ってしまう小児ヒステリー。これらは四つの要素の、桎梏と流動を読み取ることによって、本質に迫ることが出来るでしょう。

大頭症と小頭症、鉄分過多と硫黄過多、ゆっくり型と多動型、ダウン症とクレチン症、アンジェルマンSとPWSなど、両極性の観点から眺めることが出来るものがあります。これは、すべての人に普遍的に内在する障碍の要素を、極端な純粋形で見ることによって、人間の本質を理解することにつながります。たとえば、中部地方の気候風土と植物は、北海道の気象と草木に触れ、沖縄の光と海に身を置くことによって、いっそう理解が深まるでしょう。中央地帯には、偏縁の植物群がその中に生きています。すべての人間は、両極の要素を内側深くに担っている存在なのです。

C)三層構造
 
乗り物としての人体組織は、頭部、胸部、肢体の三つの部分にしたがって観察することができます。それぞれが、主として統合の働き、調和の働き、分析の働きを司り、目覚め、夢見、眠りの要素を伴って、思考、感情、意志という魂の働きの座として息づいています。その人体組織全体の中を、四つの要素が流動している姿を描いたものが図例7、垂直の視座から眺めたものが図例12の右端、水平の輪切りによって示した頭部系と肢体系が図例12の左上ということになります。

人の三層構造の乗り物の内側を、収縮と拡張を繰り返しながら流動してやまない四つの要素は、さまざまな障碍を解き明かす手がかりになります。たとえば、人間の記憶のメカニズムに関する障碍。硫黄過多と鉄分過多。下降プロセスと上昇プロセス。いのちの力と情動の力の不調和等々。これらの詳細については、別の講でいっしょに考えたいと思います。

ひとつだけ例を挙げれば、大頭症ないしは大頭傾向の子どもがいます。三層構造の観点からは、頭部系が、身体全体のバランスの中で、相対的に大きい場合です。それは両極性の視点からは、小頭の対極にあります。頭部には、神経=感覚器官が集中的に統合されています。この神経感覚系が異常に発達しているということは、身体的には頭が大きくなることで表わされ、外界の刺激に特別に感じやすいということです。

12感覚の観点からいえば、光の感覚、音の感覚の窓が大きくデリケートであり、外から入ってくる過剰な刺激に、自我が圧倒され溺れてしまいそうなほどハイパーであるということです。

ですから、そのような子どもを、暗い部屋、静かな部屋の中に置いて治療を試みることも必要になってきます。シュタイナーとイタ・ベークマン医師は、水頭症の子どもについて、そのような初期治療を試みました(p181)。

四つの要素の流動という観点からこれを眺めたとき、頭部系で刺激を受けすぎたアストラルの流れを、肢体系の領域でも沈静化することが必要になってくるでしょう(p182)。

三層構造という容れ物の中を、四つの要素が流動し、その停滞、桎梏、横溢が、両極性を代表とするさまざまな障碍の根本をなす、というダイナミズムを私たちは見てきました。

人間を成り立たせている、四つの要素が、メインストリームとして、三層構造、二極性の縦軸と横軸、Y軸とX軸をZ軸として駆けめぐっている様相が、ほんの少しでも想像していただければと思います。これらの詳細については、各別の講で順次採り上げたいと思いますが、四つの要素のうち物質体を除く三つまでが、肉眼で観察できないことが、アントロポゾフィーを学ぶ者にとって、難しいところでしょうか。

私たちの文明は、眼に見えるものの延長の上に成り立っているかのような観があり、役に立つもの、実用的なものが、力を持っています。実用的なもの、役に立つものが力であるという物質力学が、人間のこころを支配しています。社会にあっても、役に立ち、実用的な、いわゆる健常な人たちが、社会を支配し、心身にハンディキャップを持つ人たちは、その力の蔭に隠れがちなのと、同じような仕組みを感じたりします。

治療教育という道を志す私たちは、眼に見えないもの、不可視であるが感じることができるものに、心の眼差しを向けることが当然です。

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