D)十二感覚

広い意味での自我、あるいはそれを収束して、個人意識、地上的自我というものを考えるとき、私たちは次のような比喩をよく用いたりします。

いまここに、教会やモスク、あるいは寺院の中に参詣して佇んでいる一人の旅人がいます。彼は、12個の窓を通して外側の世界を眺めています。この旅人が、身体という建物の中にいる私としての自我だとしましょう。

触覚の窓、嗅覚の窓、視覚の窓、聴覚の窓・・・。12個の窓から入ってくる感覚の風は、衝動、情動、情念の座に投影されますが、投影された映像を解釈し、吹き乱れる知覚の風をおさめるのは、自我の働きです。感覚の窓から入ってくる様々な刺激を、統制し、有意的に秩序づけ、世界を解釈し、自分自身の生の発展のために、これらを用いるのが、人間の自我、地上における自我の役割だということができるでしょう。

もし、地上にあって個人意識として働くべき自我が、乗り物としての身体に浸透していないときは、衝動、情動、情念の風が無秩序に振幅している姿を想像することができます。

また、もし幾つかの窓から入ってくる情報が、曲げられていたり、偏っていたり、窓そのものが、こわれたりいびつであったりすれば、その人の世界解釈は、かたよったものになるでしょう。治療教育の観点からは、ハイパー(過敏性)は、感覚の窓が大きすぎるということに由来するとたとえられます。これは、建物の内側に住む自我が、外側から入ってくる過剰な印象に圧倒されている、という意味です。それは、自我が目覚め過ぎているのではなく、自我が印象に圧倒され、溺れているのです。逆に、感覚の窓が小さすぎる場合は、パイポー(過鈍性)になって、自我が目覚めにくくなってしまいます。

もし、視覚の窓が余りにも大きすぎるときは、あふれるばかりの光の洪水によって、その人は恐怖でパニックに陥るでしょう。ジュリーという高機能自閉症の人の幼少時の体験は、そのことを想像させます。水頭症の子どもについても、このことが伝えられています。もし、聴覚の窓ガラスが壊れていれば、音の氾濫に耐えかねて、思わず両手で耳をおおってしまうかも知れません。                                                

だだこれには、選択的注意の問題が絡んでいることがあります。私たちは、脳に流れ込んでくる雑多な情報から、必要な情報だけを自動的に選別しています。たとえば、講演の時にとったテープを後で聞いたとき、たくさんの雑音に驚くことがあるでしょう。講演のそのときには、ひたすらに耳を傾けていた講師の言葉だけが聞こえていたのに。この選択機能が働かないとき、母親の声と周囲の雑音とが、等価的に入ることになってしまい、雑音に悩まさてしまうことになります。聴覚過敏といわれる子どもの中には、このような選択的注意の問題が根底に横たわっていることがあるでしょう。この選択を可能にさせる主体として、自我の働きが関わっていると、人智学は考えます。

この12の感覚は、自我の働きに関わっているだけでなく、両極の視点、三層構造、セブンライフプロセスにも因果づけられて、子どもの発達と障碍を考察するさいの、非常に重要な観点になっています。チャイルドスタディにも、この観点が良く用いられます。

下位の4つの感覚は、意志の感覚、第1七年期。中位の4つの感覚は、感情の感覚、第2七年期。上位の4つの感覚は、認識の感覚、第3七年期。           

触覚、生命感覚、運動感覚、平衡感覚、嗅覚、味覚、視覚、熱感覚、聴覚、言語感覚、思考感覚、自我感覚。※感覚の木

E)セブンライフプロセス
 
赤ちゃんは、この世に生まれ出てくる瞬間に大きく息を吸い込み、オギャ―と息を吐いて泣き出します。やがてその子が地上での仕事をやり終えて旅立つとき、フーと静かに息を吐き出し息を引き取ります。その間休むことなく行われ続けている呼吸の働きについて、私たちは普通、いちいち意識したりはしません。

人間は、1分間に18回息を吸い息を吐きます。18×60で1時間。その積に24を掛けてその回数は、一日に25920回の1プラトン年と呼ばれる数字になります(講義P186)。これを12で割った数が、地軸がゆったりとぶれる黄道12宮の2160年に一致します。いま地軸のごますり運動は、パイシスからアクエリアスの時代に移り変わろうとしています。正義、自己実現の世紀から、恩寵、調和の世紀へと。治療教育の現場で用いられるライアの振動数432は、人の呼吸数18に24を乗じたものです。この振動数に揺られることで、子どもたちはゆったりと落ちつくことが出来ます。

この呼吸プロセスをはじめ、私たちの意識の下に沈んでいる生命の働きの七つのプロセスを、セブンライフプロセスと呼んでいます。

呼吸プロセスの他、体の内側で燃焼し体温を一定に保つ熱プロセス、食べた物を栄養分に変えて体内に採り入れる栄養化プロセス、体液やホルモンなどを分泌する分泌プロセス、必要に備えて栄養を蓄える貯蔵プロセス、そして成長プロセス、再生・生殖プロセスがあります。

これらの体験は、交感神経系(自律神経系)によって意識から遮断されています。他方、私たちが外界を知覚し、世界を認識することは、脳脊髄神経系の働きによって、12の感覚の窓を通して、届けられます。

“私たち人間は、二種類の神経系を通して二重の仕方で世界に中に立っている(オカルト生理学p127)”

と、シュタイナーは語ります。第1の人間では、感覚の窓から届いた情報を、脳脊髄神経の通路を通して自我が綜合的に把握し、世界を解釈することによって、個人の主体性が保たれます。

これに対して、第2の人間すなわちライフプロセスの体験については、自我はこのダイナミズムに関与せず、いのちの力が自律的に生起しているといわれています。

このセブンライフプロセスについては、シュタイナー自身もわずかに2度だけ、12感覚と関連して原理的な示唆を与えただけです。このテーマを深めたのは、カール・ケーニッヒをはじめ、シュタイナーが後世に託そうとしたものを受け取った人たちでした。

ヴァルドルフ教育や一般の人智学講座においては、稀にしか採り上げられないセブンライフプロセスの体験は、治療教育者養成セミナーでは、重要な部分を占めています。

そのわけは、障碍といわれるものの、いわば根源に関わっているからだと思われます。ハンディをもつ子どもたちの中には、自我の受肉に問題を持つ子どもたちも多くいます。その子たちの問題行動とされるものの根底にあるものについて、自我が関与しない生命プロセスを考究することは、たいへん重要な示唆を与えてくれます。宇宙進化における古月紀の人間を探求することも、同じ理由に基づいています。

たとえば、オウムのように同じ言葉を繰り返すエコラリア(反響言語)といわれるものがあります。

お母さんが子どもに「人前でそんなことをしてはいけません。」というと、その子は「人前でそんなことをしてはいけません。」と、同じ言葉をそのままくり返します。これは、その子が、その言葉のもつ意味を理解し咀嚼して発しているのではなく、自我が関与しない状態で、無意味に繰り返されるだけのことが多くあります。このことについて、セヴンライフプロセスの観点から、ケーニッヒは次のように語ります。

“呼吸活動の霊妙な働きによって、吐く息吸う息に乗った感覚的知覚が空気とともに運ばれる。この知覚が熱プロセスで、生きた観念になり、栄養化プロセスで、記憶として細胞に定着される。この3つの上位プロセスが全体として「思考」に似た働きをするように見えるが、その子は、「考えて」いるのではなく、その子の自我は「月の上」に住んでいる。” と。

自我を獲得していない人間は、宇宙進化の古月紀の人間を思わせます。セブンライフプロセスの学びを深めるためには、宇宙の進化にまで思いを巡らせることが要になるでしょう。 

ここまでの道案内から明らかなように、シュタイナー治療教育の沃野は、アントロポゾフィーの宇宙に深く根ざしています。どこからが治療教育でどこが基底を為す人智学かを区別することは、意味のないことです。けれども、最初にご覧になっていただいた、治療教育者養成コースのカリキュラムの絶対時間数の内訳からも明らかなことは、真実の学びは、子どもとの全的な生活の中に生きているということです。

ここで、ひとりの少年をモデルにして、上に述べた両極性、三層構造、四つの要素、12感覚、セブンライフプロセスという観点が、それぞれどのように混じりあっているのかを、もう一度ながめ直してみたいと思います。

11才の少年がいます。その子は、大頭症という診断を受けています。頭囲の大きさは、身体全体が華奢であるのに比べて、目立つ程度です。

両極性という観点からは、小頭症の子が持つ特徴と比べながら理解されていきます。話し好き、空想的な子が多く、それがこうじて虚言につながることもあります。手足を動かす実践的な営みは余りしたがりません。

三層構造という視点からは、頭部系が発達しています。頭部系優勢の三層構造は、頭部そのものの全体の形にも顕われています。広い前額部と鉢の開いた頭に比べてやや貧弱なあご。この頭部系における三層構造は、手の形、足の形にも表われています。長くてよく動く指先に比べて、手首に近い掌の部分、足の踵の部分は幅広ではありません。これは、肢体系、意志の働きの未発達を表わしていると見ることができます。

頭部系は神経=感覚系です。感覚の窓が大きすぎたりデリケートであれば、自我が過剰な印象に圧倒され、溺れてしまう例を上に見てきました。12感覚の観点から、光や音に対して過剰にハイパーな子がいることも見てきました。

四つの要素の流れについては、下降プロセスについて滞りがあるようです。頭部組織にある関心が、代謝肢体組織にまで進んで行くには、エーテル体と肉体との調和が必要なようです。自我とアストラル体の下降を、エーテル体と肉体が妨げていることがあるようです。

セブンライフプロセスについていえば、あるいはその子は、クレプトマニア(盗癖)であるかも知れません。もしそうであるとしても、その子の自我はそのことにあずかっていません。交感神経系によって意識から遮断されている内なる人間の貯蔵プロセスの働きが、その子に無意識でそうさせているのです。

この、ひとりの少年についての上のような観察は、山の全容を知るための幾つかの視角であり、本質に迫るための何本かの墜道のようなものです。チャイルドスタディ(子どもの観察)では、このようなことも行います。 

第2講以下では、2の両極性、3の三層構造、4の四つの要素、7のセブンライフプロセス、12の12感覚を、多少詳しく、わかりやすいと思われる順にお話しさせていただきたいと思います。お話しは、エクササイズと芸術体験を織り交ぜることで、少しずつ腑に落ちて行くことを願います。

これ以外の重要なテーマとして、宇宙進化論、障碍のカルマ論があります。また、「治療教育講義」を参照しつつも、別に読書会という形で、深めたいものです。チャイルドスタディについては、講座の進み具合に応じて、内容を徐々に具体化して行きます。たとえば、ツールとして、四つの要素、12感覚、三層構造、セブンライフプロセスを援用するなど。

これらのベースにあるものとして、人生の7年周期については、子どもの発達という重要なテーマとの関連で、輪廻転生とカルマにまで視野を広げて、いっしょに考えるのが良いかと思います。治療教育におけるこどもの発達論は、出生以前の胎児期にまで遡ります。
   
セヴンソウルタイプ、四つの気質についても、思春期、子どもの発達のところでお話しするのが良いでしょうか。前者についてはプラネット、臓器に関連づけて語られることがよくあります。

宇宙の進化と人間の意識の進化。アカシア年代記という、虚空に蔵されているとされる宇宙の生い立ちと未来に対しては、人間の認識の視力は遥か霞まざるを得ません。けれども、認識と直観、畏れと希望の只中を生きる人間は、進化する宇宙の証明者としての自分自身を、このパノラマに立つことで自覚することができるのです。

障碍のカルマは、このことに深く関連しています。障碍を持って地上に降り立った子どもたちと大人は、この宇宙の映像を照らし出しているかのように思えます。過去の月の世紀から来た子どもたちは、木星と金星、ヴァルカヌス星から訪れた使者でもあると感じざるを得ません。ケーニッヒとヴァイスたちの魂に響いたものについては、別の機会に深く考え合いたいものです。

ワンネス。仏教では「我即宇宙、宇宙即我」と語られることもあります。

自我から霊我に、そして生命霊、霊人という階梯を用いてR・シュタイナーはワンネスを指し示そうとしました。

―わたしは何者か?わたしは誰か? この肉体ではない。いのちの力(ちから)パワーではない。移ろい行く雲のような、ときに嵐吹き荒れる感情こころではない。これらを住処(すみか)として、いまここに降りて巡礼する自我。その彼方にあるものに眼差しを向けよ―と。

このことは、言葉を超えた私たち一人ひとりの体験と体感。私たち自身が自由に歩み続けることができる巡礼の道。子どもたちのただ中で、ひたすら修行を続けたい、そう思うのです。

2009.7.7                
文責 脇坂安郎
2014.9.17
改訂

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