今年の桜は、満開を迎えた時にはほとんど天候に恵まれず、寒い雨の日の多かったなかでの桜でした。それでも寒かったせいもあってか、せっかく咲いた満開の美しさを少しでも多くの人々に言祝いでもらいたいかのように、その間10日あまりもずっと維持し続けてくれていました。

おかげで、いつも楽しませてもらっている狐川の桜並木の桜だけではなく、今年はいろいろなところの花を長らく楽しませてもらうことができたのです。

何カ月か前から、また突然孫が言い出した‘ばあちゃん、金沢城に連れて行って! ’‘えっつ ?? 金沢城・・・? 金沢にはお城があったっけ? あれは確か・・・石川門・・・’そこまで考えて、何年か前にドイツからのお客さんを案内した時の、真っ青な青空を背景に辺り一面満開に咲きほころぶ、石川門を目の前にしてかかる橋の上での桜。あの時の光景のことが思い起こされました。‘では桜の時季に行こうね。’そう約束してしまっていたのです。

黒田官兵衛(武生人形) → 朝倉義景(市観光課講座)→ 柴田勝家(商工会議所講座)→太閤記を読む(市歴史博物館講座)→ 前田利家(金沢城) →  どこまで続く孫の思惑?をきっかけに約束して始まった4月5日の石川門での花見をはじめ、金沢での花見は、あいにくと確率80パーセントの雨天が予報されていました。そして当日、7~8分咲きの桜は、せめてもの曇り空・・・。あの真っ青な青空を背景に辺り一面満開の桜が咲きほころぶ石川門の前の、あの時の光景にはとうてい及ぶべくもなかったのです。が、それでもその時の光景を知らない家族みんなはきれい、きれいと大喜びでした。

また、花見にはぎりぎりの、散る直前での足羽河原の桜。今年は、孫が通う中学校と地元住民の方々との協力で足羽川堤防の桜並木に6年振りにぼんぼりを復活したというのです。橘曙覧の「独楽吟」にちなんで、生徒さんたち一人一人の歌が詠まれて、書き込まれているぼんぼりとしてです。それらは、材料は地元有志の方々が準備されたそうですが、組み立てから後は、すべて生徒さんたちの手作りだというのです。

そのぼんぼりを学校からは先生たちと見に行ったのだけれども、行き着けずに帰ってきてしまったというのです。それを聞いて、せっかくのぼんぼりだからそれでは見てこなければと、急に思い立って、長らく行ったことはなかった足羽川の堤防に、家族みんなで出かけたのです。やはり、行けども行けどもぼんぼりはなかなか見えてきません。九十九橋を超えたところでようやくぼんぼりが見えてきたのです。すでにあたりは少し暗くなってきてしまっていました。桜橋にかけて吊るされているぼんぼりを見上げながらの、一つ一つの歌の中から孫の歌を探すのもなかなか大変なことでした。

しかし、家族との温かいふれあいを、あるいはそれぞれ本人の本音などどの歌も生徒さん一人一人の、様々な気持ちが心を込めて読まれている歌でした。 ‘楽しみは…’と生徒さんたちの日常生活の中でのそれぞれの思いを詠んだ歌を読ませていただいていると、花見でのぼんぼりということも意識されていてか、普通なら照れなどあってなかなか言えない本音の部分もユーモアのオブラートに包み、なんのてらいもなく、ありのままに伸びやかに本音を詠んでいるその世界に思わず引き込まれて微笑まずにはいられなかったのです。

学校で詠んだ歌をもう一度家でも検討、確認してくるという孫の宿題でこの歌との取り組みは、知らされてはいたのですが、はっきりとこうした形にまでなるとは、予想できていなかったのです。ちなみにせっかくの生徒さんたちの歌です。メモできた、そのうちのいくつかの歌をご紹介したいと思います。

‘楽しみは 4時間終わり 給食を クラスみんなと きそいあうとき ― 詠み人 さくらまいちるぞ’
‘楽しみは 家に帰って宿題し お風呂に入って すぐに寝るとき ― 詠み人 ねるぞう’
‘楽しみは 休み時間に 友達と 遊んで しゃべって 笑い合うとき ― 詠み人 ぽんごん’
‘楽しみは 桜並木の トンネルで 散り始めてきた 花びら見るとき ― 詠み人 桜の花びらで手袋をつくりたいカニ’
‘楽しみは 授業中に 自分だけ 一人で ぐっすり 熟睡するとき ― 詠み人 ?
 
地域の人たちと学校との協力の中で、日頃、競い合うことや、比較することが当たり前の彼らの日常生活とはちょっと違って、伸びやかに自分の思いを詠み、その歌をそれぞれがぼんぼりに書き込み、組み立て、それを地域の人が飾り、多くの市民が愛でるのです。こうした多くの人々の、心からの自由で伸びやかな願いの発想の中で差し出されたそれぞれの創造的行為は、決して賑々しく、騒々しいものではないだけにかえって、桜の、ほのかなやさしさ、温かさ、高貴さに包まれて、温かい生命の喜びに満ちあふれていて心地よい時間と空間となっていました。

“教育とは芸術でなければならない”というルドルフ・シュタイナーの言葉が胸の奥から湧き上がり、心に響いてきたのです。まさにその言葉にふさわしい時間と空間のようにおもえたのです。

『シュタイナー教育を語る-角川選書』の、<7歳から14歳までの教育の「感情の教育」>の中で著者・高橋巌氏は次のように述べておられます。 

「感情が生み出す文化を普通芸術と言います。芸術の創造も教授も、感情のエネルギーがなかったらそもそも不可能です。シュタイナーは、教育を教育科学とか教育学とは言わずに、教育芸術と言いました」
「教育芸術、社会芸術、生活芸術等々の芸術である、ということになります。生きることそのものが即芸術だという観点が基本にあるのです。そしてそれが芸術であるということは、同時に、それが感情のエネルギーによって担われている、ということでもあるのです」
「子どもの内面のイメージに関わっていく教育のことを教育芸術というわけです。
・・・芸術はイメージに関わるものですがイメージの世界を作り上げつつある子どもの意思と感情を励まし、いい世界が子供の内面に生じるように配慮することを、教育芸術を通してやろうとするのです」
「シュタイナー教育には、出来上がった教育尺度はない、と言われています。
・・・子どもを観察していくとき、その観察の中からそれぞれの子どもにとって何が大事かということが、そのつど見えてくるからです。そういう個別的な方法を大切にするのです。決して型にはまった方法論を子どもに当てはめるのではなく、一人ひとりの子どもに見合った方法論をその都度見つけだしていくのです。そういう手作りの教育なので、シュタイナーは教育学ではなく、教育芸術と言いました」

そしてもう一つは、
「シュタイナー教育はすべて社会教育だ、という言い方ができるくらいに、社会性を大切にする観点です。・・・人間関係の教育であり、社会教育なのです。つまり人間は一人では生きられなくて、みんなの中で自分が生かされるときはじめて自分がわかる、という種類の実感が、教育の中でいつでも確かめられるような教育をしようというのです」

また歴史教育のポイントとして
「時の流れが感情のエネルギーに結びついて存在する場合には、すべての過去は現在化できるのです。ですから、小中学校の社会科での歴史を扱うときには、歴史の物語を感情をこめて語れば、必ずその歴史の授業を通して、子どもにいい感情のエネルギーが流れていきます。・・・‘講釈師見てきたような嘘をつき’と言いますが、歴史上の事実として本当であるか本当でないかということは、歴史教育の中では、二次的なのです。大事なのは過去のある時代が、先生の中の感情のエネルギーによって受け止められているかどうかであり、これがポイントになるのです」とも述べられておられるのです。
             
それにしても、久しぶりに歩いた足羽川河原の桜並木です。その桜並木のトンネルに足を一歩入れてのその樹木の重厚感。貫禄。圧倒されてしまいました。今年はほかの桜も見た後だったからでしょう、改めてさすがなものだと見入ってしまいました。日が沈まない明るい時に、もう一度その桜花の美しさを確認しておきたくて、そのあくる日も、足羽河原に出かけたのです。その日は、次の日の雨で、花見には本当に最終日となってしまったのでした。