夏休みも終わり、新学期が始まりました。この夏休みは、貴方にとっては、ながーい夏休みでしたか? それともあっという間の夏休みでしたか?

よーく、あちら、こちらで耳にしたのは、お母さん方から漏れ聞こえてくる“ああ、早く夏休みが終わってくれないかなー!”というため息でした。

この文章を書き始めたのは確か7月の下旬頃。私も孫たちのお付き合いや所用で大変忙しい夏休みでした。ですから途中で文章を断念し、新学期が始まりやっと落ち着いて改めて文章に向かうことができそのときに続く文章を書かせていただいております。

◆夏野菜真っ盛り “ きゅうりに学ぶ”

雑事に追われて、畑に行くのがつい遅れがちになってしまう毎日です。そんな中、気がついて行ってみると、すでに遅しです。太さ10センチ近く、長さ40センチ余りのきゅうりとなって幾本もぶらん、ぶらんとぶら下がっているのです。

おかげで今年は、スーパーで売られているようなスマートで、手ごろな大きさのきゅうりではなく、少し大きくなり過ぎた、あるいはとても大きくなり過ぎたきゅうりとの格闘の日々と云っても過言ではなかったのです。今までは、きゅうりと云えば、スーパーに売っているような大きさのものがきゅうりだと思って、大きくなり過ぎたきゅうりは、そのまま採って畑に置いて来ていたのです。しかし、木の勢いが良いのか、今年はそんなこと言っていると食べるきゅうりがないくらい大きくなり過ぎています。そして、そこまで成長したきゅうりを畑においてくるのはなんだか忍びなくも思えてきたのです。

そんなきゅうりをよく見ると、とても黒々としていて生命力に満ち溢れ、まるで‘早く採っておいしく料理してほしい’ときゅうりからの強い促しの力が伝わってくるようで料理欲が掻き立てられるのです。そこでそれらのきゅうりを持って帰ってその料理法を考えたのが始まりでした。

よく熟れて大きくなったきゅうりは、一般的に‘きゅうり’と言われている大きさのきゅうりとは違って、熟れているだけに、その味は味でとてもおいしいことを発見したのです。まずは皮を引いて二つに割って種を出し、うすめにきって塩でもんでよく絞り、‘なます’にするのです。ゴマ、ピーナッツ、わかめ、いかの糠漬けの塩気を少し戻して入れたものなどなど、(いかの塩辛などもおいしいのでは?)その和えるものによって、いろいろな なますのバリエーションが楽しめるのです。そして何よりの利点は、‘なます’という料理は、よく絞るので、かさがぐっと減り、一度に大量消費できることです。  

最大級のきゅうりでも2~3本は軽く使ってしまえるのです。そして絞ったジュースの色がまたまた美しい薄緑。大量のこの美しいしぼり汁を捨ててしまうのはなんだか申し訳ない。その思いから生じたのが、近年の私だけの夏の特性飲料水となっているのです。  

不織布茶こしできれいに漉して、瓶に入れ、冷蔵庫に入れて忘れていましたら、頃よく発酵していて、ほどよい塩分もあり、暑い夏の飲み物としては、砂糖ではなく、梅酢を入れた紫蘇ジュースと共に私好みの特性の飲料水になっていたのです。

また、美味しい だしで、軟らかく煮たり、こりこり感を残しさっと炒め、中華風に味付けした調味液に漬けて冷したりしていただくのもとてもおいしいのです。

こりこり感と云えばきゅうちゃん漬け。なぜか今年は、どこに行ってもその作り方やレシピ―をよく見聞きしたのです。熟年の主婦層でどうも流行っているようです。これもきゅうりを一度に大量に使うことができる料理法です。

きゅうちゃん漬けといってもいろいろな作り方があるようです。しかし、醤油○○㏄、砂糖○○g、・・・という一般に出回っている標準的きゅうりを対象にするそんなレシピ―は、うちの畑で取れたきゅうりにはあてはまらないのです。きゅうりの太さによってどれだけ皮を残して引くのか、種はとるのかとらないのか。そこから始めなければなりません。一本一本のきゅうりの成熟度に合わせた料理法でのきゅうちゃん漬けを考えなければならないのです。

でも究極的な作り方の基本、いわゆる“こつ”は、どのきゅうりにおいても同じように思われたのです。きゅうりの水分を、熱を通すことにより、あるいは塩分を加えることにより、どこまで、どのように抜き、こりこり感を失わないためにどれくらいまで熱を加えるか、つけ汁の濃度を薄めないために、一度漬けたきゅうりをざるにあけ、その漬け汁をもう一度火にかけ煮詰めなおし濃度を濃くするなど、それが最も基本となるコツ(・・)なのだと思われました。ですから、どのようなきゅうりであっても、どのような作り方であっても、その基本的コツ(・・)を外さなければ美味しい‘きゅうちゃん漬け’ができると、この夏、毎日にように作って得た私なりの確信なのです。このように、食べられないと思っていた大きくなり過ぎたきゅうりでも、いろいろな料理の仕方によってその持ち味を生かし、おいしさを引き出すことができ、よく熟しているからかえっておいしいものになるのです。

9月、秋風を感じるこの頃、今夏大活躍をしてくれたきゅうりもすっかり枯れてしまいました。それでも、まだ、けな気に、実に見た目も、形も悪い、きゅうりが1~2本、ぶら下っているのです。迷いながらも採ってきて、皮を引いてみると、なんとまた、実は真っ白でとてもみずみずしく、生き生きとしていておいしそうで、新たに料理欲が湧き上がってくるのです。その表皮の中に隠されている本質を見抜く洞察力の必要性をこのきゅうりたちに学ばせてもらったのです。こうしたきゅうりはスーパーなどでは決して買えない自家製ならではのきゅうりです。今年はもう終わりかと思うとなんだか名残惜しい気もするのです。

今年の夏はなんと‘きゅうり’から育児にも匹敵するたくさんのことを学ばせてもらったことでしょう。 ‘育児書に書かれてある内容を物差しにして、それに合わせて育児をしようとするのではなく、個々の子どもをしっかり見極めて子育てにあたることの大切さや、見た目で判断するのではなく、どんな子に対しても、ありのままのその子を十全に生かそうという深いおもいにまで至らなければならないという“教育の究極”に近い思いをです。それは言い換えるならば、子どもに対する“愛”、仏教的に言えば、“慈愛”、“慈悲”の心を自分がどれだけ深めることができるかだということに気づかされたのです。

◆子どもの成長の法則

さて、シュタイナーは子どもの教育において人間を深く洞察した「人智学的人間学」からの子どもの教育についての具体的なたくさんのことを示唆し、提示しています。その基本となっているのが子どもの成長の法則なのです。

このコラムの初期においても「子どもの成長について考える―基本的ルールを見つめなおそう―」で簡単に触れさせていただいておりますがここではもう少し詳しくご紹介していきたいと思います。

シュタイナーは成長しつつある子どもの教育を問題にするときは、人間の隠された本性そのものの考察から出発しなければならない(「霊学の観点からの子どもの教育-霊学の人間認識―イザラ書房」より。)としています。

人間の本性(構成要素)を私たちの感覚では捉えられない存在をも含めて、基本的には次の四つの本性(構成要素)から成り立っているとしています。

・ 私たちの体である感覚でとらえられる物質としての「肉体」
・ 現在の私たちの感覚ではとらえられないが私たちの生命を成り立たせているといわている「エーテル体」(生命体)
・ 様々な心の働きともいわれるアストラル体(共感、反感にあたる感情体)
・ 自分を統御する「自我」

これら四つの本性は、自我の働きかけ(修行)によってさらに高次の、アストラル体→霊我(マナス)、エーテル体→生命霊(ブッディ)、肉体→霊人(アートマン)へと高められていくのだというのです。

この四つの本性は「教育」の分野だけではなく「宇宙論」、「宇宙史」をはじめとする人智学(シュタイナーの思想)のすべての分野にわたってその基底となっている用語でもあります。

蝶や蚕は、その成長を卵、幼虫、蛹、成虫(蝶や蛾)と目に見えて変化しながら成長していきますが、人間の成長の変化は、蝶や蚕のように、目ではっきりととらえられる変化ではないのですが、およそ7歳ごとにやはり変化しながら成長していくのです。

「一般に一つの体の中に肉体の成分が完全に新しく作り変えられるまで7年かかると考えられているのです。

ですから、シュタイナーの人間学では人間の肉体は大きく7年の周期で成長を遂げていくと考えられているのです。それはシュタイナーに言わせると、人間の人格の成長の周期と全く見合っているので、肉体の成分が新しく作り変えられるごとに、人間の魂の成長も新しい発展を遂げるので、0歳から7歳、7歳から14歳という形で変化していくというのですね。(『高橋巌 講義録』1986年 桧原こひつじ幼稚園発行)」

そして、そうしたそれぞれの成長期の法則に即して、四つの本質が対応していっているのです。21才までの成長する子どもに対しての教育者の基本的在りようとしての言葉です。

子どもを畏敬の念で受け入れ
愛をもって育て
自由の中に解き放つ
ルドルフ・シュタイナー

「原則として、幼児期には子どもの意志力、内的な衝動の力を発達させ、そして就学適齢期のころから、感情をゆたかに体験できるような教育環境を作るのです。そのあとで、徹底的に議論して納得し合えるような、自由で知的な話し合いの場を提供します。これがシュタイナー教育の大きな柱になるのです。」(『シュタイナー教育を語る』高橋巌著 角川選書)

◆7年周期の成長と発達

・誕生から7歳まで・・・・「肉体」を健全に形成する時期でそのためにはエーテル体(生命体)の100パーセントが肉体形成に使用されなければなりません ← エーテル体
・7歳から14歳まで・・・基本的肉体形成を終え、エーテル体が解放され、「エーテル体」(習慣、気質―人間を気質で観る方法;多血質、胆汁質、憂鬱質、粘液質の四つの気質、性格、記憶など)に働きかけることができる時期 ←アストラル体(この時期における教育において基本とすべき感情豊かな、芸術教育)
・14歳から21歳まで…解放された「アストラル体」に直接働きかけることができる時期 ←自我

教育には大きく分けると二通りの考え方があるといわれています。

・一つには子どもという存在は全く無能なものとして生まれてくると捉える捉え方です。ですからその基底として、子どもというものは、粘土か何かのように外部から躾けや教育の働きかけを通して人として育てていかなければならないという考え方。このことは究極的には社会に適応できる人間の育成につながる教育だというのです。
今日なされている教育の多くはこの方向性を持った教育ではないでしょうか。
・もう一方において、シュタイナー教育というのは、基本的にはすべて自己教育だという立場をとるというのです。たとえ幼児であっても、基本的には自分の中にある力で自分を発展させていくという意味において、「自己教育」だというのです。植物にたとえて、個々がそれぞれ種としてその存在としての独自性を持って生まれてきていると捉えるのです。

成長の変化が著しい21歳までのその期間は、親や教師の環境づくりや教育者としての様々な配慮によって、その独自性がより良く生かされて花が開いていくように教育を受ける期間としてもっともふさわしい期間だとされているのです。そしてそれ以降は「修行」という言葉にも通じる本来の自己教育が始まっていくというのです。(シュタイナー教育を語る  高橋巌著 角川選書)

胎児が母体にいる間は母体に包まれていて、胎児の成長に直接関わることができないようにそれぞれの人間の本性(構成要素)においても、それぞれの目には見えない膜につつまれていて外部から直接かかわれる時期が来るまでは外部からの働きかけは一切してはならないという成長の鉄則があるのです

このことを初めて聞かされたのは、昭和52年に初めてドイツのシュタイナー学校訪問をした時でした。私たちが初めてドイツのシュタイナー教育施設に着いた時には、辺りはもうすでにすっかり暗くなっていました。そして皆はかなりくたびれていました。

そんな私たちを迎えて始めてくださったのが、シュタイナー学校の先生によるシュタイナー教育の基本についての講義だったのでした。

昭和41年学校教師として勤めていた時代、その頃の親御さんでも一部の親御さんではあったかもしれませんが子どもの教育には良い意味での深い関心を持っておられました。そんな時代,併設されていた幼稚園の先生から、たびたび相談を持ち掛けられていたことがあるのです。“幼稚園でも読み書きの指導が必要ですか?”。その時、私は幼児教育の教師や保育士の免許は持っておりませんでした。幼児教育については、それまでの教育についての学びや読書の中での関連で得ている程度の知識や思いでしかありませんでしたので、幼児期には幼児期の大切な役割があるので、幼児期からの読み書きの教育はまだしなくてもいいという思いはあっても、そうした質問に対してきちんと説得できるまでの核心的な回答をなせるまでの学びはしていなかったのです。

“幼児期は肉体形成にその生命力(エーテル体)の100パーセントが使用されなければなりません。その生命力を早期に知的教育に向けられた時、後になって肉体形成の欠損部分が何らかの形であらわれてくるのです”。そう語られた言葉は、その時の私にとってはそれまで見聞きしたことのない世界を背景とする教育に、まるで電気にでも撃たれたような衝撃であったのです。辺りを見回すと、旅の疲れからほとんどの人が眠っていました。しかし、私には疲れや眠気どころではなかったのです。

“このシュタイナー学校の先生によって語られているこのシュタイナー教育とは一体どんな教育なのだろう”。“もっと詳細に学びたい”そう心から、その教育に対して強い興味と関心が湧き上がってきたのでした。

そのとき一緒に行った仲間の人たちに配布された旅行の書類には、新田貴代さんの「お子さんのシュタイナー学校体験」について書かれた小冊子が入っていたようです。しかし、私にはあいにく入っておりませんでした。その冊子をいらないからといって仲間の人が譲ってくださったり、貸してくださった子安美智子さんの『ミュンヘンの小学生』を帰りの飛行機の中で読破したことを記憶しています。

一般の教育や、特にハンデキャップを持った子らに対する治療教育(障がい児教育)において、これからもっと注目されるべきであろうエーテル体(生命体)が意識されてなされる教育の及ぼすを影響を基底にこれらの、7年ごとの教育についてもう少し詳しく見ていきたいと思います。

◆誕生から7歳までの教育

この時期についての教育については先回でも紹介させていただいていますように、心身の発達が人生の中で最も著しいこの時期での大切なことは、感覚の時代ともいえる「模倣」と「お手本」を基本とする肉体形成期であるということでした。

この時期は、エーテル体(生命力)の100パーセントを子どもの体作りに使用されなければ、使われなかった分、肉体形成において後に何らかの欠損が生ずるといわれているのです。

では“エーテル体”とはどのようなものなのでしょうか。

四つの本性をはじめ、エーテル体については、シュタイナーに関する本には書かれていない本はないくらい、いろいろな本に書かれています。しかし、目には見えて捉えることのできないエーテル体を腑に落ちて理解できるということはそう容易なことではないようにおもわれます。

詳細について詳しくご紹介するには限界がありますが、高橋巌氏は色々な講義や著書を通して、いろいろな視点から私たちに理解できるようにと心を砕いて詳しく説明くださっています。ご紹介した本の中には、今ではもう入手困難な本もあるかと思いますが、どうぞ、このコラムをきっかけとしてでも、ご自分でそうした本をぜひお読みくださることをお薦めいたします。

幼児期は外から見ての、身長や体重が増えて大きくなるだけではなく、脳細胞や、内臓など自分自身の内部における肉体づくりを含めてすべてを肉体づくり(成長)を一生懸命になっておこなっている時期なのです。その肉体づくりのエネルギーというのはエーテル体のエネルギーなのだというのです。エーテル体はそのエネルギーをひたすらその肉体づくりに注ぎ込んでいるのだというのです。しかし、エーテル体は私たちの意識を生み出す源であるエネルギーでもあるというのです。ですから肉体の成長に流れていくべきエネルギーが肉体を形成する時期に知的教育によって知性の方に流れていってしまうと、肉体の成長はその分押さえられてしまうのだというのです。

その結果、小さい時には知的に優れているように見えても基本的な肉体の次元でどこかでその成長が押さえられていくので、幼児期においての大事な無意識の本能的力、意志の発達の面においてもどこかで弱められてしまうとその成長していくなかでこの世に生きようとする意志が弱められてしまうことも多いのだというのです。

エーテル体については次回でも引き続きもう少し学んでいきたいと思います。

※参考文献
・『霊学の観点からの子供の教育』R.シュタイナー著 高橋巌訳 イザラ書房
(『 シュタイナーコレクション1 子どもの教育 』高橋巌―訳 筑摩書房)
・『 高橋巌 講義録 』 1986年4月30日 桧原こひつじ幼稚園発行
・『 リーリエ 2号 高橋巌講義録―治療・教育・修行―』1984年7月6日発行 リーリエ出版部 発行
・『 頭を育てる 体を育てる 』ルドルフ・シュタイナー著 西川隆範訳