福井新聞の記者が考える私たちのまち

気比神宮前の大通り。写真左方向の通りには戦前まで舟川の名残の水路があった=福井県敦賀市

まちづくりについてアイデアを話す中江さん(左)と酒井さん

海と水を生かしたまちづくりを話す竹本さん

まちづくりへの思いを話す雁子さん

 ◎敦賀・提案編

 平安時代の平清盛も、戦国時代の豊臣秀吉と敦賀城主大谷吉継のコンビも、昭和中期に辣腕(らつわん)を振るった自民党有力者も、今まで誰も成し得なかった港町敦賀(福井県敦賀市)の大運河が、ついに実現した。港からJR北陸線に沿うようにして疋田を越え琵琶湖へ、さらに太平洋へ。

 拡幅された笙の川を、3万トン級の貨物船が船団を組みゆっくりと進む。敦賀港に定期就航しているフェリーの倍近い大きさの巨船たちだ。気比神宮周辺では、江戸後期に小舟が通った舟川がスケールアップして復活した。大運河から枝分かれした細い運河が縦横に走る姿は、イタリアの水の都ベネチアのようで、どこまでもロマンチック。

 人と物の流れは一変した。運河のもたらす巨額の通航料金収入は、地域経済を立て直した。琵琶湖と日本海の85メートルの高低差を利用して水力発電が行われ、関西にクリーンな電気が送られている。車の姿が消えた市街地とともに、環境先進都市・敦賀のシンボルにもなっている。

 観光面で気比神宮は、いわばベネチアのサンマルコ大聖堂。大鳥居の荘厳な姿を一目見ようと世界中から観光客が押し寄せ、かつて原発増設を当て込み進出したホテルはフル回転。
 ゴンドリエ(ゴンドラこぎ)が陽気に語る港町の歴史に耳を傾けながら、気比神宮南の繁華街を進もう。港町ならではの新鮮な海の幸や加工品を振る舞う店々。観光客の一番人気は、知る人ぞ知る名物「かまぼこ定食」だ。

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 県内9市の担当記者がまちの人たちと一緒にアイデアを膨らませ、空想のまちづくり事業として提案する連載。第2回は敦賀市編をお届けします。

 ◎敦賀・根拠編

日本海と太平洋をつなぐ大運河

中江さんと酒井さん「水を生かした街を考えたい」
竹本さん「海中水族館がほしいな」
雁子さん「街のライトアップいいな」

 本州の最もくびれた部分にある日本最大の湖、琵琶湖。この南北を切り開き太平洋と日本海をつなぐ構想は、過去何度か実際に浮かび上がっていた。中でも昭和中期の岐阜県出身の自民党副総裁、大野伴睦はかなり本気だったようだ。

 1962年、自身を会長に日本横断運河の建設促進期成同盟会を発足させた。福井県の北栄造知事が副会長、敦賀市の畑守三四治市長が理事に名を連ねた。敦賀半島先端に日本原電敦賀原発1号機の建設が決まった年だった。

 同盟会がまとめた大運河の解説資料はスケールが大きい。「三重県桑名市の揖斐川河口から敦賀市まで総延長108キロ。パナマ運河82キロよりは長いがスエズ運河160キロ、セントローレンス運河349キロにくらべたらぐっと小さい。夢物語と片付けたがる人も多いが、これぐらいで目を見張っているようでは、日本の将来も知れたものだ」

 平成に入って、この構想に着目した若者がいた。敦賀港開港100年を迎えた1999年、敦賀工高の生徒たちが、気比神宮周辺を運河にするまちづくりを発案した。「敦賀といえば海。水を生かした街を考えたくて」と当時のメンバー中江常雄さん(34)。今は住宅建築の現場監督が仕事だ。「水の都は車が市街に入らず、環境面でも優れているかも」

 同じくメンバーだった酒井麻里江さん(34)は、にぎわいを生む商業施設を望む一方、気比神宮は神聖で静かな空間であってほしいという。「人が移動しづらい運河で隔てることで、両立できるのでは」と、かつての自分たちのアイデアを自慢した。

 港と海は市民の誇り。「自然な姿で魚を観賞できる海中水族館がほしいな。あるいは潜水艦で水中散歩とか」。コミュニティーFM社員にしてお笑い芸人「T2」のツッコミ担当、竹本正人さん(33)が構想に乗ってくれた。「夢のある街にしないと若者が出て行ってしまう。市民に感動してもらうことが最も大事」

 化粧品店を経営する雁子(がんこ)由佳理さん(39)は、仲間と着物姿で街を歩くのが大好き。冬場は敦賀港のイルミネーション事業に携わり「雨の日は地面にイルミネーションが映り光が倍になっていた。水と光は相性めっちゃいい。街のライトアップなんていいのでは」とアイデアをくれた。そういえば、ベネチアのサンマルコ広場はアクア・アルタ(高潮)で浸水しても「水をたたえた広場に大聖堂が映って美しい」と人気だそうだ。

 昭和の大運河構想はモータリゼーションの進展で早々についえた。でもあのとき、実現したのが敦賀1号機でなく大運河だったら? 同盟会が資料で引き合いに出した中米のパナマ運河は2013年度、船の通航料金だけで約2千億円の収入があり、売電なども含めた総収入は約2700億円。敦賀市の一般会計の10倍以上の額だ。

 ◎敦賀・調査編

 福井のまちが面白くなるアイデアを県内9市の担当記者が膨らませる連載「空想まちづくり」。上記の「提案編」「根拠編」で紹介した空想を仮に実現させるとしたら、どんな壁があって、どうすればクリアできるのか。「調査編」として考察する。

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■親水空間なら現実味

 「物語を自分たちで考える姿勢が、現代には必要なんですよ」。旧運輸省港湾技術研究所の部長職などを歴任した長野正孝さん(70)=東京=は、地方創生が叫ばれる時代のまちづくりのポイントを、歴史を見つめ「物語」を見つけることだと指摘する。

 国際委員会委員として第2パナマ運河の検討にも携わった運河や港の専門家。平清盛や豊臣秀吉、昭和の自民党副総裁・大野伴睦と同様、日本海側の敦賀と太平洋側をつなぐ大運河を構想する一人だ。近著「古代史の謎は『海路』で解ける」でも取り上げた。

 歴史上何度も浮かび上がった大運河構想は、まさに敦賀の歴史文化。特に大野副総裁を会長とする建設促進期成同盟会は、コンサルタント会社に計画を練らせ「3万トン級船舶の運河なら完成までに3480億円。土砂は5億2千万立方メートルにもなるが、敦賀湾付近の工業団地造成など、利用方法はいくらでもある」(1963年9月の資料)と記している。さらに4年後には、当時の運輸省がより専門的な計画をまとめている。

 第五港湾建設局長名の入ったその計画要約を握りしめ、国土交通省敦賀港湾事務所(敦賀市松栄町)を訪ねた。「いやー、壮大な計画ですよね。なんと言ったらいいか…」と鶴間誠副所長(56)。やはり現代では水運需要の点から事業化は難しいそうだ。「でも親水空間を生かしたまちづくりなら数多い。例えばJR富山駅に近い富岩(ふがん)運河は街中の憩いの場となっている。敦賀も、運河法に基づく開発は難しくても、まちづくり関連の補助金が使える場合がある」

 気比神宮周辺に運河を張り巡らすアイデアはまったく荒唐無稽というわけでもない。郷土史グループ日本海地誌調査研究会の井上脩顧問(89)や、古江孝治理事(65)によると、江戸後期の舟川は、敦賀港の金ケ崎緑地に近い児屋川(こやのかわ)河口から気比神宮まで南に進み、そこで西の神楽町へと流れを変え旧笙の川に合流。さらに南へ、舟川の遺構が残る疋田まで続いていたらしい。

 長野さんも大運河は経済的に採算が取れないとし「敦賀は気比神宮周辺や疋田に舟川の歴史がある。うまく生かせば県外からも観光客を呼べる」とエールを送る。舟川の“地元”神楽町2丁目の河原継男区長(65)はかつて、環日本海交流を目指した市民グループ「敦賀ROCK計画委員会」の元委員長。20年以上前に長野さんを講演に招き今も交流がある。「親水公園なら夢物語ではない。若い世代には自分たちの街を自分たちで考えてほしい」と望む。

 児屋川は今、都市部の雨水を流す雨水幹線となっている。親水公園としての整備の可能性を市都市政策課に尋ねると、既に松原地区を流れる雨水幹線の二夜(にや)の川では例があるそう。川の流れが引き込まれた通称「鯉公園」(新松島町)は、コイが泳ぎ水車が回る住民憩いの場となっている。

■記者はこう見る 実現可能性20%未満

水の都構想はもちろん空想。でも敦賀市は新年度当初予算案に、疋田舟川の資料展示室整備費など約4千万円を計上していて、水に親しめる街という意味では、ほんのちょっとだけ、実現へ動く。

 取材中、「敦賀は民間の活動が少ない」との声をよく聞いた。でもあるフリーペーパー編集者いわく「3・11以降、行政にも民間に任せる意識が強まっている」。福島の原発事故で敦賀を取り巻く環境が一変し、間もなく5年。新・敦賀へ、動きは急だ。

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 「敦賀編 市街地を“水の都”にする」概要

 琵琶湖の南北を切り開き、敦賀と太平洋を結ぶ大運河を建設。気比神宮周辺には江戸後期に北前船の荷を運んだ舟川をスケールアップして復活させ、イタリアの水の都ベネチアのように、大運河から枝分かれした細い運河を張り巡らせる。大運河は巨額の通航料金収入をもたらし、琵琶湖と日本海の高低差を利用した水力発電は環境先進都市のシンボルに。水の都エリアは世界中から人が集まる観光スポットとする。

 【意見募集】

 連載「空想まちづくり」の感想、ご意見を募集しています。連載は福井新聞ホームページからもご覧になれます。社会部=電話0776(57)5110、FAX0776(57)5145、メールはmachidukuri@fukuishimbun.co.jp

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